第5話 運命〈ブレイズ視点〉
そうだ、あいつだ。あいつこそが、その『器』なんだ。
すべての符合が一致する。
俺は横目でアズールを見た。あいつも同じ顔をしている。
俺たちは同時に確信していた。
「父上!その『器』というのは一体……!それに、その力が意味するものは!」
アズールは前のめりになって声を荒らげた。
俺も身を乗り出し、机を叩きつける勢いで迫った。
「おい親父!そいつをもっと詳しく聞かせろ!その『器』ってのは、具体的にどういう……」
「……話はここまでだ」
親父は手記を閉じ、引き出しに戻した。
「待てよ!まだ話は終わってねぇ!俺たちは……」
「続きは明日だ。……今日は泊まっていけ。お前たちの部屋は、そのままにしてある」
もはやそれ以上語るつもりはない。
それは提案ではなく命令だった。
親父はまた書類に目を落とし、俺たちを退出させる素振りを見せた。
「……チッ。勝手に決めやがって」
俺は悪態をつきながらも、背を向けた。
アズールも無言で一礼し、俺に続く。
◇
扉を押し開けると、そこには時間が止まったような光景が広がっていた。
俺が少年時代を過ごし、そして何もかもを捨てて飛び出した、あの日のままの部屋。
壁に掛けられた木剣。机の上に広げっぱなしになった帝国の地図。
ベッドに転がったままの戦術書。
埃一つ落ちていない。
誰かが――いや、あの親父が、使用人に命じて毎日掃除をさせていたのだろう。
俺がいつ帰ってきてもいいように。
「……ケッ。あの鉄仮面が、柄にもねえ真似しやがって」
俺は悪態をついたが、その声にはいつものような覇気は込められなかった。
胸の奥が妙にむず痒い。
机の上の地図を指でなぞると、指先に微かな冷たさが伝わってくる。
その冷たさが、不意に俺の記憶の扉をこじ開けた。
『兄上!』
まだ幼かった頃。どこへ行くにも、俺の後ろを雛鳥のようにちょこちょことついてきた、小さな影。
アズールだ。
当時のあいつの瞳には、今の氷のような冷たさは微塵もなく、ただ純粋な憧憬の光だけが宿っていた。
俺の剣技を真似て木の棒を振り回し、転んでは泣き、それでもまた立ち上がって俺を呼ぶ。
「兄上、兄上」と。
そう呼ばれることが誇らしくて、少しだけ照れ臭くて。
俺はあいつの頭を乱暴に撫でてやるのが好きだった。
だが、いつからだろうか。
あいつが俺の後ろをついてくるのをやめたのは。
薄暗い書斎に籠もり、分厚い魔導書ばかりを読むようになったのは。
あいつの瞳から憧れが消え、代わりに昏い光と、冷徹な理性の色が混ざり始めたのは。
俺は、そんな弟の変化に気づいていながら、気づかないふりをした。
クリフォード家の長男としての重圧。
「最強」であることを求められる騎士団長としての期待。
全てが息苦しくて、俺は「自由」を選び、全てを捨てて飛び出したのだ。
弟を一人、この冷たい家に残したまま。
「……らしくも、ねえな」
俺は自嘲気味に笑い、天井を仰いだ。
柄にもなく感傷に浸るなんて、やっぱりこの屋敷の空気は毒だ。
俺はベッドにどかりと腰を下ろした。
ギシ、とスプリングが懐かしい音を立てて軋む。
コンコン。
控えめなノックの音が、俺の感傷を断ち切った。
返事をする間もなく、扉が少しだけ開く。
「……兄さん。まだ起きていますか」
アズールは音もなく部屋に入ってくると、部屋の中を見回して、わずかに目を見開いた。
「驚きましたね。あなたの部屋も、当時のままだ」
「『も』ってことは、お前の部屋もか?」
「ええ。調度品の並びさえ変わっていませんでしたよ」
アズールは肩をすくめたが、その口元は僅かに緩んでいるように見えた。
アズールは壁際にある椅子を引き寄せ、俺に向き合うように座った。
「……父上の話。どう思いましたか」
「どうもこうもねえよ。……ただ、妙に腹に落ちただけだ」
「俺の異常なタフさも、お前の小賢しい魔術の才能も、全部その『呪われた血』のせいだってなら、辻褄が合う」
「ええ。ボクもそう思います」
アズールは苦笑する。
だが、すぐにその表情を引き締め、真剣な眼差しを向けてくる。
「それと……ボクたちとミリアさんのことです」
「ああん?」
アズールは窓の外、月明かりを見上げながら、ポツリと漏らす。
「ボクたちがミリアさんに惹かれたのは、単なる偶然ではなく……血の導き、あるいは『運命』のようなものだったのかもしれませんね」
「…………」
運命、か。
賢者サマの口から出るには、ずいぶんと非論理的で、ロマンチックな言葉だ。
普段なら鼻で笑い飛ばすところだが、今夜ばかりは、その言葉を完全に否定できない自分がいた。
あの遺跡で、あの赤髪の女と出会った瞬間。
俺の中で何かが疼いた、あの感覚。
あれが血の導きだったと言うなら、俺たちの祖先ってやつにも感謝しなきゃならねえな。
だが、それを口にするのは死んでも御免だ。
「……くだらねえこと言ってんじゃねえよ、ポエマー野郎」
俺はわざとらしく欠伸をして、ベッドに寝転がった。
「血だの運命だの、そんなもんは関係ねえよ。俺があいつを気に入ったのは、あいつがいい女だからだ。それ以外に理由はねえ」
俺は手でシッシッと追い払う仕草をした。
「俺はもう寝る」
アズールは不服そうに眉を寄せたが、それ以上は食い下がらずに立ち上がった。
「……ええ、そうですね」
アズールは扉の前で一度立ち止まり、背中越しに言った。
「おやすみなさい、兄さん」
扉が閉まり、再び静寂が訪れる。
俺はベッドに大の字になって、大きく息を吐き出した。
運命だろうが、なんだろうが構わねえ。
俺がミリアを手放すつもりがないことには変わりない。
ただ、その理由に「血脈」という因果が一つ増えただけの話だ。
懐かしいシーツの匂いに包まれながら、俺は泥のように深い眠りに落ちていった。




