18話 垣間見たものは
ふいに、しんと静まり返った夜中に目が覚めた。
「…………」
ただひたすらに虚空を、その闇の先の天井を見つめながらアンジェは考える。昼間、〔治癒の美珠〕でノンナを癒せなかったことを思い出す。
割り切ったつもりだった。元から適性が無いとは教会からも判断されていて。それでも頑張るとノンナの前でも宣言して。
だけどもやっぱり、心の中のモヤモヤは波のように押し寄せてくる。まったく、コインを裏返すように綺麗に切り替えられたらいいのに。
「……水飲も」
時計が部屋にないから分からないが、恐らく今は深夜だ。同居人の迷惑にならないように、音を立てずに慎重にドアを開けて……廊下の奥に光があることに気付いた。あそこはたしか、リアの部屋だったハズだ。
「…………」
興味が湧いたというか魔が差したというべきか。好奇心の赴くままにアンジェは抜き足、差し足、忍び足で光に近づいて、そっと中の様子を覗き込んだ。
(わっ汚…)
最初に目に入ったのは床に散らばった色々なものだ。本に紙に、何かよく分からないものまで。整理整頓を旨とする神官として、この光景は許せない。明日の朝言ったほうが良いのかな?と思いながら視線を上げていく。すると視線の先には机に向かったリアの背があった。その姿は朝のようにキャミソール一枚と簡素だったが、何故かそこから目が離せない。アンジェが見つめている中、リアはただひたすらに精神を集中しているみたいだった。
ふと気付く。机の上に置かれ、ピクリとも動かないリアの掌の上。そのすぐ上の空間が、淡い翠色を帯びていた。それは最初は微かな色だった。だがしかし、時を経るごとにそれは深く、より深く色付いていく。
確かな異常、明らかな異能——なのに廊下には不穏な気配は欠片としてない。そして色濃くしていく翠色の光が凝縮された瞬間、それは現れた。
(……!?なんで魔石が!?)
直感的にその正体に思い至る。確信はない……魔獣が残すそれは目の前のものと違って黒曜石のように真っ黒だ。しかし、魔石は確固としてそこにあった。中空に現れた魔石は、周囲の翠色を取り込んでゆっくり…ゆっくりとその大きさを増していく。
(わっ……わっ……わっ!?)
固唾を飲んでアンジェが見守る中、掌に収まるほどに成長した魔石にリアが触れる。すると翠色の球体の中に黒い核球が生まれ出た。まるでそれは、昼間に見た〔治癒の美珠〕が白く濁ってないようで。
はぁ……っと大きく息を吐きながら、リアが〔治癒の美珠〕を手に取った。そのまま机にそれを置き、傍らにあったタオルで素肌を拭いていく。魔石に気を取られていて気づかなかったが、そのスレンダーな体は全身に汗を帯びていた。腕から首筋へ、さらに脚へとタオルが移っていくのを見ていると、なんだか見てはいけないものを見ている気がしてくる。だからアンジェはそっとドアから離れて——
「……入ったらどうなんだ」
そう、室内から呼び止められた。
ばっと、反射的に振り返るが、ドアの隙間から見えるリアは振り返りもせず、丁寧に髪を拭っている。どうやら、アンジェが覗いていたことには最初から気づいていたらしい。
観念したアンジェは扉をもう少しだけ開き、改めて室内を見渡した。本や紙束だけならまだしも、正体の分からない器具や空き瓶までもが床を占領していた。
「……入ろうにも、足の踏み場もないんだけど」
「適当に避けろよ。踏んでもいいぞー」
汗を拭きながら、リアは実にどうでもよさそうに答えた。自分の部屋にある物への扱いとは思えない。
「それよりもあんた、片付けてよね」
「来週には片付けるさ」
「そのセリフ、先月も言ってそう」
「二カ月前に言ったさ」
悪びれる様子すらない返答に、アンジェは眉間を押さえながらリアの部屋へと足を踏み入れる。部屋の中は、作業の熱気と汗の匂いがこもっていた。
「……机のそれ、さ。〔治癒の美珠〕……よね?」
「そうだな……無理やり魔力を臨界まで高めて結晶化してるから、まぁ、だいぶ持っていかれるな。月ごとに魔術協会に卸してるから慣れたけど毎度このザマさ」
「そっかぁ……」
心の中にある闇が再び顔をもたげてくる。どうしてリアは魔術が、治癒魔術が出来るのか。ずるい、ずるいずるいずるい。だけど言いたくない。自分がみっともなさすぎるから、なけなしのプライドがあるから言えない。
ただリアを見ずに机の上の〔治癒の美珠〕を見つめていると、それがリアに拾われた。
「昼間のことは聞いたぞ。中古品買って、使えなかったらしいな」
「……そうね」
「母珠使ってみるか?母珠は、そこから分珠した子珠や中古品とは性能も出力も違うからよ」
リアが手に持った〔治癒の美珠〕を差し伸ばしてくる。
もしかしたら、昼間のあれは劣化したものだっから上手くいかなかったのかもしれない。美珠の発動する術の出力が足りなかっただけかもしれない。そんな思いがアンジェの頭に浮かんできて……だがそれを、頭を振ってアンジェは断った。
「辞めとく…どうせおんなじことになる気がする」
「お前がそう思うなら……多分そうなんだろうな」
再び〔治癒の美珠〕を机の上に置く。真新しい〔治癒の美珠〕がゴロリと音を立てて転がっていく。それを見ながらリアが口を開いた。
「ノンナから聞いたんだろ?オレが出来損ないの魔術士だってことは」
「別に出来損ないとまでは言ってなかった気がするけど」
「似たようなもんだよ。干渉術式に限れば、この程度だからな」
リアが伸ばした掌の上に、ろうそくよりは少し大きめの火が灯る。ゆらゆらと火が揺れるそれをリアは握りしめて消した。干渉術式に適性が無いと一目で分かる光景だった。
「お前の気持ちはわかるよ。オレも同じ憤りがあった。どうしてオレには使えないんだってな」
「…………」
「ただな、出来ないと思ってたことを、屁理屈つけて掻い潜るようにして突破するのは楽しいもんだぞ。きっとお前もちょっと殻を破れば、出来ないことが強みに見えてくるようになるはずだ」
「そんなの……理想論じゃん」
「その理想論を実現出来たのがオレだ。お前もそうなるとは何も保証は出来ないけどな」
タオルをピンと張ったあと、そのまま肩に掛ける。どうやらこれからシャワーを浴びるつもりらしい。
アンジェを押しのけて階下に行く背中に問いかける。
「……どうやってリアは銀等級になれたの……?」
「干渉術式は使えない。だからまぁ発想を変えた。治癒とバフで敵を倒せるすべを見つけた。だからここにいる。……もういい加減いい時間だ。さっさと寝ろ」
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