EP 8
スパダリ公爵の静かなる逆鱗。裏社会の帝王による、完璧すぎる事後処理
翌朝。オブシディアン公爵邸の豪華なダイニングルームには、信じられないほど穏やかな朝の光が差し込んでいた。
「ハルコ。今日の目玉焼きは、君の好きな半熟に焼かせた。あーん、して口を開けてごらん」
「……おどれ、ウチの腕は両方ともピンピンしとるんじゃが。ナイフとフォークくらい自分で使えるわ」
「照れなくてもいい。君の美しい唇に私が直接食事を運ぶ、この至福の時間を奪わないでおくれ」
大きなマホガニーのテーブルの端。
私は呆れ果てながら、隣にピタリと座り込んで離れないユリウスをジト目で睨んでいた。
昨夜、あれだけのドンパチ(暗殺部隊の襲撃)があったというのに、この男は全く意に介していない。それどころか、私が無傷で敵を追い払ったことがよほど嬉しかったらしく、朝から異常なまでのデレデレ具合を発揮していた。
「ヒュー! アネさん、朝からアツアツやな! ウチの分の肉ももっと焼いてや!」
向かいの席では、極道ドレス姿の神獣カレンが、山盛りのステーキを幸せそうに平らげている。
「ホンマに、お前ら緊張感っちゅうもんがないんか……」
私が深々とため息をつきながら、ユリウスの差し出すフォークから渋々ベーコンを受け取ると、彼は「ああ、なんて愛らしい……」と本気で感動したようなため息を漏らした。
「さて、ハルコ。君とカレンはこの後、領地内の温泉へ視察に行くといい。私の馬車と護衛を出そう」
「温泉? 視察って、ウチが?」
「ああ。少し羽を伸ばしておいで。昨夜、庭にゴミが散らかって不快な思いをしただろう? 今日のうちに、私が王都周辺の『大掃除』を済ませておくから」
ユリウスは極上の微笑みを浮かべながら、優雅にナプキンで口元を拭った。
その言葉の裏にある『大掃除』の意味を、前世で極道の妻をやっていた私が理解できないはずがない。
つまり、昨夜の落とし前を、社会的な手段で一気に片付ける気なのだ。
「……やりすぎるなよ。ウチの楽しみ(カチコミ)まで奪うような真似したら、承知せんけえな」
「もちろんだとも。私はあくまで、君の歩く道に落ちている石を退かすだけさ」
私の手の甲に恭しく口付けを落とし、ユリウスはダイニングルームを後にした。
扉が閉まった瞬間、カレンがニヤリと笑う。
「アネさん、あの優男、ホンマにええ顔するようになりましたね。完全に『その筋』のモンですわ」
「ああ。アレは完全に、抗争に出向く前の組長の顔じゃったな」
私は残った紅茶を飲み干し、窓の外へ視線を向けた。
バカ王子と雌犬に、いよいよ本物の地獄が始まる。
* * *
公爵邸の地下、分厚い防音魔法が施された執務室。
ダイニングルームで見せていた甘く蕩けるような微笑みは、扉をくぐった瞬間に完全に消え失せていた。
「――報告しろ」
絶対零度の声が響く。
部屋には、オブシディアン公爵家が誇る裏の諜報部隊『影』の幹部たちが、冷や汗を流しながら片膝をついて並んでいた。
ユリウス・ヴァン・オブシディアンの青い瞳には、一切の感情がない。あるのは、己の逆鱗に触れた者への、底知れぬどす黒い殺意だけだ。
「はっ。昨夜、ハルコ様を襲撃した暗殺部隊への資金援助、および彼らを王宮へ手引きした黒幕のリストが上がっております」
影の一人が、震える手で羊皮紙を差し出す。
ユリウスはそれに一瞥をくれ、鼻で笑った。
「エドワードの取り巻きである伯爵家が三つ。そして……マリアの生家である男爵家、か。愚かな豚どもめ。私の女神の命を狙っておきながら、今日の朝日を拝めると思っていたのか?」
ユリウスは昨夜ハルコが奪い取った『黒犬のメダル』を机に放り投げた。
「合法的に潰す。第一陣として、まずはマリアの生家……あの強欲な男爵家の息の根を止めろ。我が公爵家の息がかかった商会を全て動かし、男爵家が抱えている負債を一斉に取り立てるのだ」
「し、しかし旦那様。彼らは現在、王家からの融資を頼りに強気な姿勢を崩しておりません」
「その王家の資金源である『グランツ商会』の帳簿は、すでに我々が押さえているだろう? 今日の正午をもって、グランツ商会が密輸に手を染めていた証拠を騎士団にリークしろ」
ユリウスの言葉に、影の幹部たちが息を呑む。
それはつまり、王家最大の金庫番を潰し、連鎖的にエドワード派閥の貴族たちを経済的な死へ追いやるという、王国の基盤すら揺るがす大粛清の合図だった。
「逆らう者は物理的に『排除』して構わない。徹底的にやれ。ハルコの美しい瞳に、二度とあのようなゴミ虫どもを映させるな」
「「「はっ!!」」」
影たちが一瞬にして部屋から掻き消える。
一人残されたユリウスは、ハルコの愛用している『無限トカレフ』の予備弾丸を愛おしそうに撫でながら、暗い悦びに唇を歪めた。
「さあ、泣き喚け愚か者ども。君たちが手を出した女が、どれほど愛され、どれほど恐ろしい存在の庇護下にあるのか……骨の髄まで教えてやろう」
* * *
その日の午後、王都は未曾有の大パニックに陥っていた。
事の発端は、マリアの生家である男爵邸での出来事だった。
「な、なんだお前たちは!? ここを次期王妃の生家と知っての狼藉か!」
男爵邸の広間で、マリアの父親である男爵が顔を真っ赤にして怒鳴り散らしていた。
彼を取り囲んでいるのは、柄の悪い屈強な取り立て屋たち。全員が、オブシディアン公爵家の息のかかった裏社会のゴロツキたちだ。
「次期王妃だァ? 笑わせんなよオッサン。エドワード殿下の金庫番だったグランツ商会は、ついさっき密輸の罪で騎士団に摘発されたぜ。王家の資金は完全に凍結だ」
「な、なんだと……!?」
「ってなわけで、お前さんがウチらから借りてた借金、今すぐ耳を揃えて返してもらおうか。あ、当然一括な。金がねえなら、この屋敷も領地も、全部カタにさせてもらうぜ」
取り立て屋のリーダーが、分厚い借用書の束を男爵の顔面に叩きつける。
「そ、そんな馬鹿な! 王家が、エドワード様が黙っているはずが……!」
「そのエドワード様の手足になって動いてた伯爵様たちも、今頃一斉に『脱税』やら『違法奴隷の所持』でしょっぴかれてる頃だ。もうお前らを助ける奴なんて、この国のどこにもいねえんだよ」
絶望的な事実を突きつけられ、男爵は糸の切れた操り人形のようにその場にへたり込んだ。
数時間前まで、娘が王妃になれば自分は国で一番の権力者になれると夢見ていた。
それが、たった半日で、一族全員が路頭に迷う一歩手前まで追い詰められたのだ。
「ひっ……あ、あ、あああ……!」
「ほら、さっさと荷物まとめて出ていけや。ここは今日から、オブシディアン公爵家の管理下になったんだよ!」
同じ頃、王宮のベッドで寝込んでいたエドワードとマリアの元にも、次々と絶望的な報告が飛び込んできていた。
頼みの綱だった暗殺部隊は音信不通。
資金源の商会は摘発され、派閥の貴族たちは次々と投獄されている。
「ど、どういうことだ……何が起きている!? ユリウスめ、私に本気で牙を剥くつもりか!」
エドワードは撃たれた脚の激痛に耐えながら、青ざめた顔で叫んだ。
マリアもまた、実家が借金のカタに差し押さえられたという知らせを受け、恐怖でガタガタと震えながら爪を噛みちぎっていた。
(なんで……なんでこんなことに! 私はただ、あの目障りな悪役令嬢を排除したかっただけなのに……!)
極道の妻を怒らせ、裏社会の帝王の逆鱗に触れた代償。
それがどれほど重く、取り返しのつかないものか。彼らはようやく、その真の恐怖を理解し始めていた。
* * *
夕刻。
公爵邸のテラスで、温泉視察から帰ってきた私は、湯上がりの火照った体を冷ましながら冷たい果実水を飲んでいた。
「アネさん、王都の方角、なんか煙上がってません?」
カレンが目を細めて遠くを指差す。
「ああ。どうやら『大掃除』が派手に終わったみたいじゃな」
私は笑みをこぼした。
王都に張り巡らされたユリウスの手際があまりにも見事すぎて、もはや感心するしかない。これなら、ウチの組の若頭を任せても十分にやっていけるだろう。
コツン、と。
背後から静かな足音が近づいてくる。
振り返ると、最高級の赤い薔薇の花束を抱えたユリウスが、極上の微笑みを浮かべて立っていた。彼の身なりには、血の匂いはおろか、埃一つついていない。
「ただいま戻ったよ、私の愛しきハルコ」
「おかえり。……えらいご機嫌じゃな。ゴミ掃除は済んだんか?」
私が問いかけると、ユリウスは薔薇の花束をそっと私の膝の上に置き、そのまま私の足元に跪いた。
「ああ。君の視界を汚すゴミどもは、もう社会的に立ち上がれないレベルまで丁寧に『洗浄』しておいた。エドワードもマリアも、今は孤立無援で震えていることだろう」
「相変わらず、えげつない男じゃ」
「君を守るためなら、国の一つや二つ、いつでも灰にして見せよう」
ユリウスは私の手を取り、その甲に深く、熱い口付けを落とした。
狂信的で、重すぎて、絶対に逃がしてくれない愛。
だが、なぜだろう。前世では鬱陶しいだけだったはずのそんな愛情が、今の私には、ひどく心地よく感じられた。
「さて。外堀は完全に埋まったで」
私はガーターベルトに仕舞い込んだ『無限トカレフ』の感触を確かめながら、不敵に笑う。
相手はもう、逃げ場のない檻の中のネズミだ。
あとは、彼らが完全に自暴自棄になって最後の牙を剥いてきたところを、正面から物理的に叩き潰すだけ。
「バカ王子と雌犬の断末魔、特等席で見せてもらうで」
「ああ。君の好きなように暴れておくれ。責任は全て、この私が持つ」
スパダリ公爵と極道の妻の、容赦のない【本格ざまぁ】へのカウントダウンが、静かに時を刻み始めていた。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




