36話 模擬戦・前
「お金がない……!」
「さよか」
災獣討伐から数日後、アンジェはリビングで嘆いていた。
お金がない。まったく、なんて嫌な響きなのだろう。恐らく道行く人々に尋ねてみても、十中八九は同意を得られる素敵な呪文だ。
だと言うのに、リアはちっとも興味を向けてくれない。
「……ちょっと。そこはさよかで流すとこじゃないでしょ。共感してよこの苦悩……!」
「んなこと言われてもな。魔術協会への美珠の卸とかハンター業の収入とかでオレの懐は潤ってるし」
「このブルジョワジー!」
「うるせぇ家賃生活費取んぞ」
「ぐぅ……!」
読んでる本から目線を逸らすことなく放たれた一言に、ぐうの音も出ない。……正直なところ、生活費なしという温情にはものすごく助けられているのだ。収入が出来高次第というハンター業において、家賃生活費ゼロで住まわせてもらうことの意味は大きい。その分のお金を装備などに回せる上、生活の不安がないのだ。それこそ、足を向けて寝られない程度には恩を感じてはいる。
「そもそもだ。一日だけの戦果とはいえ遠征の分け前はあったんだろ?何に使ったんだよ」
「それは………………ちょっと欲しい装備があってさ」
えへへ……と可愛らしく微笑んでみるが、リアの反応は薄い。ちょっとは気にかけてくれてもいいのに。
「ならその装備担いで森の浅瀬でキノコ狩りでもやっとけよ。小遣い程度にはなるだろ」
「……なら一緒に行ってくれる?」
「誰が行くかよ、ンなしけた狩場」
ホラこれだ。これでは何のためにパーティを組んだのか分かりはしない。
「せっかく同じパーティなのに……」
思ったことをそのまま呟くと、渋面なリアがようやくこっちを向いた。
「あのなぁ……ハンターってのはパーティ組んでようが基本的には個人業だぞ。クランならまだ分かるが、ウチはそこまで大規模じゃない。甘えんな」
「それは……そうだけどさぁ……もっとこう、新人を育てる気概というかなんというか」
「それを新人の側から言うかね……まぁ言いたいことはわからんでもないけどさ。ノンナが無事なら二人で送り出すんだが」
パタリと、リアが読んでいた本を閉じると共に会話が途切れた。このリビングには今、ノンナは居ない。自室のベッドの上で今も寝ているはずだ。
「……ノンナってさ。大丈夫なの?」
「自分で認識できねぇ帯域外の魔力の使いすぎだな。しばらく安静しとけば治る」
「……そっか」
あの日、ノンナは限界までアーティファクトを使っていた。そのせいだろうか、ノンナは必要最低限のとき以外はずっと寝て過ごしている。そのことには責任を感じているし、恩に報いるためにも強くなりたい。そしてそのためには、今更森の浅瀬で一人狩りをしている場合ではないのだ。
「オレが魔力を供給してやってもいいが、それだとノンナのためにならん。帯域外の魔力が枯渇してるってことは、その帯域の魔力を掴むチャンスでもあるんだ。何よりあいつには休みが必要だ。問題はそれより……お前だアンジェ」
「あたし?」
「本当なら一週間みっちり遠征で仕込んで貰うつもりだったんだよ」
「途中で終わっちゃったもんねー」
「ザンデン達ももう予定入ってるしな……しょうがない」
本を机の上に置いたリアが立ち上がり、今度は真剣な顔を見せた。
「模擬戦すっかアンジェ。オレとお前とで」
□■□■
「ルールはそうだな……オレに一撃入れろ。そしたらご褒美プレゼントだ」
昼過ぎ、パリストン草原に二人は居た。
リアは枯草色のローブに長杖。
そしてアンジェはいつもの神官服風の作業着を着ていた。
しかし、いつものメイスとは異なり小振りの杖を握りしめている。
「早速、この新調した杖の出番ね。方法は何でもいいの?」
「構わねぇ。そしてルールその二、お前の攻撃に対して、オレは【水晶壁】しか使わねぇ」
「…………」
【水晶壁】……エミリーやブイヤールも使っていた一般防御術式。その防御力には何度も救われた。しかし、リアの干渉術式が低威力なのは知ってはいるが、防御だけで演習になるのだろうか?
「ルールその三は……オレが立ち止まっている限り別の術式を使う。お前はそれをさせないように立ち回れ。以上だ」
「……それだけ?」
「それだけ。でもまぁ今のお前には難しいんじゃねーかな」
鼻で笑うリアの態度に少しムッとくる。これは遠征で成長した自分を見せつけてやる価値が大いにありそうだ。
「ふーん……随分と甘く見られたものね」
「見返してほしけりゃ実績示せ」
「望み通り見せてあげる……!
"――私は祈る。一重二重九重と、巡り廻りて祭祀を成すは炎の民
縒われし血潮は赤き舌、束ねし熱は赤き陽炎
焔の吐息よ嘗め尽くせ" 【紅吐息】!!」
「"——壁よ在れ"【水晶壁】」
まずは小手調べ。握りしめた霊木製の杖から放たれた炎の奔流がリアへと迫り、現れた透明な壁に防がれた。
「まだまだ!"――都度願う。霜付く六花よ咲き誇れ"【氷青華】!!」
アンジェの掲げる手のひらの上に六花の円盤が生じる。それを投げつけると、【紅吐息】を防いだのとは別の【水晶壁】により氷の円盤はあらぬ方向へ弾かれ、地面に青い花を咲かせた。だがアンジェはそちらを見もしない。これで一つ目だ。立ち止まっている間に何をするのかは気になった。だが、どうせ何かの小細工だ。強力な術式で壁ごと押し切れば関係ない。
「"——三度奏上する。風よ集いて迸れ!"【澄清槍】!」
風の槍を叩き込むと、リアは杖の先端を向けて、やはり【水晶壁】で防いだ。
ここまでのやり取り、通常威力の魔術は全て防がれている。リアは一歩も動いていない。けれど、それでいい。
風の槍も壁を破るために撃ったのではない。これで二つ。連鎖は完成した。
あとは、蓄えた二つの願いを叩き込むだけだ。これを防げるものなら防いでみろ。
「"——二度の願いを今ここに!私は祈る。天鎚よ艱難辛苦を」
その言葉は、最後まで紡がれることはなかった。
「"——不調和音よ鳴り響け"【障りの囀り】」
障りの囀り――その名の通り不協和音がアンジェの詠唱に割り込み、紡がれかけた連鎖の術式をかき乱した。
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