銀幕戦記 最終幕
寒冷化が進む真っ白な世界で、すべては終わったかに見えた。
木島が放った毒ガス兵器により、狂信者たちは「現実」へと引き戻され、彼らの妄想の産物であった唯一絶対アイドル神『桃姫@みぃ☆(モミリン)』は消滅した。エネルギー源を失った妖刀『ムラマサ』の光は消え、最強の剣士・家虎もまた、ただの力のない一般人に戻ったはずだった。
しかし、数千万人もの人間が長年積み重ねてきた妄想のエネルギーは、そう簡単に霧散するものではなかった。
宇宙の摂理をねじ曲げるほどの強烈なエゴは、『残留思念』としてこの地上にこびりついて生き延びていたのだ。
◇
ゴゴゴゴゴ……!
突如、大地が激しく揺れ動いた。
アイラ武勇の拠点であった巨大な要塞型メイド喫茶「ニャンニャンキッチン」の城壁が、まるで生き物のようにうねり、内側から崩壊していく。いや、崩壊ではない。何かが要塞そのものを「飲み込み」、肉体として再構築しているのだ。
寒冷化した暗雲を突き破り、砂漠の彼方に巨大な影が立ち上がった。
それは、要塞の鉄骨やコンクリートを骨肉とし、ケミカルピンクの怪光を放つ、全長数百メートルの巨大な偶像――唯一絶対アイドル神『桃姫@みぃ☆』の、文字通りの具現化だった。
「……ピピ……ファンが……イナイ……。世界、イラナイ……」
実体を失い、ファンに見捨てられた悲しみと怨念のバグ。それは、自分を愛さなくなった地球そのものを、その巨大な質量で踏み潰し、完全に滅ぼそうと動き出した。大地獄連合の最強の戦士『Jizō』さえも、その圧倒的な終末の具現を前に、ただ静かに佇むことしかできなかった。
◇
「モミリン……」
雪の降り積もる戦場で、一人の男が立ち上がった。家虎だった。
ガスによって一度は正気に戻ったはずの彼の脳裏に、再びあの懐かしい声が響いていた。それは幻聴かもしれない。だが、彼にとっては世界のどの現実よりもリアルな真実だった。
巨大な偶像から放たれる凄まじい熱量が、家虎の体内に眠るオタとしての本能を、一時的に、そして爆発的に呼び覚ました。
「ウリャオイ……ウリャオイ……!」
家虎の手に握られた、ただの鉄くずと化していた『ムラマサ』が、かつてないほどの激しいケミカルオレンジの輝きを取り戻す。いや、それは彼の命そのものを燃料として燃え盛る、最期の灯火だった。
「隊長! 家虎のエネルギー出力が、人間の限界数値を遥かに超えています! 奴の生命維持機能が、熱狂のエネルギーに変換されている!」
隠れ家のモニターを見ていたヘルハウンドのオペレーターが悲鳴を上げた。
木島は息をのんだ。「己の命を薪にして、もう一度妄想の力を呼び戻したというのか……!」
◇
家虎は、巨大なモミリンの足元へと向かって、猛然とダッシュを開始した。そのステップは、全盛期をも凌駕する、神速のサンダースネイク。
「モミリン! 誰もがお前を忘れても、俺だけは覚えている! お前が実体のない偶像だとしても、俺が注いだ愛は本物だ!」
巨大な神が放つ、すべてを焼き尽くすビームの嵐をかいくぐり、家虎は『ムラマサ』を構えて跳躍した。彼の身体は一筋のオレンジ色の流星となり、巨大なモミリンの胸元、かつて「ニャンニャンキッチン」の最深部だったコントロールコアへと肉薄する。
これが最期の輝きであることを、彼は誰よりも理解していた。
家虎は、かつてないほど優しく、そして不敵に微笑んだ。
「推しと、最後まで行こう…」
◇
直後、世界のすべてを覆い尽くすほどの、まばゆい大爆発が起きた。
家虎の自爆。それは、一人のファンがその生涯のすべてを捧げて放った、純度100パーセントの熱量だった。
巨大なモミリンの身体は、その純粋すぎる愛のエネルギーに耐えきれず、光の粒子となって夜空へと霧散していった。
爆風が止み、再び静寂が訪れる。
世界を滅ぼすはずだった巨大な脅威は消え去り、地球はかろうじて救われた。降り続く雪の中に、主を失った『ムラマサ』の破片だけが、静かに突き刺さっていた。
木島は防寒着の襟を立て、その光景を遠くから見つめていた。
「……戦争は、これで終わりか」
Jizōは静かに手を合わせ、その場に深く一礼した。
「……南無。あやつこそが、真の菩薩だったのかもしれん」
◇
爆風が去った戦場には、しんと静まり返った雪景色だけが広がっていた。
地球を滅ぼそうとした巨大な偶像は、一人の狂信者の命がけの愛によって消え去り、かつて日本を砂漠に変えた数千万人のファンの熱狂も、いまや完全に冷め切っていた。大気の温度計は着実に下がり続け、狂気のない、ごく普通の「平穏な数値」へと戻っていく。
木島は防寒着のポケットに手を突っ込み、凍える息を吐き出している。
横に立つJizōは、ただ静かに主を失った『ムラマサ』の破片を見つめている。
人類は救われたのだ。誰もが夢に浮かされることなく、地に足をつけ、現実を冷徹に見つめて生きる世界がようやく戻ってきた。これからは異常気象に怯えることも、イデオロギーの衝突で血を流すこともないだろう。
しかし、人々の顔からは、かつて世界を破滅に導きかけたあの爆発的な活力や、狂おしいほどの笑顔もまた、綺麗さっぱり消え失せていた。そこにあるのは、ただ淡々と生きる、灰色の日々だ。
熱量を失った世界は、はたしていいものなのだろうか。
それは、誰にも分からない。
ただ一つ確かなのは、これから訪れる長く無機質な日常の中であの灼熱の狂気を、どこか少しだけ懐かしむのだろうということだけだった。
銀幕戦記 終幕




