26話 帯域
ざっざっざっと音を鳴らしながら、アンジェは平地に設けられたベースキャンプ周辺を歩いていく。ベースの周りをぐるりと回るだけでも、登りあり下りありで結構大変だ。
けれど収穫もあった。まず足元ばかり見なくなった。足場がどんな状況かは、先ほど通った道なので、嫌でも足場の様子は頭に入っている。すると下を俯いて見る必要がなくなり、姿勢が良くなった。歩き方も重要だ。一定のペースを保ち、歩幅は小さく。つま先だけで登らず足裏全体で踏みしめる。
山歩きのやり方次第で疲労感が違う。つまりそれだけ魔力の浪費も抑えられる訳なので、心に余裕が出来て辺りが更に見渡せる気がする。
「どうですか山歩きは。多少は慣れてきたでしょう」
「そうですね……ちょっとは慣れてきたかも」
「でしたら今度は歩きながら魔力を取り込んでみましょう。まずは歩きながら、自分の魔力を感じてみてください」
背後から見守るブイヤールから早速追加の課題が飛んでくる。相変わらずサファリハットを被った小柄な姿は何処にもないが、恐らくノンナも見守ってくれているのだろう。
ひとまずアンジェは追加の課題に取り組んで——思うようにいかずに酷い目にあった。
立ち止まって集中すれば、先ほどのように朱金に揺らめく魔力を感じ取れはする。しかし、動きながらだともう駄目だ。まるで感覚を掴むことが出来ない。かと言って魔力の感知に集中すると、今度は足が止まる、滑る、引っ掛かるの三拍子だ。何度転び、頭から落ち葉を被ったか分からない。
「あーもー!全然っ出来ない!」
「出来るようにするための訓練ですから。目を閉じなくなっただけでも成長はしてますよ」
いいですか、と熟練の魔術士は言葉を続ける。
「魔術士は前衛と比べると評価値の制御が甘くなりがちで、魔力の漏れが大きいです。加えて、魔術の行使のために魔力を体外に放出しますので魔力切れになりやすい。つまるところは前衛は魔力を内側へ留める訓練をします。魔術士は外へ放つことばかり覚える。その差ですよ」
ここまでは分かりますね?と問われても、アンジェとしてはハイと返す他にない。
「結構。結果として前衛は長く戦えるのに、後衛である魔術士は早々にバテてしまいます。その継戦能力を補う為の訓練ですから頑張りましょう」
「……なんかコツとか無いんでしょうか?」
思わず弱音がポツリと漏れたが、意外なことに返ってくるのは苦笑だった。
「コツがあるなら、私ももっと上の等級にいますよ。正直、習うより慣れろとしか言いようがありません」
「あーやっぱうまい話はないもんですね」
「まぁまぁ。ですがまぁただ根性論だけではやる気も続きませんからね。少し楽しくなる話をしましょう」
「?なんです?」
「表現が難しいですが……そうですね。虹って見たことありますか?」
「虹……あんまり見たことは無いですね」
草を踏みしめ、木々の間を通り抜ける。あの木はたしか根が嫌らしいところに突き出てたハズだ。向こうの白い花はたしかサンカヨウだったか。
「虹には七色ありますよね。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫……普段、光そのものを色ごとに意識することはありませんが、虹を通せばさまざまな色に分かれて見えます。ですが、一部の動物には色が認識出来ず世界が白黒に映っているそうです」
「どっかで聞いたことあるような……あれでもたしか完全に白黒じゃなかったような」
「はっはっはっ。そこは本質ではありません。重要なのは人間と動物の認識の差です。つまり」
「つまり、あたしが認識している魔力は魔力の一部でしかない……?」
「そういうことです。あなたは己に似た色しか見えていない。本来七色に見える景色を、朱金として見ているに過ぎない。ですが鍛錬次第ではこの色を色とりどりに鮮やかに認識できるようになります。もちろん、個人差や向き不向きはありますけどね」
「認識出来るってことは……いつかは干渉できるようになるってことですか?」
「はい。絵師が数多くの色を絵に塗るようにね。我々魔術士は魔力を観測できる範囲、あるいは干渉できる範囲を『帯域』と呼んでいます。厳密には、知覚できる帯域と干渉できる帯域は一致しません。ですが今はまとめて『帯域』と覚えてください」
それは——良いことを聞いた。
「それはほんと……やる気が出るってもんですよ」
そうやってしばらく、自分の中にある魔力を感じようとしたまま歩いていると、傍らの茂みがガサリと揺れた。見れば、茶褐色の体毛をした丸々とした動物がこちらを窺っている。
「あ、たぬきだ」
「たぬきですね。すれ違ったのはこれで三度目です」
そういえば、先ほどから何度か同じように茂みが揺れていた気がする。足元ばかり気にしていたせいで、今まで気づかなかったのだろう。
「ベースキャンプの近くだからかな?いい子だからおいでー」
「ダニや病気を移されますよ」
伸びそうになった手がピタリと止まった。
「じゃあ、何か食べ物でも――」
「それも駄目です。人間から餌をもらえると覚えれば、また近づいてきますから」
「別にいいんじゃないですか?ちょっとくらい」
「あなたが山を下りた後も、誰かが餌を与え続けるのですか?」
グサリとその言葉が胸に刺さった。返す言葉が見つからなかった。
「人間を恐れなくなった獣が荷物を荒らせば、次に来たハンターは追い払うでしょう。それでも戻ってくれば、処分するかもしれません」
「……優しくするつもりだったのに」
「一時の親切が、必ずしも相手のためになるとは限りません」
たぬきはエサを与えられないことを悟ったのかボテボテと歩き去っていく。それを見送りながら、ただ心の何処かにチクリと小針が刺さるのを感じた。
優しくしたかっただけなのに。
けれど、その後始末を誰かに押しつけることまで、果たして優しさと呼べるのだろうか。
「……聖女になるのって難しいな」
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