EP 6
雌犬の浅知恵と夜の訪問者。ウチのシマに手ぇ出すなら、命がけで来いや
王都、豪奢な王宮の一室。
「痛い、痛いぃぃっ! 私の脚がぁぁっ!」
最高級の羽毛布団の上で、醜く顔を歪めて泣き喚くエドワード王子の姿を、マリア男爵令嬢は冷ややかな目で見下ろしていた。
(ああ、本当にうるさいわね。使えない男……)
表面上は「エドワード様、可哀想に……」と大粒の涙を流して同情を引いているが、マリアの内心は苛立ちで煮えくり返っていた。
男爵家という低い身分から這い上がるため、この単細胞な王子に色仕掛けで近づき、まんまと婚約者の座を奪い取る寸前までいったというのに。あの憎きハルコ・バイオレットのせいで、全てが台無しだ。
(あの女、公爵令嬢のくせに野蛮な暗器を使って……! 殿下も殿下よ、あんな鉄の筒一つで泣き喚くなんて。次期国王の威厳も何もないじゃない)
マリアにとって、ハルコは昔から目障りな存在だった。
生まれながらにして高い身分を持ち、美しい容姿と、凛とした気高さを持つ公爵令嬢。自分のような泥水をすするような努力をしなくても、全てを持っている女。
だからこそ、王子を奪い、偽の罪をでっち上げて社交界のどん底に突き落としてやる計画だったのだ。
(それなのに、あの忌々しいユリウス公爵まで味方につけて……おまけに伝説の神獣まで。許せない。絶対に許さないわ)
マリアの瞳に、ドス黒い嫉妬と野心が宿る。
彼女はすでに、エドワードの持つ権限を勝手に使い、王家直属の裏暗殺部隊『黒犬』に命令を下していた。
『オブシディアン公爵領に潜入し、ハルコを暗殺しろ。そして、あの赤い神獣を捕らえて私の元へ連れてきなさい』と。
(ふふっ、いくら公爵家でも、王家の精鋭である暗殺部隊の闇討ちからは逃れられないわ。ハルコが死ねば、悲しみに暮れるユリウス公爵を私が慰めてあげる。あの冷酷な公爵様も、私の魅力には抗えないはずよ)
己の浅はかな妄想に酔いしれるマリア。
彼女は知らなかったのだ。自分が手を出した相手が、決して怒らせてはいけない『極道の女』であり、その女を狂信的に愛する『裏社会のドン』であることを。
* * *
翌日の深夜。
オブシディアン公爵領を囲む深い森の中を、音もなく駆け抜ける二十の影があった。
王家直属の暗殺部隊『黒犬』。
全員が高度な隠密魔法と、一撃必殺の毒刃を扱うプロフェッショナルたちだ。
「……隊長。おかしいです。公爵邸の周囲に、警備の姿が全くありません」
部下の一人が、隊長に小声で報告する。
隊長は覆面の下で鼻で笑った。
「フン、所詮は地方の貴族の館だ。我ら『黒犬』の隠密行動に気づく術などあるまい。ターゲットはハルコ・バイオレット。たかが小娘一人、寝首を掻くなど造作もないこと。行くぞ」
彼らは公爵邸の高い塀を軽々と飛び越え、広大な中庭へと侵入した。
月明かりすらない漆黒の闇。
館の灯りは全て落ちており、静まり返っている。
(もらった。このまま二階の寝室へ――)
暗殺者たちがそう確信し、館の外壁に取り付こうとした、まさにその瞬間だった。
バチィィィィィンッ!!!!
「なっ!?」
「うおっ!?」
突如として、中庭を取り囲むように設置されていた数十個の魔石ランプが、太陽のように強烈な光を放った。
暗闇に慣れきっていた暗殺者たちの目が眩み、思わず顔を覆う。
そして、白夜のように照らし出された中庭の中央。
そこには、彼らの常識を完全に破壊する光景が広がっていた。
「……遅かったのう。待ちくたびれて、紅茶が冷めてしもうたわ」
豪奢なアンティークチェア。
そこに、深いスリットの入ったドレス姿で深々と腰を掛け、優雅に足を組むハルコの姿があった。
右手には、青く発光する幾何学模様が刻まれた、黒光りする『無限トカレフ』が握られている。
その隣には、極道ドレスを纏った絶世の美女――神獣カレンが、「やっと来よったか、ド三流どもが」と腕を組んで凶悪な笑みを浮かべていた。
さらに、彼らを見下ろす二階のテラス。
そこには、最高級のワイングラスを片手に持ったユリウス公爵が、まるで劇場の特等席で喜劇でも観るかのような、極上の微笑みを浮かべて立っていた。
「な、なんだこれは……!? 待ち伏せだと!?」
隊長が慌てて毒刃を構え、部下たちに散開の指示を出す。
だが、ハルコは立ち上がることもなく、ただ冷たい目で見下すように暗殺者たちを睥睨した。
「王家の犬コロども。おどれら、ここが誰のシマか分かってて足踏み入れたんか?」
ドスを利かせた広島弁が、夜の静寂に響き渡る。
ハルコから立ち上る、血の海を渡り歩いてきた者特有の『本物の殺気』に、歴戦の暗殺者たちでさえ一瞬、背筋を凍らせた。
「ええ度胸しとるのう。ウチのタマ(命)獲りに来たんやったら、当然、自分のタマも置いていく覚悟はできとるんじゃろうな?」
「ほ、ほざけ! たかが令嬢一人と、女に化けた魔物一匹! 我ら『黒犬』の敵ではない! やれっ!!」
隊長の号令と共に、五人の暗殺者が同時に地面を蹴った。
前後左右、そして上空からの完璧な同時攻撃。
常人ならば反応することすらできずに肉片にされる絶望的な包囲陣。
だが、ハルコは一切表情を変えなかった。
「……カレン」
「おうさ、アネさん!」
カレンが一歩前に出る。彼女は武器を抜くこともなく、ただ無造作に右腕を振るった。
ブンッ!!
それだけで、凄まじい暴風の塊が発生し、上空と左右から迫っていた三人の暗殺者が、見えない巨大なハンマーで殴られたように吹き飛ばされた。
「ぎゃあああっ!?」
骨の折れる鈍い音と共に、三人は数十メートル先の庭木の幹に激突し、そのまま白目を剥いて崩れ落ちる。
「な、なんだと……!? 魔法の詠唱もなしに!?」
驚愕する隊長の隙を突き、正面から迫っていた残り二人の暗殺者がハルコの首筋に毒刃を振り下ろす。
「死ねぇっ!」
「……ハエがうるさいのう」
ハルコは椅子に座ったまま、一切の無駄のない動きで右手のトカレフを真上に向けた。
チャカッ。
狙いも定めない、ただの威嚇射撃。
しかし、その銃口から放たれたものは、これまでの鉛玉とは次元が違った。
ズドォォォォォォォォォンッ!!!!!
ユリウスの莫大な魔力と錬金術の粋を集めた『魔力弾』。
銃口から放たれた青白い光の奔流は、大砲などという生易しいものではなかった。
まるで小型の隕石でも落ちたかのような轟音と衝撃波が中庭を吹き荒れる。
放たれた光の弾丸は、暗殺者たちの頭上を掠め、遥か後方にある公爵邸の分厚い外壁と防壁魔法を、文字通り『消滅』させたのだ。
「――――ッ!?」
暴風が収まった後。
暗殺者たちは、自分たちの背後にぽっかりと開いた、直径十メートルはあろうかという巨大なクレーターを見て、全員が石像のように固まった。
「……あ、あ、あ……」
毒刃を振り下ろそうとしていた暗殺者の手から、カラン、と短剣が滑り落ちる。
もしあの銃口が、あと数センチでも自分たちに向いていたら。
血の一滴、骨の欠片すら残らず、この世から消滅していた。その事実を脳が理解し、極限の恐怖で腰から崩れ落ちた。
「ひゅーっ! さすがユリウスの旦那がカスタムしただけあるわ。えげつない威力やな!」
カレンが口笛を吹いて囃し立てる。
二階のテラスでは、ユリウスが恍惚とした表情でワイングラスを傾けていた。
「ああ……美しい。君のその容赦のなさと圧倒的な暴力、まさに私の女神だ」
ハルコは立ち上がる硝煙をフッと吹き消すと、椅子からゆっくりと立ち上がった。
そして、絶望と恐怖でガタガタと震える暗殺部隊の隊長に向かって、ゆっくりとヒールの音を響かせて歩み寄る。
「さあて。威嚇はここまでじゃ」
ハルコは、青い光を帯びたトカレフの銃口を、隊長の額にピタリと突きつけた。
極道の妻の、獰猛で、血に飢えた笑みが浮かぶ。
「ここから先は、ウチらなりの『おとしまえ』の時間じゃ。たっぷり可愛がったるから、歯ぁ食いしばれや」
王家の精鋭部隊が、ただの獲物へと成り下がった瞬間だった。
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