27話 キャンプ飯は豚汁
——気がつけば、日が落ちて夕刻になっていた。
立ち止まった状態で世界の『帯域』を掴んでから動く。今度は歩き出してから、立ち止まって掴んだ感覚を思い返す。立ち止まる。掴む。歩き出す。それをただ積み重ねた。
やがて、ほんの数歩なら歩きながらでも『帯域』を見失わずに済むようになった。次は山中を走りながら同じ感覚を保つ訓練に移ったが、こちらはまだほとんど形にならない。それでも、歩行中の知覚だけなら何とか形になった。この次は戦闘をしながらできるかどうかだが、暗くなってから獣避けの術普請から出ることはブイヤールに引き止められた。確かに、多少は慣れてきたとはいえ暗い山道を歩いき、ましてや魔獣と戦うのは命を捨てるようなものだろう。
ブイヤールやどこからか現れたノンナと共に、帰ってくるだろうザンデンたちを迎える準備をする。今夜は山菜入りの豚汁だ。
「調理のたびに思いますが、魔術士は水をふんだんに使えるのがありがたいですね」
「……ん。私は水の生成が得意じゃないからインベントリに水を突っ込んでるけど、容量食うからやりくりが大変」
「あたし学生の頃は自分で作った水を、自分で飲むようになるとは思わなかったなぁ」
野菜や山菜を洗う。肉に触れた調理器具を洗う。清潔を保つにあたって真水は便利だ。近くに沢があれば利用したかもしれないが、アンジェがベース周辺を散々歩いた限りでは水場は一つも見つからなかった。まぁ生水を使って腹を下すのはできる限り避けたいことだし、わざわざ煮沸するのも手間だ。
魔術で生み出した水を使ってアンジェは芋を洗うと、そのまま包丁を取り出して皮を剥き始めた。一つ、また一つと芋の皮を剥いていくと、自然と鼻歌が溢れ出していく。それを耳にしたのか、隣で米を研いでいるノンナが尋ねてきた。
「……アンジェって料理好きなの?」
「んー?ほどほどかなぁ。下手の物好き程度だけどさ。ティルフィタリアに来てから外食ばっかで久々だからつい」
「……それは下手の横好きじゃ?」
「そうそれ」
シャッシャッシャッ、と隣からリズミカルに米を研ぐ音がする。お互い話をしながら手は止めない。まったく、料理の方はながら作業ができるのに。
「……うちだとリアが料理出来ないから外食多いもんね」
「あ、やっぱり?リアってその辺ものぐさだと思ってたけど案の定料理できないのね。包丁握ったことあるのかな」
それまで鳴り響いていた音が止まった。思わず芋の皮を剥く手が止まって隣を見ると困り顔に迎えられる。
「……ん。リアの場合刃物が握れないからそこは訂正」
「あれ?刃物恐怖症とかなんか?」
「……というより武器全般がダメ。刃物だと安全カミソリが限界だった」
意外な情報だ。たしか初めて会った時から長杖を持ってたはずだけど。ということはリアは武器なしで銀等級に至ったのだろうか。……魔術士ならそういうこともあるのかもしれない。
「……理由は……多分聞いたら教えてくれるとは思う。別に秘密ってわけじゃないけど広めたいって話じゃないし」
「ふーん。今度聞いてみようかな。……でも料理やらない理由とは関係ない気もするけどね」
「……それはそう」
「私も気になりますねリアさんの秘密。まぁ私が聞いてもはぐらかされそうですが」
大根を切り終えたブイヤールがごぼうの調理に入る。具材はごぼうが最後なので、アンジェは既に切り終えていた肉から鍋に放り込んで炒め始めた。魔術を使えばかまどを作れるということはブイヤールから教わったことだが、お陰でアンジェのインベントリには鍋を吊るすための三脚が眠ったままだ。具材を更に追加して炒め続けた後は、水と出汁を加えてアクを掬いながらしばらく煮る。味噌を溶かすことで漂いでた匂いにつられてか、ようやく遠征に出ていたザンデンたちが帰ってきた。先頭のザンデンはやれやれと草臥れた様子だが、その後背にいる面々は相当に疲れているみたいだ。そんなザンデンの元にブイヤールが歩みよる。
「おーぅメシ作ってるのかオマエラ。お疲れさん」
「リーダーこそお疲れ様です。成果はどうですか?」
「浅いからな……ぼちぼちだ。そっちはどうだ?明日行けそうか?」
「山歩きには大分慣れたみたいですからね。後衛としてなら使えるでしょう」
漏れ聞こえる会話に思わず胸を弾ませる。明日からは皆と一緒に行ける。最低限同じ土俵に立てることが嬉しい。
思わず鍋をかき混ぜながらにっこり笑顔になっていると、横から吐き捨てるような声が聞こえてきた。
「また疲れて足手まといになるんじゃねーぞ、魔術士」
せっかく浮かんでいた笑みが、少しだけ引きつった。
アンジェは鍋をかき混ぜる手を止めず、そのままグレッグへ顔を向ける。
「今日はそうだったけど、明日もそうだとは限らないでしょ。見てなさいよ」
「へっ、口だけなら――」
「グ、グレッグ。その辺にしとこうよ」
ラッツが慌てて袖を引く。その隣で、ナンスが疲れた顔のまま口を開いた。
「……グレッグも、最初にここまで来た時は途中で吐いてたよね」
「おいナンスさん!」
「そ、それに比べたら、アンジェさんはちゃんと歩き切ってるし……」
グレッグの顔がみるみる赤くなっていく。口をパクパクと開け閉めして何か言おうとした様子だったが、結局踵を返して術普請の端へと歩いて行った。それをオロオロとした様子で追いかけていくラッツを見送った後、アンジェは少しだけ溜飲を下げながら、豚汁を一口味見した。
「うん。明日も動ける味」
「何だそりゃ」
誰かが笑った。
山で迎える最初の夜は、温かな湯気とともに更けていった。
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