EP 2
狂気の求婚と合気道。黒曜石の公爵は極道の女に跪く
パチパチパチパチ。
静まり返った大広間に、場違いなほど優雅な拍手が響き渡る。
視線を上げると、二階のバルコニーから一人の男が私を見下ろしていた。
夜の闇を溶かしたような漆黒の髪に、すべてを見透かすような氷のように冷たい青い瞳。
整いすぎた美貌は彫刻のようだが、その奥に潜む気配は、前世で私が嫌というほど見てきた『裏社会のトップ』そのものだった。
しかも、ただのトップではない。他人の命をチップ程度にしか思っていない、本物の化け物の匂いがする。
(……なんじゃ、あの男。只者やないな)
私が油断なく『無限トカレフ』の銃口を下ろさずにいると、床で血溜まりの中でのたうち回っていたエドワードが、バルコニーの男に気づいて金切り声を上げた。
「ユ、ユリウス公爵……! 何を見ている、早くその狂った女を殺せ! 殺して私を助けろぉぉっ!!」
鼻水と涙で顔をぐしゃぐしゃにした次期国王の情けない叫び。
それを合図にしたように、恐怖で硬直していた近衛騎士たちが我に返った。
「で、殿下をお守りしろ!」
「相手は令嬢一人だ、魔法も使っていない! 取り押さえろ!」
ガチャガチャと甲冑を鳴らし、十数人の重武装の騎士たちが一斉に抜剣して私に殺到してくる。
私は深くため息をついた。
「ほんま、学習能力のないアホばっかりやな」
チャカッ、とトカレフの安全装置をかけ、太もものガーターベルトに再びねじ込む。
銃を使ってもいいが、これだけの人数を相手にドンパチやれば、ドレスが返り血や硝煙で汚れてしまう。せっかくの最高級シルクがもったいない。
「死ねぇっ、悪役令嬢!」
先頭の騎士が、大上段から長剣を振り下ろしてくる。
私は一歩も下がらない。逆に、剣の軌道へと吸い込まれるようにスッと半歩前に踏み込んだ。
「なっ……!?」
「大振りすぎるわ、ボケ」
振り下ろされる剣の側面を手の甲で軽く叩き、軌道を僅かに逸らす。
そのまま騎士の腕の関節に自分の腕を絡め取り、相手の前進する勢い(ベクトル)を殺さずに、円を描くように誘導した。
合気道・四方投げ。
力は一切使わない。相手の突進力を、そのまま相手の体へと返すだけだ。
「が、ああっ!?」
騎士の巨体が自らの勢いで宙を舞い、大理石の床に背中から激突する。同時に、ゴキリと肩の関節が外れる鈍い音が響いた。
「ひぃっ!?」
「止まるな、囲め! 囲んで串刺しに――」
「遅いわ」
二人目、三人目の突きを、私はドレスの裾を翻しながら水のように躱す。
手首を捕らえ、小手返しで手首の関節を極めながら、もう一人の膝の裏をヒールで強かに蹴り抜く。
「ぎゃあっ!」
「ごふっ!」
二人の騎士がもつれ合って倒れ込む。
打撃による力技ではない。流れるような円運動で、相手の重心を次々と奪っていく。
前世で道場の師範に「お前の合気道は実戦に寄りすぎている」と呆れられた、私流の関節技のオンパレードだ。
「おいおい、王家の近衛騎士ゆうたら、国で一番強いんとちゃうんか? こんなんじゃ、ウチのシマの若い衆のほうがまだ骨があるで」
涼しい顔で言い放ちながら、私は最後の騎士の腕を極め、うつ伏せに床へ押さえつけた。
「ぐぎぎぎ……っ! 離せ、この悪魔……!」
「口の利き方に気ぃつけや。ウチは仏のハルコって呼ばれるくらい温厚なんやから」
少しだけ関節の角度をキツくしてやると、騎士は白目を剥いて気絶した。
ものの数分。
十数人のエリート騎士たちが、たった一人のドレス姿の令嬢によって、全員床に転がされて呻き声を上げている。
大広間は、文字通り水を打ったような静寂に包まれていた。
貴族たちは息をするのも忘れたように、ただ震えながら私を見ている。
「ふぅ……ちょっと汗かいたわ」
私が乱れた髪をかき上げた、その時。
コツン、コツン、と。
バルコニーから降りてきたあの男――ユリウス公爵が、悠然とした足取りでこちらへ歩いてきた。
彼が歩を進めるたび、周囲の貴族たちがモーセの十戒のようにサッと道を開ける。誰もが彼の冷気のような威圧感に怯えていた。
「ゆ、ユリウス……! よく来た、早くその女を……!」
エドワードが床を這いながら、助けを求めるようにユリウスの靴に手を伸ばそうとする。
しかし、ユリウスはその血まみれの手を、冷酷な目で一瞥した。
「……触れるな、豚」
氷の刃のような声。
「えっ……」とエドワードが呆然とする中、ユリウスは無造作にその手を革靴で踏み躙った。
「ぎゃああああああああっ!?」
「静かにしろと言っているのだ、エドワード殿下。あなたのその下品な悲鳴は、私の耳をひどく不快にさせる」
次期国王の指を踏み砕きながら、ユリウスは表情一つ変えない。
その異常な光景に、私は思わず目を細めた。
(……こいつ、完全に『こっち側』の人間やな)
ユリウスはエドワードをゴミのように蹴り除けると、私の目の前でスッと立ち止まった。
長身の彼を見上げる形になる。
警戒し、いつでもガーターベルトのトカレフを抜けるように重心を落とした私に対し、彼はふわりと、この世の何よりも甘い微笑みを浮かべた。
「素晴らしい」
甘く、低い声が鼓膜を撫でる。
彼は私の右手をそっと取った。騎士を投げ飛ばし、少し埃のついた私の手を。
「魔法も使わず、ただ己の肉体と技のみでこれほどの男たちを制圧するとは。しかも、あの得体の知れない暗器の威力……そして何より、権力に屈しないその気高い『スジの通し方』」
ユリウスはひざまずき、私の手の甲に恭しく唇を落とした。
チュッ、というリップ音が、静まり返った広間にやけに大きく響く。
「なっ……あんた、何しとん――」
「ハルコ・バイオレット嬢。いや、私の美しき極道と呼ぶべきか」
彼は狂信的な熱を帯びた青い瞳で見上げてきた。
「私はずっと探していた。この退屈で腐りきった国を共に壊し、私の隣で嗤ってくれる『本物の淑女』を。君こそが、私の探し求めていた完璧な女だ」
「……は?」
「私の妻になってくれ。君の望む通りに、この国を君の好きな色に染め上げよう」
血の海と化した婚約破棄の会場。
呻き声を上げる元婚約者と騎士たちを背景に、王国の裏社会を牛耳る冷酷公爵から、狂気じみたプロポーズ。
(……なんじゃこの男。前世のウチの組長よりイカれとるやないか)
私がそのあまりの展開に呆れ返り、口を開きかけた、まさにその瞬間だった。
――ズドォォォォォォンッ!!!
突然、大広間の分厚い壁が、爆発したように吹き飛んだ。
「きゃあああああっ!?」
「な、なんだ今度は!?」
もうもうと舞い上がる砂埃。
吹き荒れる突風がシャンデリアを激しく揺らし、貴族たちが悲鳴を上げて逃げ惑う中、瓦礫の山を踏み越えて『それ』は現れた。
圧倒的なプロポーションを包む、極彩色に彩られた極道風の着物ドレス。
頭には立派な二本の真紅の角を生やし、背中には巨大な竜の翼を揺らした、絶世の美女。
伝説の神獣『紅蓮竜』が人化した姿であり、私が異世界で最初に出会い、盃を交わした義理の妹分。
「アネさん!!」
神獣カレンは、周囲の惨状と私にひざまずくユリウスを見て、その赤い瞳をギラリと光らせた。
「ウチのアネさんに、手ぇ出しとる命知らずのドアホはどいつじゃあッ!!」
怒気を含んだ神獣の咆哮が、大広間のガラスというガラスを粉々に砕き散らした。
読んでいただきありがとうございます。
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