第2話 白き闖入者2
「待ちなさい、セシリー。アズールを責めるのは可哀想よ」
わたしはふふ、と口元に手を当て、あえて艶を含ませた声色で助け舟を出した。
鬼の形相で詰め寄るセシリーを、優しく見つめ返す。
「彼は『研究』に必死なだけなの。一度スイッチが入ると周りが見えなくなるのは、あなたも知っているでしょう?」
「研究、ですか……?」
「ええ。賢者サマはとっても熱心だから。夜毎、わたしの部屋に通い詰めて……そうね、朝まで一睡もさせてくれないこともしょっちゅうだわ」
瞬間、アズールの顔から血の気が引いた。
「ミ、ミリアさんッ!?ご、語弊がある!その言い方はあまりに語弊が過ぎる!」
「あら、嘘は言っていないわよ?昨晩だって、わたしの身体の隅々まで、あんなに時間をかけてねっとりと『検分』していたじゃない。わたしが『もう許して』って懇願しても、『まだ足りない』って止めなかったのは誰かしら?」
禁書庫の空気が、ピキリと凍りついた。
セシリーの目が限界まで見開かれ、口がパクパクと金魚のように動いている。
「ち、違う!違うんだセシリー!それは……そう!深夜まで及ぶ古代文字の解読作業の話だ!ミリアさんの表現は、著しくコンテキストが欠落している!」
アズールは必死に早口で弁解の言葉を紡ぎ出すけれど、焦れば焦るほど墓穴を掘っていることに気づいていない。
「き、聞きたまえセシリー!これは純粋な学術的調査だ!昼間の調査にはノイズが多すぎるんだ!夜の静寂の中でこそ、ミリアさんの肌の下を流れる微細な魔力の揺らぎや、その……体温の上昇に伴う魔力の変化を、正確に観測できるんだ!」
「ぶっ……くくっ……!」
ブレイズが吹き出し、必死に笑いを噛み殺して震えている。
「夜の静寂でこそ」なんて、苦しすぎる言い訳だ。
けれど、アズールのその必死な姿が可愛くて、わたしはさらに追い打ちをかけたくなった。
「ふふ。アズールは本当に勉強熱心で、飲み込みも早いのよ。最近ではその指先の繊細な『技術』も、ブレイズに追いつきそうなくらいだもの」
「っ、み、ミリアさんッ!!」
アズールが悲鳴のような声を上げる。
一方で、比較対象に出されたブレイズは、なぜか得意げに鼻を鳴らした。
「へっ。陰険モヤシにしちゃあ頑張ってるが、俺の領域に追いつくなんざ百年早えよ。まだまだ腰の使い方が甘えんだよ、腰の」
「黙りなさい脳筋!」
顔を真っ赤にして怒鳴るアズール。
セシリーの方を見ると、彼女は小刻みに震えていた。
顔を伏せ、両手を固く握りしめている。
さすがに刺激が強すぎたかしら、と少し反省しかけた瞬間――。
彼女がバッと顔を上げた。
その瞳は、涙で潤んでいる。
「ああ……っ!なんということでしょう、アズール様!」
「せ、セシリー?」
「わたくしは……わたくしは勘違いをしておりました!アズール様がそこまでして、己の睡眠時間すら削り、昼夜を問わず世界の真理を探求し続けておられたなんて……!」
セシリーは胸の前で手を組み、うっとりと陶酔した表情を浮かべた。
「『夜の静寂の中でこそ観測できる』……まさに至言ですわ!被検体(ミリア様)の身体を隅々まで検分し、野性的な直感さえも論理的な技術として習得しようとするその姿勢……これこそが真の探求者!さすがはわたしの師、アズール様です!」
「あ……いや、その……うむ」
あまりに都合の良い解釈に、アズールは引きつった笑みを浮かべ、あからさまに視線を泳がせた。
「そ、そうだ。分かってくれればいいんだ、セシリー。ボクは常に、真理のためにこの身を捧げているのだからね」
「はいっ!申し訳ありませんでした!わたくしも弟子として、もっと精進いたします!」
キラキラと尊敬の眼差しを向けるセシリーと、罪悪感で胃が痛そうなアズール。
そして、肩を震わせ笑いを堪えるブレイズ。
わたしはこっそりとアズールの脇腹をつつき、「よかったわね、熱心な一番弟子を持って」と耳打ちした。
「わたくし、アズール様からの定時連絡が途絶えがちだったため、もしやお体に万一のことがあってはと、居ても立っても居られず様子を見に参りました。でも……」
セシリーは涙ぐみながら、固く拳を握りしめた。
「すべてはわたくしの杞憂でしたわ!アズール様はわたくしの想像を遥かに超える次元で、研究に没頭しておられたのですね!これ以上、ここでお邪魔をして師の貴重な時間を奪うわけには参りません!」
彼女はバッと顔を上げ、決意に満ちた瞳で宣言した。
「塔の雑務はすべてわたくしにお任せください!アズール様はどうぞ、『真理の探求』に専念なさってくださいませ!」
「あ、いや、うん……頼んだよ、セシリー」
力なく手を振るアズールに見送られ、彼女は「失礼いたしました!」と、再び嵐のように去っていった。
バタン、と重厚な扉が閉まる音が、静寂を取り戻した禁書庫に虚しく響く。
「……何だったんだ、ありゃ」
ブレイズが呆れ果てたように呟き、頭を掻いた。
その横で、アズールは燃え尽きた灰のように机に突っ伏している。
「なぁ。あいつ、本当に『賢者』の端くれか?お前の弟子にしては思い込みが激しすぎねえか?」
「否定できないのが辛いところですね……。はぁ、胃が痛い……」
「いいじゃない、アズール。結果オーライよ」
わたしはくすりと笑い、彼の背中をぽんぽんと慰めた。
嵐が去った後の机の上には、ブレイズが広げていた図録がそのまま置かれている。
ふと、開かれたページに描かれた肖像画に目が留まった。
「……綺麗な人」




