31話 災獣 -開戦-
泉までは、思いのほか早くたどり着いた。
グレッグが昼間通った最短経路を迷いなく進み、そのうえ一度も魔獣と出くわさなかったからだろう。
その事がかえって不気味でならない。まるで、花に誘われた虫のようで。自ら罠に飛び込むみたいで。
それが分かっているのになお……目の前の光景は息を呑む程素晴らしかった。
今宵は満月。泉の上だけは樹冠が開け、雲一つない夜空が広がっている。
白く清らかな月光を弾き、それは泉の中央に咲いていた。
「…………」
荒れ狂おうとする朱金の魔力を、胸の内で抱き締めるように宥める。
昼間見たように儚い花は、容易く手折ることが出来そうだ。だからこそ——察せざるを得ない。
脆弱な姿なぞ嘘偽り。アレは断じて関わってはならないモノだ。
「……行くぞ」
意を決したようにグレッグが泉に向けて歩み寄る。
鞘から剣を抜きながら一歩、また一歩と近付いて。
「っ!ダメぇっ!!」
「何すんだ魔術士!?」
グレッグを後ろから羽交い締めにしてなんとかして泉から引き剥がす。
ダメだ。アレには近寄っちゃダメだ。
「離せよクソっ!俺にあの花を刈らせろ!!」
「ダメったらダメ!!嫌だったら評価値でも高めたら!!!」
「言ったな魔術士!!テメエの評価値で俺に勝てる訳ねぇだろうが!!!」
あの時、夕べの反省会でザンデンはナンスに言っていた。
評価値の練りが甘いと。評価値を練るには、自分自身を強く意識しなければならない。なら、花に奪われた意識も戻るかもしれない。
だからこそアンジェは評価値込みでグレッグを羽交い締めにし、それに抗するようにグレッグも評価値を高めて——
ちゃぷんと、水音がした。
アンジェとグレッグの傍から。
……ラッツの足元から。
鏡面のように静かな水面に波紋が走って、波が一輪のバラを優しく揺らした。
恐らくそれが合図だったのだろう。災獣が罠を発動させる為のきっかけ。破局の始まり。餌がここにいるという呼び鈴。
次の瞬間、水面を突き破るように飛び出た蔓がラッツの足を縛り上げた。
「え、ちょっ、え……」
目の前の光景に不意を打たれたかのように三人とも動けない。やるべきことはわかってる。蔓を解いて逃げ去るだけ。
なのにその事がとても他人事に思えてしまって動けない。
ズルズルと、強い力で蔓を引かれて泉の方へと引き寄せられるラッツは困った顔で笑いながら。だんだんと顔を引きつらせながら。
「あ、ちょっと……やだ、やだやだやだ。やだやだやだやだやだやだやだ!!待って!!やだ!!ねぇ待ってってばねぇ!!!」
その声にようやく我に返った二人がはじけるようにラッツに駆け寄る。
「こん……のぉ!!」
「オラ切れろ!!切れろって!!なんで切れねぇんだクソが!!!」
アンジェがラッツの体を抱き締めて引っ張る。
——けれど引く強さはあちらが上だ。
グレッグが渾身の力を込めて蔓に斬りつける。
——それも無意味だ。蔓はしなやかに刃物を受け流す。
「……っ!ちょっとグレッグ退いて!!
"霜付く六花よ咲き誇れ"【氷青華】!」
振りほどけないし、切れもしない。だったら自分の力で引きちぎれてくれ。
そんな思いつきと共に、掌に生まれた六花を蔓に叩きつける。すると、凍結した部分が硬化し、しなりを失った付け根から千切れ飛んだ。
急いでラッツの足に絡んだ、凍りついていない蔓を振り解く。三人で泉から距離を取るが、あのバラからは目が離せない。
——ハッ、ハッ、ハッ、と誰かの荒い息がする。グレッグかもしれないし、ラッツかもしれない。あるいは自分か。
全員が自ずと悟っていた。コレに触れるべきではないと。自分たちは間違っていたのだと。
泉の中央に咲くバラは来た時と姿は何一つ変わっていない。
変わらずにそこにあり……刹那の間を置かずに無数の茨のムチが水面から立ち上がってきた。
「はああああああああっ!」
「こんくそがぁ!」
無数の茨のムチを盾で受け流し、剣で弾き返す二人。
しかし今度は小さなトゲの生えた茨のムチ。
金属製のハズの盾には筋が入り、剣には明らかな欠けが見えた。
それでも二人は諦めずにインベントリから予備の装備を取り出して茨のムチに立ち向かう。
全てを迎撃は出来ない。かすめたムチが、トゲが皮を裂き肉を抉る。けれども二人は止まらない。自分の過ちを正すため。巻き込んでしまった背中の後輩を守るため。
——悔しい。守られてる自分が。前に出れない自分が情けない。だけども今のアンジェは知っている。前衛が体を張るのは任せているからだと。後ろの後衛は一発逆転の手を持っているはずだと。だったら後衛の魔術士であるアンジェにできることは一つ。
「"――私は祈る。揺るがぬ大地よ隆起せよ"【黄山石】!」
無数のムチが強かに二人を打ち据える。痛撃に呻く二人に向けた、その隙をついた新手のムチを遮るように土壁を仕上げて防ぐ。土壁自体はすぐに突き崩されたが、その時間が欲しかった。二人が体勢を立て直す時間が。
「"——都度願う。天鎚よ艱難辛苦を打ち砕け!"【暁神成り】!」
今度の攻撃は本体への牽制だ。掌から迸る電撃の槍はあの一輪の赤いバラ目掛けて空を裂き、無数の茨のトゲに弾き返された。
壁を形成する茨とは別に何本ものムチが飛んでくるのを剣で叩き返しながらグレッグが叫んだ。
「!?アンジェ!氷だ!凍らせて壁を逆に利用してやれ!!」
「"——三度奏上する。霜付く六花よ咲き誇れ"【氷青華】!」
宙をかける青い円盤が茨の壁に突き刺さり、壁ごと泉の一部すらをも凍らせる。
「アンジェさんトドメを!!」
壁という障害物があるからか茨の勢いが弱まった。こっちからもバラの場所は分からないが、丸ごと巻き込んでしまえばこちらのものだ。
「"——二度の願いを今ここに!私は祈る。吐く息白く、遠くを見よ!峰々よ、ここに連なれ"【薄暮銀嶺】!!!」
地面から巨大な岩峰が次々と隆起する。白く霜をまとった岩峰は、隆起するそばから大地と泉を凍りつかせていく。その連なりは留まることなく茨の壁を粉砕していった。
「……やったの?」
恐る恐る、信じられないことを聞くかのようにラッツが問いを投げる。
もしアレが災獣なら倒れてはないかもしれない。けれど魔術をモロに食らったのも事実で。
グレッグがその声を震わせながら、己に言い聞かせるかのように言い放った。
「……やったぞ。俺たちの勝
ずぶり、と。
瓦礫を砕いて伸びた茨が、誰かの身体を貫いた。
「いやぁぁぁああああああああっ!?」




