ナルvsグリム
目をそらしたなどという言い訳をするつもりはないが、とナルは内心で前置きをしながら右腕を首の高さまで上げる。
と同時に重い衝撃がグローブ越しに腕を走った。
明らかに殺意のある攻撃、一切の躊躇がないグリムの攻撃を見えないままに受け切ったナルは空いた左手で軽く殴りつけようと拳を振るうが、腕に充てられたままの剣を軸に空中で姿勢を変えたグリムは左手に握っていた短剣をナルの首筋に差し込もうとした。
空を殴りつけたまま勢いを殺さずに回転してそれを避けたナルは今度こそグリムの着ていたローブの端ではあるが、指先で触れることができた。
せっかくだからと【力】を発動させて指二本でそれを摘まんで動きを制限しようとしたナルの視界が黒一色で染まる。
とっさに脱ぎ捨てたローブでナルの視界を覆い隠したグリムをナルは再び見失った。
あいにくと【愚者】のセンサーは役に立たない。
近くに【塔】のカードがあり、眼前には【死神】、少し離れた位置に【戦車】がいるのだからよほどの集中力を見せなければ効果は発揮できないが、そんなことに意識を向ければあっという間にナルの喉首は掻き切られるだろう。
「というか、なんでこんなとこに? 」
「なりゆき……? ナル、は? 」
「あー……俺もなりゆき」
高速機動でナルを翻弄するグリムは、会話に気を割く程度には余裕があるのだろう。
ナルもそれは同じで、互いに全力は出していない。
とはいえカードの影響か、それともグリムによる「こいつは殺しても死なないからいいや」という妥協なのか、はたまた「一度本気で戦ってみたかったんだ」という戦闘狂的な思考なのか、あるいは何か裏で脅されでもしたのか、さもなくばよほど美味しい条件をだされたのか、とにかくどのような理由があるにせよグリムはナルを殺しにかかっているという事だけは事実であった。
対してナルはグリムを殺すわけにはいかないと手加減をしなければいけないことに歯噛みする。
最初の一撃は土煙の流れた方角から向かって右に跳躍してナルの死角に入ったグリムが斬りつけてきたと判断、首筋は大方狙ってくるだろうと攻撃を外した時点で狙われそうな予感がしたため回転して回避、ローブに触れることができたのは全くの偶然である。
そして一度視界をふさがれてしまった今、下手に動くことができなくなった。
ナルの顔にかぶさっている、ほんのりと甘い香りのするローブを払いのける動作を取ろうとすればそれは致命的な隙になるのだ。
だからこそ、あえて視界を封じられたまま軽口をたたき合っている。
断じて、ナルが甘い香りを堪能しているというわけではない。
「なにに釣られた? 」
「特に何も、殺さない、練習」
「あぁ……表にも闘技場あるんだな。その流れで裏にスカウトされたか」
「ん」
グリムのいきさつはおおよそ理解できた。
この街は遊戯、言い換えるならば賭博が一大興行だ。
その中には物騒な物もあり、そしてグリムが目をとめたのは闘技場、あるいは拳闘場である。
そこで相手を殺さずに無力化する練習に励んでいたグリムを、不意に見かけた貴族の誰かが声をかけてここに連れてきたのだろう。
表情はほとんど見る事が出来なかったが、声色から察するにその成果は出ているようで普段と変わらないものである。
「うまくいってるらしな」
「ん、いい感じ」
そう言いながら時折ナルを射抜かんと刺突を繰り出すグリム。
徐々にナルの視界を覆っていたローブは穴だらけとなり、そして何度か躱したところで細切れになりナルは視界を取り戻したのだった。
「それにしても……怖いなぁ、手加減してくれよ」
「ナルには、不要……でしょ? 」
「でしょって……可愛く言われてもなぁ」
ナルとておいそれと死ぬわけにはいかなくなったのだ。
カード集めが振り出しに戻される可能性もあれば、組織の名声に傷をつける可能性もある。
そもそも痛いのは嫌だと開き直っているのだ。
タワーが医者だと知っていれば、躊躇したかもしれないほどナルはその手の職業を嫌っている。
瀉血だのなんだのの時代はとっくの昔に通り過ぎているが、注射だ切開だと医療関連に関してはろくな思い出がないのが原因である。
その中でも最大の理由は、子供のころに受けた歯の治療だろう。
詳しくは割愛するが、治療中に死を覚悟した程の激痛にさいなまれて気を失いながら失禁した若かりし頃の誰かがいたとだけ記しておこう。
「それより、ナル、本気、だして」
「えー……」
まさかここにきて逆に本気を出せと言われるとは思わなかったとナルは頭を掻く。
そして煙草に火をつけて、準備が整うのはまだかと構えているグリムを見つめた。
華奢な腕、小さな体躯、薄っぺらい胸板、どう見ても子供だが秘めている力は神と称される物だ。
むしろその小ささが厄介で、とにかく攻撃があてにくい癖に懐に飛び込んでくるからやりにくい。
ある意味では、ナルもそれなりの本気ではいる。
偽怪力のジャネットと相手をしたときは手加減をしていた。
偽死神の時はカードの制限はつけたが体術という面では十分本気を出していた。
マジャクは、言うまでもなく全力前回全霊を賭けた攻防だった。
では今は、攻撃をかわすという事に関しては本気で挑んでいる。
そこに一切の手抜きは無く、しかし攻撃という点では抑え込んでいるのは事実。
と、考えたところでナルは一つ予想を立てた。
まさかこいつ、まだこの期に及んで事故でうっかり殺してくれないかなとか考えてないだろうなと。
懐疑的な視線を向けたナルにグリムは首をかしげる。
それを見て、あぁ違うわ純粋に勝負楽しんでるだけだとナルは確信した。
「しょうがないなぁ……本気で、手加減してやるよ」
「む……」
ナルの言葉にグリムは顔を歪める。
「後悔、させる」
そう言ってグリムは再び姿を消す。
土煙の上がっている方角から見るに一度左に跳んでから右に跳びなおすという器用な真似をしてナルの死角にもぐりこんだようだ。
それと同時に眼前に迫る凶刃。
それをナルは事も無さげに指でつまみとったのだった。
「懐かしいなぁ、姿勢は違うが初めて会った時もこんなだった」
「そう、だった。でも今は違う」
そう、違うのだ。
当時は一本しかもっていなかった剣だが、グリムはもう一本マインゴーシュと言う守りに向いた剣を手に入れている。
どれほど守りに優れていると言ってもその本質は剣であることに変わりないのだと、脳天めがけて振り下ろされるそれを、やはりナルは摘まみとったのだった。
「な、んで……」
「煙が教えてくれた」
そう言ってピコピコと煙草を上下に動かしながらナルは笑みを見せる。
グリムの動きは確かに素早い。
そして的が小さく見失いやすい。
加えてグリム自信が相手の死角を的確に読み取ってそこに入り込むのだからどうしようもないのだ。
しかし見えないものを見えるようにするのは簡単な事、透明な空気の中で透明な物を探すならば空気を染めてしまえばいい。
そのための煙草だった。
それを吐き捨てたナルは剣を摘まんだままちゅうぶらりんになっているグリムの耳に口を近づける。
「俺の勝ち」
にやりと笑みを浮かべたままのナルに、グリムは顔を赤らめさせていた。
それは怒りか羞恥か惚けか、なんにせよこの一戦互いに傷つくことなくナルに軍配が上がったのだった。




