33話 災獣 -希望の炎-
パーカーの裾から伸びた狐尾が、仄かな燐光を宿して夜空に軌跡を描く。
その尾を追うように無数の茨がノンナへ殺到した。だが多くは空を切り、わずかに届いたものも双剣に斬り捨てられる。
変わったのは、いつものサファリハットが狐の面へ姿を変えたこと。そして、その身に一本の狐尾が生じたことだけ。
それだけの変化で、ノンナの動きは別物になっていた。
まるで獣のように、しなやかに軌道を変えながら駆けていく。
「何、あれ……? ノンナに何が起きてるの?」
そのアンジェの問いに、ザンデンは直ぐには答えず弓を引き絞り、巨大な茎を射抜いた。
茎に刺さった鏃から猛烈な魔力が吹き上がり、周辺を抉り取る。それが、巨大化した災獣の本体へ初めて刻まれた傷だった。しかし瞬く間に茨が伸びて傷は塞がれてしまう。
その結果に毒づきながら、ザンデンは次の矢を番えて答えた。
「アーティファクトだ。名前くらいは聞いたことあるだろ」
「魔獣じゃなくて、道具の姿で生まれるっていう……?」
「世界を巡る魔力、そこに溶けきれなかった人の夢や執念が形になったものだとは、まぁよく言われてるな」
「今のノンナさんは“発芽”状態です」
ブイヤールが皆を守るように、油断なく杖を構えながら続ける。
「アーティファクトの基本能力を引き出しています。ただし、彼女が維持できるのは三十分までです」
「……過ぎたら、どうなるの?」
「今の私と似ています。周囲から補給できないまま、自分の魔力を使い続ける。ただし彼女の場合、魔力が尽きてもアーティファクトは止まらない」
「じゃあ……」
「次に燃料にされるのは、ノンナさん自身です」
その身に過ぎた力は、ノンナという土壌そのものを枯れ果てさせる。
不意に思いだした。この遠征が始まるその日に、リアがノンナに告げた注意。あの言葉の意味はそういうことだったのか。
しばらくの間、ノンナは殺到する茨を斬り捌き、あるいはその身のこなしで躱し続けていた。だがそれは、根本的に相手にダメージを与えているわけではない。斬り飛ばした茨はみるみるうちに再生して再びノンナに襲いかかり、繰り出される鞭撃は次第に苛烈に、より狡猾に地を駆ける天狐の道を塞いでいく。
ノンナも次々と茨を斬っているが、それは枝葉を落とすようなもの。肝心の本体には一太刀とて入れられていなかった。
双剣でムチを刎ね飛ばしたノンナへ、左右から二つの攻撃が迫る。片方は鋭い槍、もう片方は丸太のように太いムチだ。同時攻撃、アンジェならば片方を防いでも、もう片方にやられていたであろう連撃を。ノンナはコマのように回りながら、槍の穂先を剣の腹で叩いて逸らし、太いムチを一刀で斬り伏せた。
まさに絶技。アンジェが両の手を血みどろにして辛うじて果たした前衛の役割を、ノンナは鮮やかにやってのけた。
だが、凌ぎ切った代わりに足が止まった。動くことのできないノンナの頭上からムチが、槍が振り注ぐ。半端に動いたところで避けきれない範囲攻撃を仰ぎながらノンナは、
「……〈モノ・テイル〉」
ノンナの被る狐の面、その額の辺りに形成された小流星が長く尾を引きながら、天へと駆け上がっていく。その軌跡を中心に衝撃が弾け、降り注いでいた茨はまとめて千切れ、夜空へ散っていった。
「凄い……」
「全くだ、なっ!」
アンジェが息を呑む傍ら、矢に渾身の魔力を込めながらザンデンが第二射を放つ。必中必殺を願ったそれは、本体に届くことなく茨のムチに絡め取られへし折られる。
その攻撃に反応したのか、茨の槍が四本こちらに向かって繰り出された。それを阻止しようとノンナが動こうとし、今度はブイヤールが声を張り上げた。
「こちらは私が!"——不破なる守りよ永遠なれ"【水晶壁】!」
透明な防壁、【水晶壁】が茨を防ぐ。槍を受け止められ、勢いを失った茨は、こちらに拘泥することもなくズルズルと本体に引き戻される途中でノンナへ襲いかかるが、双剣に斬り捨てられた。
「……〈ジ・テイルス〉!」
ノンナの声と共に表れた今度の小流星は二本。一つはノンナを追う茨を粉砕し、もう片方は本体目掛けて放たれるがザンデンの矢同様に太いムチで迎撃された。
だがそれはブラフだったのか。アンジェの傍に居たはずのザンデンがいつの間にか遠くに移動しており、小流星に隠れるようにして射られた一矢が再び災獣の本体に大穴を空けた。
金切り音がけたたましく響き渡る。怒れる災獣が、まさに蔓の雨だと言わんばかりに茨をノンナとザンデンに振る舞い、
今度は三条の小流星がこれを迎え撃った。流星雨を掻い潜った茨をノンナは斬って捨て、ザンデンは体格に見合わない俊敏さで避けていく。
——状況はこう着状態にあった。
いや、時間が味方をしているのは向こうの方か。
「……〈テトラ・テイルス〉!」
四本の小流星を放ったノンナは、間髪置かず新たに生み出した三つの光点を自身の周りに巡らせながら、双剣を振るって茨を斬り開いていく。時に空に跳んでは、小流星を足場にして更に跳ねる姿はまさに軽快な狐だ。だが彼女には時間制限がある。限界は必ずやってくる。
いつでも小流星を放てるぞ、とバラの災獣を牽制しているノンナの後方では絶えず動きながらザンデンが矢を射っている。その大半は茨に阻まれるが、幾ばくかは本体へ傷を刻んでいた。しかし、その傷は修復される一方でザンデンは疲労からか息を切らし始めていた。
アンジェたちの後方では、周囲を囲む生垣のような茨に向かってナンスが細剣を振るっていた。斬った端から再生していくが、それにめげることなくひたすらに剣を振る後ろ姿は見事だった。
ブイヤールに庇われながら、グレッグやラッツと共に震えるしか出来ない自分に腹が立つ。何か、何か出来ることはないだろうか。そうだ、遠距離からでも魔術を放てば。
「やめなさい。下手に刺激してこちらに茨が来ても困ります。私の魔力量ではそう何度も防げる規模ではありません」
「……でも、何もしないなんて」
「そもそもそこが思い違いです。いいですか?災獣相手に対応するなら鉄等級……つまり今の私程度でようやく最低ラインです。そしてその私ですら、奴の帯域支配では木偶の坊です。後はもう皆まで言わせないでください」
「あ……う、きゅ、救援は!リアが来たら何とか…!」
情けない。自分では何もできず、またリアに縋ろうとしている
けれどプライドを捨てた一言も、ブイヤールは首を振って否定する。
懐から美珠を、黒い核球を透明な外殻で包んだそれを取り出した。
「ここに来る直前ノンナさんから渡されました。リアさんへの緊急連絡用の美珠です。ですが……相手が植物型の災獣だからでしょうかね。空間を支配する力が強すぎて、連絡が届きません」
「そんな……」
今度こそ押し黙るしかない。不甲斐ない。新入りだからと守られている自分が恥ずかしい。
だけども、何かきっかけがあれば脱出することは出来るはず。
だからその時に備えていつでも逃げられるように魔力の回復に努めて——
「…………ある」
「どうしましたか?」
「……帯域が……掴める……!」
ブイヤールは言った。帯域を抑えられて魔力を吸収出来ないと。それはブイヤールに限って正しい。しかしアンジェの目には朱金の輝きがあった。
希望の炎は、掌の中にあった。




