EP 9
追い詰められたバカ王子と雌犬の浅知恵。でっち上げの大義名分と、終わりの始まり
王宮の最奥、次期国王たる王太子のための豪奢な寝室。
そこは今、酷い絶望と腐敗の匂いに満ちていた。
「どういうことだ……なぜ、誰も私の命令を聞かない!? 王国随一の治癒術師を呼べと言っているだろうが!!」
右脚を分厚い包帯でぐるぐる巻きにされたエドワードが、ベッドの上で狂ったように叫び声を上げ、手元の銀のグラスを壁に投げつけた。
ガシャンッ、と鈍い音を立てて壁にぶつかったグラスが、虚しく床に転がる。
「も、申し訳ございません殿下! グランツ商会が摘発された余波で、王宮に出入りしていた高位の治癒術師や錬金術師たちが、次々と『実家からの呼び戻し』や『急病』を理由に王宮から姿を消しておりまして……!」
「ふざけるな! 私は次期国王だぞ!? この私の脚の治療より優先する用事などあってたまるか!!」
報告に来た近衛騎士に唾を飛ばして怒鳴り散らすが、騎士の顔にも明らかな疲労と不信感が浮かんでいた。
無理もない。たった数日で、エドワードの派閥に属していた有力貴族たちが次々と「不正」や「横領」で騎士団に逮捕され、資金源は完全に断たれた。王宮内でも「エドワード殿下は見限られたのではないか」という噂が、まことしやかに囁かれ始めているのだ。
「もうよい、下がれ! 役立たずどもめ!」
騎士を追い出し、エドワードは激痛の走る右脚を抱えてギリッと歯を食いしばった。
「ユリウス……ユリウスめ……っ! あのいけ好かない男、裏でコソコソと動きおって! 私を誰だと思っている!」
自分が公爵領に暗殺部隊を差し向けたことなど完全に棚に上げ、エドワードは己の不遇を呪った。
そのベッドの傍らで、マリア・男爵令嬢もまた、血の気の引いた顔で爪を噛みちぎっていた。
(嘘よ……こんなの嘘。私の完璧な計画が、なんでこんなことに……!)
実家の男爵家が、オブシディアン公爵の差し向けた借金取りによって完全に差し押さえられたという報告は、すでにマリアの耳にも届いていた。
両親は路頭に迷い、マリア自身もいつ「借金のカタ」として裏社会に売り飛ばされるか分からない恐怖に怯えている。
王妃の座はおろか、今の彼女には帰る場所すらない。
(このままじゃ、私も殿下と一緒に破滅する。……何か、何か手を打たないと……!)
恐怖で震えるマリアの脳裏に、かつて自分をゴミのように見下したハルコの冷たい瞳と、彼女を溺愛するユリウスの姿が浮かんだ。
憎い。あの女さえいなければ。あの極道の女が、大人しく私の踏み台になってくれていれば!
「……殿下」
マリアはわざとらしく涙をこぼし、痛みにうめくエドワードの胸にすがりついた。
「マリア……おお、可哀想に。お前も不安であろう」
「ええ、とても恐ろしいです……。殿下、この一連の騒動、間違いなくオブシディアン公爵とハルコ様の仕業ですわ。あの方々は、殿下から王位を簒奪し、この国を乗っ取るつもりなのです……!」
マリアの言葉に、エドワードはハッと顔を上げた。
「ハルコ様は、あの忌まわしい鉄の筒(暗器)で殿下を傷つけ、神獣という強力な武力まで手に入れました。そして公爵は、王家の資金源を絶ち、殿下の味方を次々と陥れています。これはもう、明確な『国家反逆』ですわ!」
「反逆……!」
「このままでは、私たち、彼らに殺されてしまいます……! その前に、殿下の権限で近衛騎士団を総動員し、あの反逆者たちを討伐しなければ……っ!」
完全に狂った論理だった。
だが、プライドをズタズタにされ、恐怖と痛みに支配されていたエドワードにとって、マリアのその言葉は、自分の愚かさから目を背けるための「完璧な大義名分」に聞こえた。
「そ、そうだ……その通りだ! あの女は魔女だ! 公爵と結託し、王国を乗っ取ろうとしているテロリストに違いない!」
エドワードの目に、狂気じみた光が宿る。
「私の脚を撃ったのも、王位を狙う反逆の意志があったからだ! そうだ、そうに決まっている! 近衛騎士団長を呼べ!! 王太子の名において、オブシディアン公爵領への『討伐命令』を下す!!」
王国の正規軍たる近衛騎士団。
その全戦力を以てすれば、いくら公爵家といえどもひとたまりもないはずだ。
マリアはエドワードの胸に顔を埋めたまま、ドス黒い笑みを浮かべた。
(勝った……! 騎士団の総攻撃を受ければ、あの女も公爵も終わりよ!)
追い詰められたネズミたちが、己の命を縮める最悪の選択をした瞬間だった。
* * *
一方その頃。オブシディアン公爵邸、陽の当たる中庭。
そこには、王宮のドロドロとした陰謀劇とは無縁の、極めて平和(?)な光景が広がっていた。
「はい、こいこいじゃ。カレン、お前の負けじゃな。これで三連敗やで」
「あーっ! もうちょいで猪鹿蝶揃うとこやったのに! アネさん、絶対イカサマしとるやろ!」
「アホ言え、ウチがそんなセコい真似するかい。お前が顔にすぐ出るんが悪いんじゃ」
レジャーシートの上に胡座をかき、私とカレンは前世の記憶を頼りに錬金術師に作らせた『花札』に熱中していた。
モフモフの子竜の姿から極道美女に人化したカレンは、悔しそうに地団駄を踏んでいる。
「楽しそうだね、ハルコ。私もその『ハナフダ』という遊戯に混ぜてもらえないだろうか? 君にイカサマで身包み剥がされるなら、それも悪くない」
そこへ、ワゴンに最高級のフルーツタルトと冷たい果実水を乗せたユリウスが、優雅な足取りでやってきた。
相変わらず、裏社会のドンとは思えない甘い笑顔だ。
「おどれは頭の回転が早すぎるけえ、一緒にやっても面白うないわ。それより、王都の方の騒ぎはどうなっとる?」
私がタルトを一つ口に放り込みながら尋ねると、ユリウスはふっと目を細め、私の隣に腰を下ろした。
「ちょうど今、影から報告があったところだ。どうやらエドワードとマリアは、完全に理性を失ったらしい。我々が『国家反逆』を企てているとでっち上げ、近衛騎士団の全戦力を我が領地へ向かわせる手筈を整えたそうだ」
「近衛騎士団の全戦力やと? アホちゃうか」
カレンが呆れたように鼻を鳴らす。
「あのバカ王子、自分が夜会でアネさんにボコボコにされたん忘れとんのか? それとも、ウチのブレスで城ごと消し飛ばされたいんか?」
「本当に愚かなことだ。ハルコ、君が手を下すまでもない。彼らが我が領地の境界線を越えた瞬間に、私が魔法で騎士団ごと彼らを消し炭にして――」
「待て、ユリウス」
私はスッと手を上げ、ユリウスの恐ろしい提案を制止した。
「……なぜだ? 君の視界をこれ以上、あのゴミどもで汚したくないのだが」
「おどれが魔法で遠くから吹き飛ばしたら、ウチらがホンマに『国に牙を剥いたテロリスト』になってまうじゃろが。……民衆の反感買うような真似は、極道のスジに反する」
私は花札をパチンと重ね、立ち上がった。
太もものガーターベルトに収まった『無限トカレフ』の冷たい感触が、私の闘争心を静かに、そして確実に煽り立てる。
「アイツらが『大義名分』掲げて正面からカチコミに来るっちゅうんなら、こっちも正面から迎え撃ったるのが礼儀じゃ。公爵邸の門を開けて待っとれ」
「しかし、相手は王国最強の騎士団の全戦力だ。数千の兵力になる。いくら君の暗器が強力でも……」
心配そうに眉を下げるユリウス。その過保護っぷりには呆れるが、悪い気はしない。
私はユリウスのネクタイをグイッと引っ張り、その美しい顔を私の目の前まで引き寄せた。
「誰に向かって口聞いとんじゃ。ウチはハルコ・バイオレット。あんたが見初めた、極道の女じゃろ?」
「……ッ」
「数千の兵隊がなんぼのもんじゃ。ウチとカレン、そしてアンタがおれば、あんな烏合の衆、赤子の首捻るより簡単じゃろうが」
私が獰猛な笑みを浮かべて至近距離で睨みつけると、ユリウスは息を呑み……次いで、その青い瞳に狂信的な熱をボワッと灯した。
「……ああ、本当に。本当に君という女は……!!」
ユリウスは私の腰を強く抱き寄せ、そのまま私の額に、熱病に浮かされたようなキスを落とした。
「分かった。君の望む通りにしよう。我がオブシディアン公爵家の門を大きく開け放ち、あの無礼な豚どもを迎え入れようではないか。そして、彼らの掲げた安い大義名分ごと、君の力で粉砕してくれ」
「ヒュー! アネさん、やっと本気の喧嘩やな! ウチも血が騒いできたで!」
カレンが両手の拳を打ち合わせ、ボウッ、と真紅の炎を立ち昇らせた。
いよいよだ。
自分たちを「絶対的な正義」だと勘違いしているバカ王子と雌犬のプライドを、根底からへし折り、絶望のどん底へ叩き落とす時間。
「さあ、来いやバカ王子。ウチのシマの恐ろしさ、骨の髄まで叩き込んじゃるわ」
公爵邸の重厚な正門が、ゆっくりと音を立てて開かれていく。
嵐の前の静けさを破り、地響きのような騎士団の行軍の足音が、遠くから確実に迫ってきていた。




