17話 決意を新たに/根回し
薄暗い路地裏で、人目から隠れるようにうずくまってアンジェは泣いていた。
〔治癒の美珠〕は、製作者の術式を魔石へ刻み込んだものだ。使うほどに白く濁り、最後には砕けてしまうが、それまでは刻まれた治癒術式を誰でも起動できる——そのはずだった。
考えが甘かった。いや、考えようとしていなかったというべきか。まさか、〔治癒の美珠〕を使ってさえ他人を癒せないとは思わなかった。
そうしてしばらく泣いてから、アンジェはようやく立ち上がって周りを見渡した。さっきまで一緒にいたはずのノンナの姿が何処にもない。
(ははっ……泣いてウザがられちゃったかな。あー最悪)
再び涙が視界を歪ませるが、頑張って上を向いて我慢する。
そのままアンジェは光溢れる表通りから遠ざかるように路地の奥へ歩き出して……
「……ん、アンジェ」
「ノンナ……帰ったと思ってたよ」
「……そんなことはない。友達を、見捨てない」
「友達……」
そう呟くアンジェの口にノンナが何かを突っ込んだ。フルーツの酸味とクリームの甘みがアンジェの口の中に広がる。
「んぐっ、何これクレープ?」
「……ん。気落ちしたときは甘いものに限る」
「…………そっかありがと」
二人して、壁にもたれかかりながら無言でクレープを食べていく。そんな中でポツンとノンナが言葉を漏らした。
「……ごめん」
「ごめんって、何よ」
「……〔治癒の美珠〕が欲しいとは知らなかった。アレは……」
言葉を切ってクレープの残りを頬張る。そのまま飲み込むとノンナは言葉を続けた。
「……〔治癒の美珠〕はリアが母珠を作れる」
「そうなんだ……」
「……うん」
「何でもできるってずるくない?」
「……ううん、それは違う」
つい心に生まれた闇が一粒、外へと零れ落ちてしまった。言ってしまった言葉に深く後悔するアンジェに対して、ノンナは言葉を続ける。
「……リアは普通の魔術士が強みとする、攻撃や地形への干渉ができない。直接敵を倒すための術を、ほとんど持ってないのがリア」
「それって、それでも銀等級になれたってこと?」
「……そう。普通の魔術士と同じようには戦えないのに銀等級になれた実例がある。誰もなったことのない新しい形の銀等級として。だからアンジェもきっとなれる。聖女に」
ノンナの言葉を、深く噛みしめる。そういえば鵺戦でリアは火力支援をしなかったが、そういうことだったのか。
「……〔治癒の美珠〕を使えばあたし自身は回復できた」
「……うん」
だったら
「だったら、完全に腹くくって進むしかないわね。今まで誰も見たことのない、あたしなりの聖女に……!」
少女の前に進むべき道は定まった。あとはこの険しく恐るべき道を進むのみ。できるかどうかは分からない。たどり着けるかは分からない。途中で引き返すかもしれないし、足を滑らせて転げ落ちるかもしれない。だがこの日、確かに少女は一つの指針を得たのだった。
■□■□
その日、鉄等級ハンターのザンデンはいつものようにわびしい財布と相談しながら酒を呑んでいた。馴染みの店、相も変わらぬまばらな客。よくも悪くも安かろうの精神で作られた料理も、酒の供としてはほどほどの代物だ。それでも酒を呑めるのならと、大将を呼び止めて——
「大将、生中二つ」
いつの間にやら隣に座り込んでいた少女の声に顔をしかめた。
「久しぶりだなザンデン。相変わらず奥さんに財布握られてるんだな」
「うるせえよクソガキ。お前と一緒にいると通報されるからマジで嫌なんだが」
届けられた生中を、一つはザンデンに押し付けもう一つ一気に飲み干した少女、リアはそのたぬき系の顔に、にんまりと笑みを浮かべていた。
「頼みがある」
ザンデンはそれを聞いて眉間の皺を更に深くする。
何度かこいつには関わることがあったがその度に酷い目にあってきた記憶しかない。勘弁してくれ、そう思ったとおりに口を開こうとして……カウンターに置かれたそれに目を奪われた。
「報酬は〔治癒の美珠〕の母珠」
「マジかよ……」
呻くように、絞り出すような声を気にせずリアは言葉を続ける。
「最近、パーティーで面白い子を拾ってね。まぁできればまっとうに育てたいんだよ」
「……まあノンナはともかくお前はちょっと普通じゃねぇもんな。この評価値オールゼロめ」
「鋼鉄のベテラン様に褒められても何もでねぇよ。
だもんでまぁまずは基礎を叩き込んでほしい。ギルドで聞いたが、お前んとこカリュマ山に新人連れて行くんだろ?そこにねじ込ませてくれや」
「断る。ギルドへの申請書で何見たんだ?新人二人含めた五人パーティーだぞ。そこにお荷物追加してもトラブルにしかならん」
「そこを何とか頼む。オレだって人脈薄い中お前にしか頼めないからこうしてきたんだ。後払いで〔治癒の美珠〕もう一個つけるぞ」
「話になんねーな。山岳遠征だぞ。滑落に魔獣の不意打ち、そこに連係の取れない新人入れても全員が死にかねないんだぞ。四つ先払いでよこせ」
「遠征は明後日だろ。簡単な連係は明日積ませればいい。そもそもそっちの新人二人も大して動けないだろ。美珠は全部で三つ、内一つは後払いだ」
「いや三つは最悪事前に欲しい。じゃなきゃマジで人が死ぬ」
「明後日までに美珠三つは無理だ。流石にオレでも追いつかん。だから子守としてノンナをつける。それで美珠は前払い二つ後払い一つだ」
「……あの子はたしか銅等級か。なら良いだろう。詳細は明日俺らの詰所で詰めるから朝に来い」
「分かった。明日そっちの詰所で顔合わせだな。もう一個の前払い分の美珠は明後日渡す」
それからな、ザンデンはしかめ面で続けた。
「約束は守る。だからさっさと帰れや」
「あん?どうしてだよ」
「どうしても何もねぇよ親子くらい年が離れてるんだぞ。お前みたいな小娘とこのビア樽腹が二人で飲んでるところを見られたら、何を言われるか分からん」
「あーそうかい。なら伝票よこせ。さすがに払うぞ」
「うるせえんだよガキに酒奢らせる大人がどこにいるってんだ」
「それもそうだな……じゃあガキは消えるよ。奥さんによろしくな」
いつもはいない黒髪の少女が立ち去って、店内はいつもの光景を取り戻した。残るのはリアの残した〔治癒の美珠〕のみ。それをつまみながら苦々しい表情をザンデンは浮かべた。
「使うもよし、売るもよし、分珠して数を増やすもよしの母珠か……こいつは嫌な予感がするぜ」
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