12話 来援
その時のアンジェは正直な所、自分は死ぬんだな。と強く思っていた。魔力はほとんど使ってしまったし、体力だって消耗している。頭なんか疲れで回ってない自覚がある。そうして猿頭鵺の一撃を最期まで見ていようとして、ソレを透明な壁に阻まれた。
「えっ!?」
「ヒョー!!ヒョー!!」
突然の出来事についていけずアンジェの腰が抜けて座り込む。必殺の一撃を阻まれた鵺も驚いたように壁を蹴って飛び退くと、こちらを強く睨んできた。壁は、エミリーの使っていたものと同じ【水晶壁】のはずだった。けれど、まるで違う。透明な面には傷ひとつない。
ふと、いつの間にやら鵺とアンジェを挟んだ壁のアンジェ側に大きな闇の塊が立ち上がった。
「森の入り口でデケー雷があったから来てみれば、一体何だこりゃこの状況」
闇は次第に薄れていき、声とともに誰かの姿が見える。
まず目に入ったのは背の半ばまで届く黒のポニーテールだ。枯草色のローブからは華奢な女の肩幅が見て取れる。手にした長杖の先端には、ポニーテールを纏める簪と同じ翠色の魔石が嵌め込んである。いつか何処かで見たことのあるその人は腰を抜かしたアンジェの方へと振り返った。
「はてさてオレはどうしたもんかね」
彼女は可愛らしく整った顔を、猛獣の如く野蛮に笑わせていた。
「キキーッ!!」
乱入者が視線を魔獣から切ったからか、猿頭の鵺はその四肢に雷を纏って駆け寄ると、大きく後ろ足だけで立ち上がって【水晶壁】へともたれつくように引っ掻いてくる。しかし、それでも壁は決して傷付かず揺らがない。引っ掻きだけではない。壁に対して肩からぶつかろうが牙を立てようが気にも留めずに、そこから背中を向けてアンジェに向き合ったリアは、屈んでアンジェに目線を合わせて問いかけてきた。
「こんにちは初めましてだっけ。いやでもどっかで見た事あるような……」
「……えと、たしか1週間前に『夢猫亭』って店で。アンジェって名前です久しぶりリア」
「アンジェ……アンジェ……。あーそういや飯奢ったなそんなことあったあった。元気してた?」
「なんとか……ってそんな話してる場合じゃない!?ちょっと2人ほど死にかけてるんだけど!?!?」
猫頭の鵺からも、猿顔の鵺からも現状放置されているがどっかでボウザン達が横たわっている筈だ。アンジェは2人を探そうと首を巡らせて、
「——ノンナ」
「……ん」
いつの間にそこに居たのだろうか。草を踏む音すらなく小柄な少女が、その矮躯からは想像もつかない力で大の大人2人を肩に担いでアンジェ達の傍にいた。黒いタイツにショートパンツ、上には灰色のパーカー。街中にでもいそうな軽装だが、その頭には場違いにも見えるサファリハットが載っている。その帽子の下から覗く赤髪の少女——ノンナは二人をゆっくりと地面へ降ろすと、懐から二本の短剣を抜いた。猛獣の攻撃を受け続け、さすがに亀裂の走り始めた【水晶壁】の前へ立つ。
「……アンジェ。2人はまだ息はあるから安心して」
「え、それは……まぁ良かったけど。ノンナは……何する気なの?」
「……何ってそれは勿論」
パチン、とリアが指を鳴らすのに合わせて【水晶壁】が消える。突然の壁の消失に戸惑いながらも突進を仕掛けてきた鵺に対して、双剣を構えたノンナは音を置き去りにするかのように駆け寄って、その顎を強かに蹴り上げた。
「……ん、時間稼ぎ」
■□■□
虎の爪が空を裂きながら、パーカーを着た少女へと襲いかかる。だがそれを少女は手にした短剣で弾き、もう一本の短剣で喉元を鋭く突く——ヒット。ザッと音を立てて毛と血が飛び散った。ノンナは成果に拘泥せずに素早く飛び退くと、下から掬い上げるように猿の頭突きが残影を打ち砕く。猿顔鵺の周りを右へ左へと跳ねるように動きながら斬りかかるが、魔獣には軽傷こそあれ深手がない。それもそのはず、魔獣にも人と同様魔力を体に滾らせた『評価値』がある。全身を巡る魔力が毛皮と肉を強靭にし、ノンナの刃を浅く受け止めていた。大柄な鵺が時折じれたように唸りながら電撃を放つ。更には重傷のハズの猫頭鵺もまた、自身は動けぬまま風を放つがノンナはそれらを得物で打ち払った。間を置かずにノンナは2体の鵺の間を縫うように走り抜け、『頑強』に強化されたはずの体表を切り裂いていく。
剣身一体、鍛えられたハンターは得物を腕の延長と捉える事が出来る。そして剣を自身と強引に見なして『評価値』たる『武威』にて強化する。この光景は果たして2体の獣に翻弄される少女と見るべきか、多勢に無勢を乗り切る少女と見るべきか。奏でられる戦場音楽はまさに1つの演奏として成り立ち、しばしアンジェを放心させた。
そしてそんなアンジェの心を引き戻すように柏手が一拍鳴り響き、呟きが場を支配する。
「"——木の間漏れに癒し在れ"【木漏れ日の揺籃】」
萌黄色の円がアンジェを、そしてボウザン達を囲むと、たちまちのうちに薄緑の光の粒が円の中を踊り出した。
「……これは一体?」
「まぁあれだ治癒術式だよ。傷を癒し体力と魔力を補填する。とりあえずじっとしとけば何とかなるさ」
思わず呟いた一言にリアが答えた。その答えを実証するようにアンジェの身体から疲労感と痛みが引いていき、枯渇しかけた魔力が少しずつ回復していく。見ればエミリー達の傷口は血の色から薄緑に染まり輝いていた。そのままアンジェの身を包む心地良い空気に思わず全てを任せたくなるが、しかしそうもいかない。
「いいのアレって……1人じゃ鵺2体も引き留めるのって無理なんじゃ?」
「それなら大丈夫だ。ノンナは銅等級だからな……倒すのに時間は掛かっても倒されるのは万に1つもねーよ。……そんなことよりもだ」
先端に翠色の魔石をはめ込んだ長杖を支えにして立ち上がったリアが鋭い目で問いを投げる。
「色々聞きてぇ事はあるんだが……まぁ手早く片付けていこう。あの鵺はお前らの獲物か?」
「……え、と。獲物というか襲われたというか。先に猫の方と戦ってたら猿が乱入してきたっていうか……」
「んじゃ2つ目。ここで伸びてるのはお前の仲間か?たしか前会った時はソロでやる雰囲気だったよな?」
「…………難しいけど今日初めて会って、仲間と思ってたら不意打ちされた関係よ」
なるほどなるほどと頷くリア。アンジェとしては正直ノンナ側が気になって仕方ないが、どうやら今も元気に獣が不満の声を上げているみたいだ。ノンナの動きについていけずに苛立っているらしい。
「最後に1つ。アレらは貰ってしまって構わねーな?」
「?貰うってどゆこと?」
問われた意味がわからず問い返すと、先輩ハンターは気を悪くした様子もなく答えてくれた。
「ハンターの不文律。狙った獲物の無断横取りはトラブルの元ってな。もうお前じゃ無理だろ鵺倒すの」
だから貰ってしまっていいよな?と続いた言葉は思いの外強くアンジェの心に突き刺さった。このまま先輩に任せてしまっていいのだと。先輩から見たら鵺討伐を諦めてしまっても仕方ないのだと——————ふざけるな。
気がついた時には無意識のうちにリアの胸ぐらを掴み上げてしまっていた。
「……何のつもりだ新人ちゃん。現実見えてるのか?」
「こっちこそ何のつもりよ憐れみ?」
内心やってしまった……!と心の中で叫びながら、開き直って言葉を続ける。
「確かにあの大柄な猿の方には勝てない。でも鳥の方になら勝てる……追い込んだのはあたしだもの。アレはそうよあたしの獲物よ」
「——へぇ?」
「もしあの鵺をあなた達に任せたら……きっとあたしはこの先も勝ちきれない奴を誰かに任せるようになる。そんな惨めな自分には絶対なりたくない」
「ホ〜ぅよくもまぁ魔力切れでほざいたな。完全に回復し切るまで、あんままノンナに時間稼ぎでもしてもらうか?」
挑発するように投げられた言葉を聞いてから、リアの胸ぐらをつかんでいた手を離す。どうするべきか……考えはある。
「いいえ今から殴りつける。ぎりぎり何発かは保つはずだし……もしかしてリア、あなたならあたしが遠くにいても魔力補給出来るんじゃない?」
それを聞いたリアはにやりと笑うと言葉を続けた。
「出来るできないでいえば……まぁ出来るよ?でもいいのか?それはお前の夢とやらには邪魔なんじゃないのか?」
「……それはそう。でも逃げたわけじゃない。これはあたしの力不足の結果。だから次は同じことにならないようにするだけの話——だから、お願い」
アンジェの宣言を聞き届けたリアは天を仰ぐと大きなため息をつきながら、こう問うた。
「……最後の質問だが……お前一体何目指してるんだよ」
「あたしは——あたしの夢は聖女になることよ。教会に居たままじゃなれそうにない。だからあたしはハンターとして名を挙げて聖女になるの」
そっか、と呟いた声はどこか優しげだった。
リアは手にした長杖を、いまだ格闘中のノンナ達に向けて叫んだ。
「おいノンナ!オーダーだ……!」
「……忙しいのに、何!?」
「猿顔をぶっ飛ばせ!」
「……了解!」
柄頭を使って2体の鵺の額を、それぞれ強かに打ち据えたノンナはあっという間にリアのそばへと駆け寄ると、地に双剣を突き刺し左手を前にして詠唱を開始した。その呟きに重ねるようにリアもまた言祝ぐ。
「"——檻よ在れ"【水晶牢】」
魔獣2匹をそれぞれ閉じ込めるように透明な格子の檻が作られる。
びくともしない檻相手に獣がもがく間も2人の詠唱は続いていく。
「"……砲塔ヲ作製ス。鉄ノ筒ヲ刳リ貫ク事"」
「"——検図開始。誤差を指摘し担い手に返却"」
「"……誤差修正ヲ受ケ入レル事。此レヲ持ッテ完成トス。アンカーセットシ砲塔ヲ固定。チャンバー内正常加圧開始"」
「"——リアの名の下、これらを承認。チェックオールグリーン"」
「"……我ガ砲ニ不備ナシ"……吹っ飛べ【エアロ・カノン】!!」
ノンナがその詠唱を完成させた途端、その前に現れた光り輝く砲門から放たれた風の砲弾が、猿の方の檻を砕き、中身を強く吹き飛ばして森の奥へと追いやった。即座に双剣を拾い上げるとノンナは吹き飛んだ猿顔鵺を追って森の奥へと消えていく。
場に残るのはもはや猫鳥鵺のみ。
アンジェの長い長い1日の最後の戦いの始まりが幕を上げた。
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