8話 洗礼
鬱蒼と緑が茂る森の中、常に森を満たしている風のざわめきとは異なる異音が響き渡った。
「"山下る風は雲を持たず雨を持たず水を持たずが故に瓶を干上がらせていくもの。
ただただ野火を煽り立てる厳しき木枯らし。
一面焼く炎は新たな風を呼び込み全てを焼き尽くす熱き風なり。
ああ燎原よりいでし風よ、生まれのごとく温乾をもたらせ!" 【ブロー・バーン】!今よ優等生さん!!」
魔導神官の放った灼熱の風が、活発に歩き回る等身大キノコの放った毒胞子を焼き押し流して無力化する。
この毒胞子は熱で毒性を失う性質を持つらしい。
しかし先に行った突貫では、メイスがキノコの傘を叩き潰すよりも先に新たな胞子の散布があった。
(このまま突っ込んでもさっきみたいにカウンターを食らいかねない……だったら!)
キノコの魔獣マタ・マタリが熱風で声もなく怯んだのを見て取ったアンジェはその体に魔力を練り高めていく。
励起した魔力が、この世全てが思い通りに行くような全能感をアンジェにもたらす。
しかしてそれは偽りの全能感。
この技術を修めた者はこの全能感に囚われずねじ伏せなければならない。
すなわち、ホーンドギガンティアに放ったような小技とは異なる本気の魔術。
「"――私は祈る。霜付く六花よ咲き誇れ"【氷青華】!!」
言葉そのものに意味はなく、されど己のイメージに寄り添う己のためだけの詠唱が少女の喉を震わせる。
瞬間、今はメイスを握っていない新米ハンターの右手に雪の結晶を模った、青く輝く円盤が現れた。
神官の少女が振りかぶった腕の動きに合わせて放たれたそれは、マタ・マタリの傘に突き刺さり音を立ててキノコの全身を霜で覆い、芯まで凍てつかせる。
――自明の理だが、凍りついた物は新たに何かを発することが出来ない。
それを確認するやいなや、弓から放たれた矢のように勢いよく魔獣に駆け寄ったアンジェは今こそメイスを振り上げた。
◇
「今のって氷雪系術式よね?
ひゃ〜骨の髄まで凍りついてるんじゃないかしら。
ある程度深く凍らせる位なら見たことあるけどここまでのは初めてね」
「まぁ中位認定も取れたそれなりに自信のある術だったので。
それにしてもキノコに骨なんてあるですかね?」
「魔獣だしあってもおかしくはないけどね。
カルシウムじゃない骨を持ってたりするのが魔獣だもの。
これでキノコは10体目かしら。
どう?初めての森の感想は。思ってたより楽で拍子抜けでしょ」
「そうですね……これだったらちゃんと準備して次辺りは一人で森の浅瀬に来ても大丈夫かもですね」
「その時もし強そうな魔獣に出会したら、背中向けて逃げちゃだめよ。
獣の習性として逃げるものは追いかけちゃうから」
あの後、エミリーからの提案もあってアンジェは森に様子見がてら挑むことにした。
単独でなければある程度安全に森の雰囲気を知ることはできるし、なにより先輩ハンターから実際に森の歩き方を教わる機会を見逃すには惜しいものだ。
「さっきみたいに熱風術式覚えてたら森に多い虫や植物系には有効よ。
私だったら【ブロー・バーン】――あなたならどう料理する?」
「熱風ですか……まだ火炎系は初位で全然省略出来てないですけど、ちょい緩い感じでやればいいかな?
"――私は祈る。一重二重九重と、巡り廻りて祭祀を成すは炎の民。
縒われし血潮は赤き舌、束ねし熱は赤き陽炎。
焔の吐息よ嘗め尽くせ" 【紅吐息】
……とまあこんな感じです」
「……なによ充分短いのにしっかり発動出来てるじゃない」
「ほんとは火炎放射なんですけどね。即興で炎の具現を行わずにやってるんでまだムラが大きいのが恥ずかしいです」
「や、普通は炎を具現化する方が難しいからね?」
動く等身大毒キノコを仕留めた二人は今、森の少し開けた場所で小休止を取っていた。
エミリーの話によるとこの辺りには今のところ魔獣の反応はないらしい。
とはいえここは危険な森の中。
浅瀬を漁るなら常に草原が見えるような距離を意識するのがコツなのだとか。
アンジェが座りが悪いかのようにしきりに耳を弄っていると、革製の水筒で唇を湿らせたエミリーが話しかけてきた。
「あまりピアス触らないほうが良いわよ。
傷口は回復術かけて安定させてるけど、腫れたりすることもあるから」
「です……よね。すみませんなんか、魔導具とはいえピアスなんて着けるの初めてで」
「別に構わないわよその程度。そのピアスがあれはもし逸れても場所がわかるから、森歩きするにはもってこいでしょ?」
「心強いですけど、私の方はエミリーさんの居場所探す方法がないんですよね……」
森に挑むにあたってエミリーからつけるように渡されたピアスが中々しっくりこない。
しかしエミリー曰く、このピアスには広範囲探知魔術にも引っ掛かりやすいように特別な仕掛けがしてあるらしい。
革製の水筒を掲げて一口いかが?と尋ねられるのを一先ず辞退しておく。
自分の分はまだあるし、そもそも喉はそれほど渇いていない。
それを受けたエミリーは水筒を仕舞い込むと気の抜けた素振りを見せながら話を続けた。
「まさか探知も出来ないとは思ってなかったわね。
それでも流石というべきかしら……噂通り魔術の腕もいいし早速先輩ハンターとして教えられることが無くなりそうだわ」
「え、噂って何のことです?別に目立つことはまだしてない筈ですけど」
「まぁね。でも[円在教]縁故のハンターには注目の的よ。
将来有望な魔導神官がハンターになったって」
「……別にあたし自身はそこまで優秀とは思ってないんですけど。
そりゃ自分で言うのもなんですが、成績は良かった方ですけどトップ層って訳でもないですし。
それにそこまで騒ぐ事なんですかね?
ユーラさんみたいに、ハンターになる前から優秀で、功績積み上げて聖女になった人も居るのに」
「あーいう規格外の聖女様達は教導課程中から良くも悪くも目立つものなのよ。
あー教会内で大人しく収まるような性格してないなぁって。
でも貴方の場合はまず内部で幹部になると思われてたもの。
そんな良い子ちゃんがハンターなんて目指すっていうんだからギャップがね」
そんなもんですかね?と首を傾げながら森の奥に視線をやって立ち上がる。
エミリーの説明はいまいち腑に落ちないが、噂なんて所詮そんなもの。
大したことない内容が何故か広まるし、何故広まったのかその理由だって断定出来るとは限らないものだ。
「さて、そろそろ戻りませんか?戦果はそこそこありますし、余裕ある内に戻っておきたいですし」
「そうね、疲れ切ってから帰ったら道中襲われたら困るものね。その判断はなかなか良いわねアンジェさん──でもその前に」
音もなく腰を上げたエミリーは長杖を片手にじっと森の奥一点を鋭い目で睨みつける。
神官服で見ることはできないが、膝を曲げて腰を落してすぐに動けるようにしているみたいだ。
そのままゆっくりとハンドサインでアンジェに指示を出すと、アンジェもまた静かにメイスを構えてエミリーの前に歩を進めた。
魔力を巡らせて回路を動かし、『評価値』を引き上げる。
「……」
「……」
何者かが接近中、正体不明、少なくとも魔獣ではない。
エミリーのハンドサインはそう物言わずに物語っていた。
今も指差された森の奥からは何の音も聞こえず、怪しい影も見当たらないが彼女が何かを感じたのならば何かがあるのだろう。
おそらくは人、それも同業者であるハンター。
しかし、エミリーの探知系魔術の精度をアンジェは知らないし、エミリー当人が誤認の可能性を否定しなかった。
魔獣の可能性は小さくても捨てきれない。
また、人であってもハンターを狙う野盗紛いの可能性もある。
どうせ善良な人物だったら謝れば済む話だ。
警戒するに越した事はない。
やがて二人の神官が見つめる先、木々の隙間に茂る草ががさりと一度大きな音を立てると――ひょっこりと二十代半ばほどの男が顔を出した。
藪から顔だけをだした男はおどけた様子で、
「……」
「おっとー?探知に反応があったから来てみれば歓迎されてないご様子で。
アンタら[円在教]の神官ハンターか?」
「ええそうよ。そっちのあなたは何者?
間引きやってる腕利きのハンターには見えないけれど、まさか同業狩りじゃないでしょうね」
「ハンッ、失礼だな。こんなスマイル紳士が追い剥ぎなんてするかってんだ。
間引きのおこぼれ狙いだよ俺も。
武器を下ろしてくれよゆっくり話もできやしねぇ」
なにやらウインクを飛ばしてくるが警戒を解く訳にはいかない。
アンジェにはまだハンターの良し悪しを見る目は養われていないが、その後ろで構えを取っている先輩ハンターが今だに警戒をしている時点で油断できない。
「だったら藪から出てきたらどう?
それとも紳士さんは女の子の前に出られない格好でもしてるのかしら」
「アンタは兎も角、そっちのおっぱいのでかい嬢ちゃんになら是非見てもらいたいモノならあるけどよ。
……そう睨むなってほんのジョークだろジョーク」
ワタクシ、アンジェは受けたセクハラには断固とした態度で臨みます。
そんな意志を視線に込めながら男を睨んでいると、やがて観念したのかガサゴソと男が藪から身を乗り出してきた。
それまで藪から顔だけ出していた男は、板金で要所を守った革鎧を装備していた。
腰に帯びた剣の他に、鞭や投げナイフなどを身に纏っている様だ。
男は腰に差した剣を取り出すと、剣半ばまで剣を抜いてから改めてキィンと音を立てて剣を鞘に納めて腰に差し直す。
いつ魔獣に襲われるかわからない魔獣領域では、そう簡単に武装解除が出来ない。
そんな中で敵意がないと示すための行為だ。
見ることは出来ないが、エミリーが背後で何かしらの動作をした様子なのでアンジェもまた、敵対するつもりはないというポーズを取ることにする。
メイスを地面に突き立てて一旦手を離し、改めてメイスを引き抜く。
するとようやくその場を支配していた緊張感が解れていくのが感じられた。
「で?結局誰なのよあなたは」
「俺か?硝子等級ハンターのボウザンだ。
よろしくな神官の嬢ちゃんたち……あーなんて名前だ?」
「私はエミリー、でそっちの子はアンジェ。見ての通りどちらも[円在教]の魔導神官よ」
「……どうもよろしく」
硝子等級と言うと、たしか石等級から一つ昇級した位置だった筈だ。
一人前のハンターと呼ぶには今一歩足りない立ち位置ではあるものの、少なくとも石等級や木等級よりも格上のハンターということになる。
とりあえず紹介に合わせて頭を下げると、何が面白いのかボウザンはヒゲの生えた顎を擦りながら何かを見透かすような目で、
「やっと喋ってくれたか嬢ちゃんは。まだ新人か?」
「ええそうね。だからこうして色々と教えてるところよ。
と、言ってもほとんど注意することもない優秀な子だけどね」
背後にいるエミリーから肩越しに投げられる評価の言葉がくすぐったい。
「別に……エミリーさんの教え方のおかげですよ」
「そう?なら嬉しいわね」
「とはいえまだまだカタいな。森歩きに慣れてないのが丸出しだ」
やれやれと呆れた様子で肩を竦めるボウザンの様子が癪に障る。
表情に若干の険が入ったアンジェの背後には、アンジェを宥めるためか、がさりと音を立てながらエミリーが近づいてきているようだ。
「あたしのどこがまだダメなんですか?
よかったら教えてほしいんですけど」
「勉強熱心だな。優等生か?」
「そんなツッコミ求めてないんで」
ボウザンは軽く息を吐くと指を立てながら、
「まずは手足に力が入りすぎだ。そんなんじゃ咄嗟に動けないぜ」
なるほど確かに。
言われてみれば手足に力が入って強張っているような気がする。
目の前の男も実際に見てみると、手の先はヒラヒラとそこまで緊張している様子ではないようだ。
「まぁそんなもんは経験つみゃ、どん位がいいのか分かるようになるさ。
あとは目だな」
「目、ですか?」
「俺のことをまだ警戒してんのはいいんだけどよ。
俺をじっと見ては時々辺りに視線を散らしてる。
警戒するのに目に頼りすぎだボケ。
木々の多い森の中では目だけじゃなくて、耳や鼻使って周りを探るもんなんだよ」
ボケ呼ばわりされるがぐうの音も出ない。
実際にボウザンに集中してしまっていて、音については気にしていなかった。
周りには自分よりも上の先輩ハンターが居る。
そのことに頼り切ってしまっていたのだろう。
アンジェは自戒の意もこめながら、
「……すみません。ちょっと失礼でしたね」
「構わねぇよ新人ってのはそんなもんだしな。
……そうだな。言っておくとすりゃあ森で音がしたら軽くそっちを目で確認したほうがいい。
仲間が居る方向ってわかっててもな」
「それはどうしてです?
というか、目に頼るなっていうのと正面衝突してますけど」
「情報は複数筋から裏取りしろってことだよマヌケ。
理由としちゃ一つは悲鳴もなく仲間が魔獣に食われしまっている場合があるってことだ。
仲間の安否確認は重要だぜ。
もう一つは……」
アンジェのすぐ後ろでがさりと草が踏みしめられる音がする。
そっちにはエミリーが居たはずだが、アンジェの背後が見えているボウザンに慌てた様子がないからエミリーがきちんと警戒してくれているはずだ。
とはいえ聞いたばかりの助言もあることだしと、アンジェは振り返ってそちらを見ようとする。
「もう一つは仲間が裏切る場合があるって話だ。
特に新人はカモだからな」
瞬間、何か硬いものがアンジェの頭蓋を大きく揺さぶると共に、衝撃と痛みがアンジェの体を支配した。
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