第4話 クリフォード家〈ブレイズ視点〉
懐かしいというよりは、胃が重くなるような威圧感だ。
執務室の空気は、昔と何ひとつ変わっちゃいねえ。
重厚な革張りのソファ、壁を埋め尽くす書架、そして部屋全体を支配するような、研ぎ澄まされた冷徹な気配。
その中心で、書類に目を走らせていた男が、ゆっくりと顔を上げた。
「……久しいな」
エドガー・クリフォード。
クリフォード家当主にして、俺たちの親父だ。
白髪混じりの髪を撫でつけ、その瞳は夜明け前の空のように静かで、底が知れない。
俺とアズールが並んで立っているのを見ても、眉一つ動かしやがらねえ。
「何の用だ。家出した放蕩息子と、塔に引きこもっていた偏屈者が、揃って顔を見せるとはな」
「別に俺は戻りたくて戻ったわけじゃねえよ」
「ほう?」
親父はペンを置き、組んだ両手の上に顎を乗せた。
その鋭い視線が、俺の顔を、そして隣のアズールの顔を、値踏みするようにじっくりと舐め回す。
俺はその視線に射抜かれまいと、腹に力を入れた。昔の俺なら、この視線だけで萎縮していただろう。だが、今の俺にはミリアがいる。こんな古狸に負けるわけにはいかねえ。
「……ふん。少しはマシな顔つきになったな」
不意に、親父の唇がわずかに歪んだ。
「以前のお前たちは、ただ牙を剥くだけの野良犬と、怯えて吠えるだけの負け犬だった。……随分と『良い飼い主』を見つけたようだな?」
「「ッ……!」」
俺とアズールは同時に息を呑んだ。
図星だ。
何もかもお見通しかよ。
親父は喉の奥でクックッと愉快そうに笑った。
あの鉄仮面が笑いやがった。気味が悪りぃ。
「それで?その飼い主様のために、尻尾を振って何を聞きに来た?」
アズールが一歩前に出る。
ここからは、あいつの領分だ。
「単刀直入に伺います、父上。我が家に伝わる『黄昏の瞳』……そして、歴史から抹消された『月の民』について」
親父の目がすっと細められた。
室内の空気が、一瞬にして凍りついたように張り詰める。
親父はアズールを、そして俺を見据え続ける。
やがて、重々しく口を開いた。
「……その言葉を口にする意味を、理解しているのか」
俺たちを試すような言葉と視線に息が詰まりそうだ。
だが、俺もアズールも一歩も引く気はない。
「理解しています。ボクたちは今、ある『真実』に触れようとしている」
「……そうか」
親父は鍵のかかった机の引き出しを開け、さらに奥から、一冊の古びた手帳を取り出した。
革表紙はボロボロで、数百年もの時を経ていることが一目で分かる。
「これは、我が家の始祖、ライナス・クリフォードの直筆の手記だ」
親父はその手記を、俺たちの目の前に放った。
そして、俺たちを値踏みするように見据えながら、声を一段低く落とした。
その瞳には、歴史の重みが宿っているようだ。
「『月の民』などという名は、後から付けられた呪いの烙印に過ぎん。彼らの真の名は『星の子ら(アストラの民)』」
親父は手記の頁をめくった。そこには、女のスケッチが描かれている。
「そして、クリフォード家の始祖ライナスは、聖戦において『月の民』の巫女エリアナを討伐してなどいない。彼は彼女を密かに匿い、愛し、そして妻とした」
「なっ……!?」
隣でアズールが息を呑む気配がした。俺も目を見開く。
だが、親父の視線は冗談を言っているようには見えなかった。
その視線が、俺とアズールを交互に突き刺す。
「つまりだ。お前たちの体には、帝国の英雄の血だけでなく、帝国が根絶やしにしたはずの『星の子ら』の血が流れているのだ」
ドクン、と心臓が早鐘を打った。
英雄の末裔だと持て囃されてきた俺たちが、実は帝国が最も忌み嫌う「異端」の血を引いているだと?
あまりに出来すぎた皮肉に、乾いた笑いが込み上げてきそうだ。
だが、親父の言葉はそこで終わらなかった。
「『星の子ら』の血は異界の力、『ルーン』との親和性が高い。ブレイズ、お前の常人離れした膂力と回復力。アズール、お前の魔術への異常な親和性と解析能力。……それは才能などではない。お前たちの血に眠る、古代種族の形質だ」
俺は自分の手のひらを見つめた。
俺の馬鹿力やアズールの嫌味な魔術の力。
こいつらはただの努力や才能じゃなかったってことか。
「……ハッ。笑えねえ冗談だぜ」
俺は乾いた笑い声を上げた。
「そして……、数百年に一度『星の子ら』の中でも特に強大な力もって生れるものがいたという」
親父は手記のページをさらにめくった。
そこには、神々しい光を背負った人影が描かれている。
「彼らはこう呼ばれたそうだ。――『器』と」
『器』。
その単語を聞いた瞬間、俺の脳裏に鮮烈な映像がフラッシュバックした。
燃えるような赤髪。神秘的な紫の瞳。
遺跡の扉を愛でるように開く指先。
俺の腹を切り裂かれた傷を、自らの命を削って塞いだ、あの白銀の光。
そして、あの黒衣の暗殺者どもが、彼女を呼んだ言葉。
『聖なる器』。
「……ミリア」
無意識に、その名が口をついて出た。




