10話 自業自得
「っ、"悠久を抱きし壁を今此処に!不破なる守りよ聳え立て!【水晶壁】"!!」
「ぐっ、いいぞエミリー!壁を切らすなよ!」
体勢を崩されたボウザンがスキを見せる度に、長杖片手にエミリーがそのスキをカバーする。
時折焦れた鵺がエミリーに向かおうとするが、その度にボウザンがそれを阻止するために一度もエミリーは鵺に襲われてはいない。
しかし魔術を連発したせいか、肩を大きく上下させて喘いでおり、段々とフォローが追いつかなくなり始めていた。
そして、疲労し始めているのはエミリーだけではない。
この場で今一番消耗しているのはまず間違いなく幾度も魔獣と斬り結んでいるボウザンだ。
(このままだとマズい。磨り潰されてあたしもあの二人も皆死ぬ……)
「~~~~~っらぁ!しゃーコラ死ねや!!!」
のろのろとようやく体を起こし出したアンジェの視線の先で、ボウザンが怒号と共に叩きつけた刃が魔獣の爪を叩き落とす。
だがそれは敵の攻撃を迎撃しただけだ。細かい傷なら入れられただろうが、急所に深手を負わせられた訳では無い。
未だ、ボウザンも鵺も共に有効打は入っていないものの、攻撃をいなすことで精一杯なボウザンと大きな反撃が無いことをいい事に好きなだけ殴りつけてる鵺とで消耗の度合いが大きく違うのは当然の道理に見えた。
そっと、じくじく痛むピアスに手が伸びる。生暖かいそれは先のように魔術の行使を邪魔するようには感じない気がする。
(当然か。多分激痛を走らせるのはエミリーの任意のハズだ)
じゃなきゃあの野郎と出会してから機能しだした理由がつかない。男の叫び声と獣の唸り声を耳に入れながらアンジェはひたすら考えていた。
(でも、それだと家畜の管理に使ってたってさっきのセリフと合わないな……オンオフとか?自働はマズイ、めっちゃマズイ)
もし、もしこれからやろうとすることにこのピアスが反応したら。その時はもはや考えるまでもない……全員が死んで終わりだ。
だがしかし、何もしなければどっちにせよ皆死ぬ未来しか持っていない。奮戦するボウザン達の動きは素人目にも見事だがここから逆転の目があるようにはとても思えない。
ならば————ふぅと肺から空気を絞り出す。幸いボウザンもエミリーもこちらを気にかけてない、気に掛ける余裕もない。今からやろうとすることに気付きもしないだろう。
アンジェがやることは単純だ———魔術を使って鵺を追い払う。
慎重に、慎重に魔力を練り上げ始める。ピアスの発動は……今のところない。だが発動しなくてももし予兆を鵺に悟られれば即座に襲われて一巻の終わりだ。エミリーにも気付かれると困る。常よりももっと静かにゆっくりと術式を編んでいく。まるで震える指先で針に糸を通すかのように。瞬間、ふと[円在教]に居た頃受けたテストを思い出した。あの時はここまで慎重に術式を編み上げていただろうか。少なくともこんなにゆっくりではなかったハズだと思う。
そして術が完成したその瞬間、鵺達の方で動きがあった。
「コォォォオオオオオ、コケッ!」
鵺が大きく翼を広げるとそこにある空気が渦巻き始める。目に見えない乱流が凄まじい音を鳴り響かせたかと思うと、猫顔にして胴が鳥、狐の尾を持つ鵺は高らかに嘶いた。
「コォォォ、ケェェェェッ!!」
瞬間、大きく渦巻いた風の塊が射出されボウザンへと迫る。
対するボウザンは腹をくくったように笑みを浮かべるとその愛剣に全ての魔力を込めて風の塊に叩きつけた。
地が抉られ、全身に裂傷が走り出す。それでも男は役目を果たすために立ち続ける。決して後衛に攻撃を届かせない、その基本に則り何としてでも叩き落とす。その信念は小さな奇跡を呼び起こす。
「っ!ゔぉぉおおおらあ!」
裂帛一閃、ボウザンの剣は渦巻く風をねじ伏せた。しかし技後の緩みでもはや指一本動かすことすらできない。そんな死に体なボウザンへと鵺が迫り——
「今だ……!!"私は祈る。霜付く六花よ咲き誇れ"【氷青っがあああああっ!?」
半ば覚悟していた痛みで術式が割れていく霧散していく。頭痛に顔をしかめながら目をやると、やはりと言うべきか勝ち誇ったエミリーが醜く笑っている。
「ハンっ、アンタだけ逃げようったってそうはいかないわよ」
最高のタイミングだった。無防備なボウザンに襲いかかる鵺はそれしか考えていないかのように不意打ちに対して無防備で、まるで戦力とみていない少女の一撃で大きな手傷を負うハズだった。
最悪のタイミングだった。本来ならボウザンへの追撃を防ぐべきエミリーは小娘にかかりきりで、もはやボウザンを守るものは何もなかった——だから、こうなった。
グチャッと、生肉を食いちぎるような、なにか大事なものが破裂するような音にふと我に返ったエミリーがボウザンを見るがもう遅い。腹を食い千切られ血の池に沈むボウザンという結果を覆すことはもうできない。
高らかに響き渡った鵺の鳴き声はまさに勝利宣言そのものであった。
□■□■
「グルルルウゥゥ……ガァウ」
血を滴らせた猫の顎が唸りをあげる。もはや手に入った獲物を取り返されまいと……そして新たな獲物を手に入れんと欲するがために。
惨劇を目の当たりにしたアンジェ達にはもはや為すすべはない。硝子等級の前衛がやられた以上、後は嬲られるのを待つのみだ。だからこそ、ピアスからの痛みで再び倒れていたアンジェは立ち上がる。
「……エミリー。あたしが前に出て戦う。だから、援護をお願い」
「援護……援護ですって!?アンタ正気???」
「正気も正気、モチのロンよ」
ゆっくりとエミリーの前に、鵺の正面へと歩み寄る。
鵺はというとボウザンという餌を手に入れたからか連戦を避けたいからなのか、倒れた男を足蹴にするとこちらの様子を伺っているみたいだ。
「鵺を倒してあのヤローを救出する……そのためにはエミリー、あなたの助けが必要よ」
だからお願い、と呟きながら女の横を通り過ぎるが……なにかあるのかと思っていたが何もしてこないのが意外だった。頭部への不意打ちがあるから鵺だけでなくエミリーにも注意する。草臥れた女神官はボウザン、鵺、アンジェを順に見ると歯噛みしながら地団駄を踏んで、
「〜〜〜〜冗談はゴメンよ!死にたいならアンタ1人で死になさいよ!!」
——長杖を放り投げ一目散に逃げ出した。
「ちょっ!?エミリー!?」
「死にたくない死にたくない……!私は聖女になるのよ私は……!!」
あまりの出来事に鵺の事も忘れて振り返ってしまう。アンジェの後ろには動きにくくだろう草臥れた神官服にもかかわらず、こちらに背を向けて森の出口、垣間見える草原へと走って逃げる背中が見えた。それを見ながらアンジェの脳裏にふとある言葉が蘇る。その言葉を紡いだのは、一体誰だっただろうか。
——もし強そうな魔獣に出会したら、背中向けて逃げちゃだめよ。獣の習性として逃げるものは追いかけちゃうから
瞬間、風がアンジェの傍を走り抜けその体を硬直させる。風は——その胴が鳥である所以を示すかのように素早く飛んだ鵺は、一瞬でエミリーの目前へと回り込み狐尾で強く打ち据え吹き飛ばした。
「ぎゃっ……ゴフッ!」
「な……っ!?」
人間ピンボールと化したエミリーを目で追いかけると、何の因果か狙い通りか、その姿は倒れ伏したボウザンの傍に横たわっていた。あまりの光景に今度こそ絶句するアンジェの傍を勝ち誇ったかのように鵺が通るのに、通り過ぎた後から気がつく始末だ。
パキン、とエミリーが放り投げた長杖を踏みへし折る音がする。
「う、うぁ……こ、こんな…杖、杖はどこ!?あの女さえ……気絶させたら……私は……!!!」
仰向けになり、のろのろと腕を伸ばすエミリーはもはや立ち上がれるように見えない。そして、鵺はその腕を踏みつぶすとエミリーの腹に齧り付いた。
……痛ましい女の叫び声を、アンジェは聞くことしか出来なかった。
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