37話 模擬戦・後
「連鎖詠唱が……ほどけた…!?」
手からすり抜けていくように、術式がほつれていくのがわかる。ピアスからの干渉とは違い、痛みも苦しみもない。だが、世界へ投射される直前だった術式は確かに消え去っていた。
涼しげに紡がれるリアの言葉が耳に届く。
「連鎖詠唱は確かに凄い技術さ。世界への干渉と、次なる干渉への備えを同時に行えるんだから大したもんだ。けどな」
杖をアンジェに突きつけながら、勝ち誇るようにリアは告げた。
「歴史が浅すぎる。練磨もされず、バグ取りの終わってない術式なんて穴だらけだ……だからこうして簡単に無力化されるのさ」
「いやいや、発現した魔術を相殺するなり、別の術式で対抗するなりならわかるけど、まだ魔術として成立してないものを打ち消すなんて出来るわけ――」
いつだって、言ってから気付いてばかりだし後悔することばかりだ。そうだった。今、目の前にいるのは。
「そうだ。今お前の目の前にいるのは銀等級ハンターの魔術士だ。常識で測っている程度だと……ここまではたどり着けねぇぞ」
「くっ……!」
「それでどうする?いつもの連鎖詠唱頼みの手札は崩されたワケだが。単発魔術でこの壁を越えられるかな?」
魔術の連打。もしかしたら1枚の【水晶壁】に連続で叩き込めれば、壁を打ち破れるかもしれない。世界の魔力の一部を取り込む、『帯域』を掴んだ今なら連続の魔術行使もおそらく可能だ。けれど、それもたぶん無理だ。だって、あの日リアの力を目の当たりにしたときに、リアはアンジェの魔力補給を手助けしていた。なら当然逆のことも。アンジェが警戒するように目を細めると、リアはその考えを見透かしたように笑った。
「お前のその危惧は正しい。帯域支配を警戒してんだろ?オレには、お前が掴んだ『帯域』を支配するなんて造作もねぇ。けど安心しな……帯域支配で魔力供給を絶つなんて狡い真似はしねぇよ。少なくとも今回はな」
「……それって慢心?」
「一度に二つも三つも課題出すほど鬼じゃねぇってだけだ」
「ハッ!感動で涙が出るかな!」
手持ちの術式で一番得意な【氷青華】は弾かれ、一番火力のある【紅吐息】も、一番速い【澄清槍】すら防がれた。
残るは質量を叩き込む【黄山石】か、足場を崩す【逆さ山溜る柳】、そして貫通力に秀でた【暁神成り】。
新調した杖を芯にした【藍白如意】は魔術戦では自殺行為だろうから、残りの札で何とかすべきだ。
故にアンジェは死力を振り絞って——
そして一時間後、そこには模擬戦開始から一歩も動かないリアと、魔術の連続行使により肩で息をしているアンジェの姿があった。
考えつく限りのことをした。【水晶壁】の手前に氷の花を咲かせて視界を防ぐことも、足場を崩すことも。出来る限り連続で叩き込んでなお、【水晶壁】は堅牢だった。
……だが、まだ一枚だけ札が残っている。
「はぁ……はぁ……っ、"——天鎚よ艱難辛苦を打ち砕け!"【暁神成り】!」
杖の先端から雷の槍が迸る。一度まっすぐに走った雷槍は天に向かって駆け上がったかと思うと、弧を描いて地に立つリアへと襲い掛かる。その途上で、やはりというべきか【水晶壁】が張られ……数拍の間をおいて壁を撃ち抜いた。
「やった、これなら……!」
「その判断はまだ早いな"——壁よ在れ【水晶壁】"」
喜んだのもつかの間、再び【水晶壁】が張られる。今度は先のものより分厚い壁だ。
「お願い破って……お願い……!!」
その祈りが通じたのか、【暁神成り】は【水晶壁】に食い付き穴を穿ち、貫通しようとして——あらぬ方向へと流されていった。
「はぁ!?」
「壁の中に雷の通りやすい道を作ったんだ。貫かせるふりをして、横へ逃がした。壁に角度をつけてもいいが……それには角度と距離が必要だしなぁ」
「そん、な……」
アンジェに残る魔力はもう僅か。あの「こんなもんか」とでも言いたげな顔を、今すぐ後悔させてやりたい。だったら、最後の魔力は。
「"——凍てし氷柱よ、我が棍なりて……いや!」
魔術で氷棍を作り上げるのをやめて、腰のインベントリから使い古したメイスを取り出す。
残った魔力を全身へ巡らせ、その勢いのままメイスにまで流し込む。もう最後だ、破れかぶれでもいい。こんなものは近接魔術じゃない、ただの力業だ。それでも、とにかく物理でぶっ飛ばす。評価値は戦士並みと言われていたんだからきっと——。
「ああああああああああああっ!!」
「……はぁ。最後にお粗末なもの見たな。それは下策だろ」
リアの元へと駆け寄り、強化されたメイスを振り下ろす。当然のように【水晶壁】が展開された。それでも、その透明な壁を叩き割らんばかりに、メイスが唸りを上げ――
ゴキリ、と嫌な音がアンジェの両手首からした。
両手首に爆発したような痛みが走り、思わずメイスを取り落とす。アンジェの目の前でみるみるうちに手首が赤く腫れていく。
「あが……づ、だぁ……!?」
「そりゃそうなるよ。全力で壁に鈍器ぶつけたんだ。手首が砕けても何もおかしくねぇ。評価値を鍛え上げた前衛や熟練のメイス使いなら、フルスイングしても反動を抑えられるかもしれん。でもまぁ、身体の使い方も知らねぇ魔導神官のお前には無理だ。身に染みただろ。今日はここまでだな」
リアが指を鳴らすと、薄緑の光の粒が中空に生まれてはアンジェの腫れ上がった手首に吸い込まれていく。光が染み渡るにつれて、激しい痛みが引いていくのがわかる。
「ま、まだこれから……」
「いやダメだね。魔力もねぇのに何する気だ。お前は今、魔導神官としての常識に囚われている。いいか?今日のことを噛み締めろ、発想を変えるんだ。思いついてしまえばこんなもんかって類だけど、思いつくまではずっとそのままだぞ……明日からも同じ訓練をするからな。惨めな姿をまた見せるなよ」
アンジェの手首の治療を終えたリアが背中を向けて去っていく。その揺れるポニーテールが見えなくなった途端、膝から力が抜けた。
息を吸おうとしても、喉が何度も引きつる。視界が滲んで、草原の輪郭が崩れていく。
悔しかった。何一つ届かなかったことが、たまらなく悔しかった。
「……負けたくない」
掠れた声が、少しずつ熱を帯びる。
「勝ちたい。あたしは――もう、負けたくない!」
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