28話 カリュマ山の試練
翌日、一行は藪をかき分け山を登っていた。
隊列は登山時と同じく、先頭で道を切り開くナンス。バックアップとして盾士のラッツ。魔術士のブイヤール。リーダーにして弓使いのザンデン。新米のアンジェの背中を最後尾のグレッグが守っている。昨日は散々山歩きをしたおかげか、アンジェの足取りは軽やかだ。
「ハン、ちったぁマシに歩けるようになってんじゃねーか」
「流石にね。なんならあなたの荷物も持ってあげましょうか?」
「ナマ言ってんじゃねーぞクソが。言ったからにはテメーの荷物落とすんじゃねーぞ」
後ろから届く悪態にアンジェも軽口で返す。それだけの余裕が今のアンジェにはあった。昨日のアンジェに戦果はない。だが訓練した成果は、確かにここにあった。
——不意に、先頭のナンスが手を挙げた。
全員の足音が止まる。魔獣を見つけた合図だ。
「……」
口をギュッと結んで耳を澄ます。ここからは無駄話をしている場合ではない。今から臨むのは山間での戦闘だ。ナンスの指し示す先には、なるほど三本足をした鹿のような魔獣が群れている。こちらには気づいていないみたいだ。魔獣を見つけた際にどうすべきなのか、必要なことは事前に頭に叩き込んでいる。
ふと、自身を襲ったハンターの声が脳裏に蘇った。
『目に頼りすぎるな』
目に頼りすぎてはいけない。どこから何が来るのか分からないのが魔獣領域だ。だからアンジェは鹿の魔獣だけでなく周囲にも感覚を研ぎ澄ませる。
そんなアンジェを横目に、静かにザンデンが矢を継がえると共にブイヤールが小声で何かを呟いた。
瞬間、魔術士の言葉と共に大岩が群れを堰き止めるように地面からせり上がった。それと同時に群れで最も大きい鹿の脳天を弓使いの矢が貫く。
「おおおおおおおおおっ!!」
「はああああああああっ!!」
裂帛の怒号を上げながら細剣を手にしたナンスが群れに向かって突進する。しかし、鹿とて伊達に魔獣ではない。奇襲に怯えて散るどころか、一斉にこちらへ駆け出した。ナンスの細剣が先頭の一頭を斬りつける。その隙を突いて別の角がナンスへ迫るが、滑り込んだラッツの金属盾がそれを激しく弾き返した。あの華奢な体からは想像もつかない、気迫の入った掛け声と共に角を受け止め、いなしている。
更には、二人を避けるように回り込もうとした個体へとブイヤールの放った石礫が容赦なく撃ち込まれた。
「"——風よ"」
アンジェの口が魔術の詠唱を紡ぎあげる。
前線の様子はあの調子ならば、アンジェが手を出す必要はないだろう。ならば何に気をつけるべきなのか。
——決まっている、横槍を入れる脅威に対して他ならない。
「"集いて迸れ!"【澄清槍】!」
アンジェの掌から風の槍が迸り、今にもパーティに向かって木から飛び掛かろうとした大蜘蛛たちを跳ね飛ばす。声もなく山肌に墜落した大蜘蛛へ、素早く駆け寄ったグレッグが容赦なく大剣を振り下ろす。
「しゃあっ!!」
声を上げて、次々と未だにひっくり返っている蜘蛛にとどめを刺していくグレッグ。その背中は、この戦地では十二分に頼りになる。そんなことを思いながらアンジェは油断なくグレッグの周囲を見張っていた――はずだった。
「……っ!!」
喉が引き攣って警告の声を出せない。
グレッグが岩の傍らを通り過ぎる。その次の瞬間、岩肌が動いた。灰色に擬態していたトカゲがグレッグの背へ飛びかかる——直後、空中でトカゲの身体が鋭い矢に撃ち抜かれ、地面へと縫い付けられた。
「気ぃ抜くな二人とも!!」
すかさずザンデンからの叱咤が飛んでくるが、返す言葉もない。分からなかった油断した、そんな言い訳はこの山では通用しない。
今度こそ敵を見逃すまいとアンジェはメイスを握り締める。
木々の向こうからは岩猿の群れが、これまで歩いてきた道からは二股のヘビの姿がチラホラと見える。
四方八方から敵が文字通り『降ってくる』。そんなカリュマ山の洗礼を、アンジェは気合いを入れ直して迎え撃った。
■□■□
数時間後。
最初の乱戦を切り抜けてからも、一行は小規模な襲撃を退けながら、一歩一歩確実に行路を進めていた。
疲労がある、消耗もある。だがしかし、襲撃のわずかな合間を縫って休憩を取ったからか、思いのほか士気は下がってないと感じられる。それは、一番の新入りである自分がまだまだ余裕があるから、そう思うのかもしれない。
糧食として準備をしていたナッツを頬張りながらアンジェは述懐する。大変だった。何度も際どい目に遭いかけた。
殿を務めるグレッグが取りこぼした敵に、メイスを振るった回数は数え切れない。逆に、こちらの魔術で仕留めきれなかった敵をグレッグが斬り伏せてくれたこともある。ラッツを狙う魔獣を撃ち落としたこともあれば、そのラッツの盾に助けられたこともあった。
それでもこうして皆無事でいる。足を引っ張ることなく襲撃をやり過ごせた自分を、少しばかり褒めたっていいんじゃないか。そんなことを考えながらアンジェは口の中のナッツを飲み込んだ。そろそろ次の襲撃があるかもしれない。魔獣相手に先制を取れるように、辺りの気配を探って……アンジェは戸惑った。その戸惑いを裏付けるかのようにザンデンが口を開く。
「……妙だな。魔獣の臭いがしねぇ。ブイヤール、どう思う?」
「私の探知にも引っ掛かりませんね。地図だと泉が近くにあるので、魔獣が屯しててもおかしくはないんですが……」
自身の右腕たる副官に、どうしますか?と問いを返されたザンデンはしばし思案するように黙り込む。やがてその声色に厄介さを滲ませながら一行に指示を出した。
「……泉に向かうぞ。全員、気を引き締めろ」
泉自体は近くにあった。
山を歩いて十数分、木々に囲まれた平地にそれはあった。
どこにでもありそうな、清水を湛えた綺麗な泉。強いて異常を挙げるなら、この十数分、一体の魔獣にも出会わなかったことくらいか。
——いや、異常はあった。澄んだ水面の中央、木々の合間から差す太陽に照らされたそれはあった。
水面の中央に、一輪の小さな真っ赤なバラが立っていた。
「綺麗……」
異様な光景だ。だが絵画に切り取られたかのような光景はどこか幻想的で美しかった。
バラの花から意識が逸らせない。
手折るのは簡単に見える。魔術でも、ちゃちなナイフでも、素手でも出来そうだ。だから泉に足を踏み入れて——
「……ダメ、アンジェ」
それまで姿を隠していたノンナに手を掴まれて、引き止められた。
「ノンナ……」
振り返ると周りでもブイヤールに肩をつかまれたラッツが、
襟首をザンデンに掴まれたグレッグとナンスが居た。
「泉に入るなオマエラ……あれはやべぇ。あれは……」
「……災獣。下手をすると、私達はここで死ぬ」
真剣な目をしたノンナが呟いた。
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