第3話 聖女
そこには、一人の美しい女性の肖像画が描かれていた。
黄金の装飾品を身にまとい、燃え盛る太陽を背に、慈愛と威厳に満ちた表情で微笑む女性。
その手には、太陽そのものを封じ込めたような、金色に輝く宝玉が握られている。
「ああ、そいつは『聖女ゾルデ』だな。帝国のガキなら誰でも知ってる、建国の女神様だ」
ブレイズがわたしの視線を追って、つまらなそうに言った。
「帝国の初代皇帝を奇跡の力で世界を救ったとかいう御伽噺の主役さ」
「建国の、女神……」
初代皇帝アークライト一世と共に帝国を築き上げた、伝説の聖女。
わたしはその解説文を、指でなぞりながら声に出して読んだ。
「『女神ゾルデは、天より授かりし至宝〈真昼の瞳〉を掲げ、その聖なる光をもって、世界を覆わんとする呪われた月の影を焼き尽くした。邪悪なる月の民は滅び、世界に太陽の秩序がもたらされた……』」
「俺たちにとっちゃ耳タコな伝説だな。『邪悪な月の民を聖女様が浄化しました』ってやつだ。歴史の授業で寝てても覚えさせられる」
ブレイズは退屈そうに鼻を鳴らしたけれど、突っ伏していたアズールが、弾かれたように顔を上げた。
「……待ってください」
アズールの瞳から、先程までの疲労の色が消え失せ、鋭い理知の光が宿る。
「ミリアさん、今、なんと読みました?『天より授かりし至宝』……その名前です」
「え?ええと……『真昼の瞳』、と書いてあるけれど」
その単語を口にした瞬間、アズールが息を呑んだ。
「アズール?」
「……たしか、クリフォード家の宝物庫にも、『瞳』の名を冠する宝石があるはずです」
アズールの言葉に、ブレイズが眉をひそめた。
「ああん?ああ、親父が大事に抱えてるあの薄暗い色の石か?確か……『黄昏の瞳』とか言ったか」
「ええ、そうです兄さん。我が家の始祖、ライナス・クリフォードが、建国の聖戦において『月の民』の巫女を討伐した際、その功績として授かったとされる戦利品……」
アズールは図録のゾルデが持つ『真昼の瞳』を指差した。
「この記述が事実なら、ゾルデが用いた『真昼の瞳』と、我が家にある『黄昏の瞳』……これらは同種の、強大な力を秘めたアーティファクトである可能性が高い」
「つまり、それが『創世の宝玉』かもしれないってことか?」
「その可能性は極めて高いでしょう。それに、我が家の書庫には、始祖ライナスの残した『月の民』に関する独自の伝承が残されているかもしれません」
アズールはわたしに向き直ると、静かだが力強い口調で言った。
「ミリアさん。ボクは一度、実家……クリフォード公爵領へ戻り、宝物庫と父上の書斎を調べます。もしかしたら、ここにはない『真実』が見つかるかもしれない」
その提案に、わたしは頷こうとした。けれど、わたしの隣でドサリと背中を背もたれに預ける音が響く。
見ればブレイズが、露骨に嫌そうな顔をして腕を組んでいる。
「へっ、俺は御免だね。あの堅苦しい屋敷も、古狸みてえな親父の顔を見るのもうんざりだ。里帰りと親孝行なら、お前一人でやってきな、優等生」
彼はそう吐き捨てる。
家を捨てて飛び出した彼にとって、実家は戻るべき場所ではないのだろう。
けれど、アズールは涼しい顔で、逃げ腰の兄を見据えた。
「いえ、兄さんにも来てもらいますよ」
「ああん?ふざけんな。俺はとうの昔に勘当同然で出て行った身だ。今さら親父に合わせる顔なんざ持ち合わせちゃいねえよ」
「……本当にそうでしょうか?」
アズールは、ふと真面目な声音で告げた。
「父上は、寂しがっておられますよ。あなたがいなくなってから」
アズールの唐突な言葉に、ブレイズの眉がピクリと跳ねた。
「はあ?何言ってやがる。あの親父が、そんなタマかよ」
「ええ、口には出しませんがね」
「…………」
ブレイズが言葉に詰まり、バツが悪そうに視線を逸らした。
豪快な「金獅子」も、肉親の不器用な情愛には弱いらしい。
その僅かな隙を見逃さず、アズールは畳み掛けるように、今度は決定的な切り札を切った。
「それに、これはもはやクリフォード家だけの問題ではないのです。始祖ライナスが賜わったという『黄昏の瞳』……それがミリアさんの失われた記憶、ひいては『月の民』の真実に繋がる鍵かもしれない」
アズールは真摯な眼差しで、兄を見据えた。
「ミリアさんのためです。兄さんの『勘』と、ボクの『知識』。両方が揃わなければ、父上が隠している真実に辿り着くことはできないかもしれない。……協力してください、兄さん」
「……チッ」
ブレイズは盛大に舌打ちをし、乱暴に金髪を掻きむしった。
しばらく唸り声を上げていたが、やがて観念したように大きく息を吐き出す。
「ミリアのため」と言われてしまえば、彼に断る選択肢など残されていないのだ。
「わーったよ!行きゃあいいんだろ、行きゃあ!ミリアのためだ、今回だけはあのクソ親父の説教も我慢してやる」
「賢明な判断です」
してやったり、と涼しい顔をする弟と、不承不承といった様子の兄。
わたしは立ち上がり、二人の逞しい背中をポンポンと優しく叩いた。
「決まりね。それじゃあ二人で行ってらっしゃい。わたしはお留守番をしているわ」
「は?何言ってんだミリア。お前も来るだろ?」
「いいえ。今回はクリフォード家の問題よ。久しぶりの親子の対面に、部外者のわたしがいては話せることも話せなくなるでしょう?」
きょとんとするブレイズとアズールに、わたしは諭すように微笑みかけた。
本当は、彼らの過去や育った場所を見てみたい気持ちはある。
けれど、長年の確執を抱えた父と息子、そしてライバルである兄弟。
家族で腹を割って向き合うべき時が来たのだと、わたしの直感が告げていた。
「ミリアさん……」
「大丈夫よ、逃げたりしないわ。ローザの店でゆっくり待っているから。ちゃんと、お父様と向き合っていらっしゃい」
「……ああ、分かった。お前がそう言うならな」
「行ってきます、ミリアさん。必ず成果を持ち帰ります」
二人は顔を見合わせ、何かを納得したように頷くと、図書館の出口へと歩き出した。
並んで歩くその背中は、大きさこそ違うけれど、やっぱりよく似ている。
わたしは二頭の獣を野に放つ飼い主のような心境で、その頼もしい後ろ姿を見送った。




