【塔】
「急患一人はいりまーす」
「……」
貴族たちを無視して医務室へと偽死神を運んだナルは必要以上に陽気に見せていた。
ジャネットのやつ毒注射されてねえよなぁとか思いながら、その時はその時かと空いているベッドに半ば放り投げるように寝かせて無言で睨みつけてくる女医の視線を無視した。
「即効性の麻痺毒、使い方を誤れば心臓も止めかねないものが多いのに……なんでこいつはこんなに健康体なんだ。ジャネットに関してもそうだ。筋肉量はそのままに負荷のかかっていた内臓は活動を再開して薬物の残り香もない。骨もすでに半分ほどではあるが繋がり始めている。一体どんな魔法を使ったんだ」
「ここじゃ話せないな」
そもそもこの世界に回復魔法と呼ばれるようなものは伝説の中にしか存在しない。
いわゆる英雄、あるいは英雄の血族が極稀に発現する特別な魔法の一つとして認知されており、その魔法を得るだけであらゆる国家と対等な立場を得られるといっても過言ではない。
当然その事を知っているナルだが笑みを見せながら、医務室であろうともお構いなしと言った様子で煙草に火をつけるた。
今更衛生面などを気にするような場所でもなければ、この場にいるのはただの怪我人だけである。
それ以外は、ナルが試合をしている間に運び込まれてきたであろう他の試合の、犠牲者。
つまりはすでに物言わぬ亡骸となった者たちだ。
そのどれもが見るも無残な姿であり、おそらくは女医が介錯するまでもなく命を奪われていたのではないかと思える死に方だった。
「……あんたが強いのはわかった。でも棄権してほしいという気持ちは変わっていない。私の……いや、私ごときの手であればいくらでも貸してやるから」
「少し間違えているな……あんたごときの力を借りたいんじゃなくて、あんただけにしか頼めない話をしたいんだ。そのためにもまずはここにいる狸どもを黙らせられるくらいの力はあると証明しなきゃならない」
本音を言ってしまえば、今しがた運び込んだ偽死神がその異名を騙らなければ棄権するのもありかなとは思っていたナルだが少し考えが変わったのだ。
あの貴族連中は探られると困る腹を持っている。
ならばそれを利用しない手はないのだ。
持ちうる全てを利用して、その上で持ちうる全てを使いこの女医に取り入る必要がある。
そのためならば多少の面倒ごとは必要経費として気前よく引き受けてやろうと考えを改めたナルはこの裏賭博の大会で優勝をもぎ取り、その上で貴族共と晩餐を共にして交渉、女医の身柄か安全のどちらかを確保して改めてカードの話を持ち出せる状況に持ち込むのが最も楽な結末になると考えていた。
「狸ども……貴族相手に交渉ができると? 」
「というか余裕だろ。なにせあいつら自分だけは絶対に安全と思い込んでる間抜けだ」
ナルの見立てでは警戒すべきはあの老人ただ一人。
それも当人にとっては老い先短いと開き直っているからこそ注意しなければいけないと考えている相手に過ぎないのだ。
飴と鞭を使い分ければ、それは十分対処可能だと考えていた。
少なくともレムレス皇国のエコーや、ドスト帝国の女帝、その他今まで相手してきた魑魅魍魎にくらべればかわいらしいほどである。
「あなたは……」
「まぁ結果を待てってな。悪いようにはならないようにしてやるよ」
「……なら一つ忠告しておくわ」
「ん? 」
「私は破滅を導く女、だからこんな掃き溜めにいる。私と関わった者はみんな不幸になった。誰一人として幸せになれた者はいない。マズイと思ったらすぐに棄権しなさい。そして命懸けで逃げ回りなさい。生きていればあなたの魔法でどうにかできるでしょう」
「なるほど……そういう風に変質しているのか……いや、意外と変質していないのかもしれんな」
これでほぼ確定である。
カードの力と言うのは必ずしも保有者に益を与えるわけではない。
【悪魔】の保有者はわかりやすいだろう。
逆恨みからくる暴走の果てに死亡、怪物としてぞんざいに扱われて墓すら立ててもらえず打ち捨てられるところだった。
それはあまりにも可哀そうであるとグリムの陳情でナル達の手で丁重に葬ったが、明らかに不利益をもたらしていた。
グリムの【死神】も保有者の死を許容しないという特性を見せており、それが巡り巡ってグリムを苦しめる事になっていた。
これも不利益である。
そしてこの女、十中八九【塔】のカード。
崩壊や破滅を意味するそれは、特定の条件下で保有者を中心に不幸をばらまくという能力を宿している可能性が高い。
その不幸の度合いなどはわからないが、それでも元のカードが保有していた能力からある程度の予想はつけられる。
大本の力は「対象を崩壊させる」という物理的な効果を宿していたが、巡り巡って不幸という形で崩壊へ導く能力へと変質したのだろう。
「変質……? 」
「こっちの話だ。忠告の礼に一つ、あんたの不幸体質は治療できる当てがある」
「馬鹿な話を……」
「信じるも信じないも好きにするといいさ」
そう言い残して部屋を出たナルの背中は、それ以上の事を語ろうとしなかった。
残されたのはいびきをかくジャネット、鼻提灯を膨らませる偽死神、そして一人どうしろというのだと、様々な意味で頭を抱える女医だった。




