剣士
準備が整ったという連絡を受けてナルは闘技場へと降り立つ。
湧き上がる歓声、凄まじいまでの熱気に若干気圧される。
こいつらは何にこんな沸き方をしているのだろうかと、どこか冷めた視線を送りながらも対戦相手の剣士とやらに視線を戻そうとして、いまだ向かいには誰も立っていない事に遅まきながらに気づいたナルはまだ本調子じゃないなと煙草に火をつけてその場に腰を下ろした。
思えば相手を待つというのはここに来て初めての体験である。
今までは相手がその場にいたか、ナルとほぼ同時の入場だったからだ。
(向こうもお偉い方となんか話してるのかねぇ……)
思わず同情の念が胸の内からこみ上げるのを我慢して、煙を吐き出した。
「さぁさぁ皆様お待ちかね! 先に入場したのはナル選手! 死神と怪力を打ち破り、トリックテイキングの魔術師さえも退けた本大会最大のダークホース! しかし今は大人気で1.1倍です! 」
司会者はこの短時間では復帰できなかったのか、先程までの者とは別人だ。
それなりに鍛え上げられた、もしかしたらもとは此処の選手の一人だったのではと思わせる筋骨隆々の男だったのに対して今は不健康そうな顔色をした女性である。
それこそ小突けば骨の二三本は折れるのではないかと不安になる程に不健康そうだ。
こんなのが戦闘の真っただ中に入って大丈夫なのだろうかと思いながらも、死んだらその時はその時かと考える事10分。
すでに吸い殻は山のように積み上げられており、会場の雰囲気も険悪な物になりつつある。
臆して逃げたか、とも思ったがそれならばそれで良しというもの。
あるいは何かの作戦だろうか。
例えば、そう。
試合にわざと遅れて相手の調子を崩すとかそういう類の作戦。
小賢しいが割と有効な手段だ。
一般人が相手ならば、という前提はあるが。
この程度で平静を失うナルではない。
あえて言うならば煙草のストックが心もとないということくらいだろうか。
「やばい混ぜ物されてない奴、どっかで調達できないもんかね……」
この手の裏賭博場で売られている物品の八割はご禁制の品である。
そうでなくとも特別価格として吹っ掛けられることも珍しくない。
明らかな違法薬物でないという条件のもと、ニコチンが摂取できればなんでもいいと思いながら待つことさらに五分。
ようやく対戦相手は壇上に上がってきたのだった。
フード付きのローブを着ているため体格や顔は確認できない。
しかし背が低い事から子供だろうかと一瞬考えたナルだったが、すぐさま違和感を覚えた事に気づいた。
胸騒ぎと言い換えてもいい。
こう、ちょっと悪戯をしていたら親にその瞬間を見られてしまったような、そんな居心地の悪さである。
同時に点と点が線で結ばれていくように、ナルの中で勝手に連鎖的に思考が繋がっていく。
あれ? と思ったのはその身長だ。
背丈はナルの胸元に届く程度、随分と小柄である。
それは丁度手を置きやすい高さで、言い換えるならば撫でやすい位置に頭があるという事。
そしてもう一つの決定打、ナルは【愚者】に意識を向けていなかったがここにきて不意にセンサーを発動させてみたのだ。
結果、タワーの位置が不鮮明だった。
これはつまりもっと近い位置にカードの保有者がいるという事であり、それが意味するところはと言えば……。
「なにやってんだおい」
「賭け、試合? 」
グリムだった。
なぜこの場にグリムがいるのか、などはどうでもいい。
だがしかし、こいつはやばいぞとナルの中で警鐘が鳴らされる。
グリムは【死神】のカードで戦闘に関しては化物じみた強さを発揮する。
それはもう、ナルがカードを使って対処できるギリギリと言ったところだろうか。
初対面の時は断食による弱体化と、不意打ちで圧倒できたがこうして正面切っての戦いとなると勝てるかどうか怪しい。
唯一の救いはトリックテイキングの魔術師がこの光景を見ていなかったことだろう。
既にグリムやリオネットが同行している情報は掴まれていてもおかしくはない。
同時にその面が知れ渡っている可能性も考慮できている。
加えて、トリックテイキングと言う連中に対してナルが抱いている感想は悪趣味な集団と言うものだ。
そこから導き出される答えはいたって単純な物である。
もしこの光景を見ていたら、奴らは腹を抱えて大笑いしていたのではないだろうかと。
実際にマジャクがこの光景を見れば愉快な見世物として楽しんでいたであろうというのは事実である。
しかしトリックテイキング全体で見れば、有益な情報を得られると真剣に観戦していただろう。
あるいは今もしているのかもしれない。
そんな疑念を抱きながらもナルはこっそりと鋼糸のグローブを手にはめた。
怪我に関してはどうでもいい。
自分が不老不死であり、たいていの負傷はすぐに治ってしまうというのはグリムも承知の上。
であれば包帯姿を見てもそういう演技をしているのだろうと察してくれるはずだとナルは考える。
しかし、黒く染まり怪物のように鋭く伸びた爪を持つ指先はごまかしようがない。
今夜合流した時はどうやってごまかすかと考えていたが、当面は何かしらの言い訳を考えてグローブをはめたまま生活することになるだろうとこぶしを握ってその感触を確かめたのだった。
「さぁさぁ! 遅ればせながら現れたのはこちらもダークホース! 初参加の……えーと、なぜか名前の欄が無記入なのですが……ひとまず名無し選手としておきましょう! 剣士ナナシ! 両者準備が良ければ前へ! 」
司会者の言葉にグリムは迷うことなく前へ出た。
ナルはと言えば、どうしたものかなと考えながら足元の吸殻を散らす。
ここで辞退するのは簡単ではないが、貴族を言いくるめる事はできないこともない。
だがそれをすればトリックテイキングとのつながりが立たれる可能性があり、組織の面子も保てず、なおかつグリムからの怒りを一身に受ける事になりかねない。
明らかにデメリットが大きすぎるのだ。
そう考えて、渋々と一歩前へ出たナルは過去これほどの殺気は無かったと言い切れるほどの威圧感に背筋の毛穴が開くのを感じ取った。
「では、試合開始! 」
そして、合図とともにグリムの姿が消えた。




