第39話 湯疲れ
「はぁ……。生き返るわぁ……」
広々とした大浴場の湯船に身を沈め、わたしは心の底から安堵の吐息を漏らした。
硫黄の香りが混じった湯気。手足を伸ばせる開放感。
極寒の雪山での戦いと、その後の移動の疲れが、お湯の中に溶け出していくようだ。
「次は、砂漠……か」
ぼんやりと天井を見上げる。
極端な環境への旅路に少しだけ気が遠くなるけれど、あの二人がいれば、きっとなんとかなる。
二人の顔を思い浮かべていると、なんだかお湯の温度がさらに上がったような気がして、わたしはだらしなく相好を崩した。
あー、気持ちいい。
もう少しだけ。あと少しだけ……。
そうやって欲張ってしまったのが、いけなかった。
◇
「ただいまぁ……」
部屋に戻ったわたしの足取りは、生まれたての子鹿のように覚束なかった。
視界がふわふわと揺れている。
「おいミリア、遅ぇぞ。溺れたかと思っ……て……」
「長湯は身体に毒ですよ。適度な……時……間……」
出迎えた二人の言葉が、途中でピタリと止まった。
二人の視線が、わたしの全身に釘付けになる。
今のわたしは、湯上がりで肌がほんのりと桜色に染まり、髪は湿って首筋に張り付いている。
浴衣の襟元がはだけ気味になっていることにも、気づいていなかった。
「……ふぅ。ごめんなさい、ちょっとのぼせちゃったみたい……」
わたしはそのまま、部屋の中央にある座布団の上にぺたりと座り込んだ。
身体が重い。熱い。
頭がぽわーんとして、二人の顔が二重に見える。
「……ッ、まったく。世話の焼けるヤツだな」
ブレイズが舌打ちをしたかと思うと、すぐにわたしのそばに来て膝をついた。
「おい、こんなきっちり帯を締めてたら苦しいだろ。少し緩めるぞ」
彼の大きな手が、わたしの帯に触れる。
ガサリ、と帯が緩められ、浴衣の合わせがさらに広げられた。
外の空気が肌に触れて気持ちいい。
「ほらよ」
ブレイズは近くにあった団扇を手に取ると、パタパタとわたしを扇ぎ始めた。
風が火照った首筋やデコルテを撫でる。
「ん……涼しい……ありがとう、ブレイズ……」
「……礼なら後でたっぷりもらうからな」
ブレイズの声が、少し掠れている気がした。
続いて、左側からひんやりとした気配が近づいてきた。
「水分補給が必要です。……脱水症状を起こしかけていますよ」
アズールだ。
彼の手には、冷水が注がれたグラスが握られている。
「はい、飲んでください」
「ん……」
わたしはアズールの手を借りて、グラスに口をつけた。
冷たい水が、乾いた喉を潤していく。
そのあまりの美味しさに、わたしは夢中で水を求めた。
けれど、意識が朦朧としていたせいで、口元が緩んでしまったらしい。
つぅ……。
口の端から、飲みきれなかった水が溢れ、一筋の雫となって、顎を伝い、熱を持った首筋を滑り落ちていく。
そして、はだけた浴衣の襟元――鎖骨のくぼみを通り抜け、豊かな谷間へと吸い込まれていった。
ピシリ、と。
部屋の空気が、凍りついたように止まった。
ブレイズの手から、団扇を仰ぐ動作が消える。
アズールのグラスを持つ手が、小刻みに震えている。
二人の視線は、水滴が消えた胸の谷間に釘付けになっていた。
「……ふぅ。美味しかった……」
わたしが満足げに吐息を漏らすと、その甘い響きが、張り詰めていた糸を切る合図になったようだった。
「……あー、クソ。まだ熱が引かねえみたいだな」
ブレイズが、焦げ付くような低い声で唸った。
「もっと風通しを良くしねえとな」
彼の手が、わたしの浴衣の裾に伸びた。
ガサッ。
乱暴に、けれどどこか舐めるような手つきで、浴衣の裾が大きく捲り上げられる。
太ももが露わになった。
湯上がりで蒸気した、白くなめらかな肌。
「……っ、ブレイズ?」
「じっとしてろ。……ここも冷やさねえと」
ブレイズは、わたしの太ももの内側に向けて、ゆっくりと団扇を動かした。
風が当たるたびに、素肌がゾクゾクと粟立つ。
彼の視線が、太ももを撫でるように這い回っているのが分かる。
「……外側からの冷却だけでは不十分ですね」
アズールが、震える声で言った。
見ると、彼はグラスに入った氷を指先でつまみ上げていた。
「内部からも……冷却が必要です。こちらも、どうぞ」
アズールの白く長い指が、氷をつまんだまま、わたしの唇に差し出される。
宝石のように輝く氷。
今のわたしには、それが極上の果実に見えた。
「ん……」
わたしは無防備に口を開き、アズールの指ごと氷を口に含んだ。
「ッ……!」
アズールが息を呑む音が聞こえた気がした。
口の中で、氷を転がす。
彼の指先を、舌で絡め取るように舐めながら、氷を噛み砕く。
カリッ、という音と共に、冷たさが口いっぱいに広がる。
「くっ……!」
その光景を見た瞬間、アズールの中で何かが弾け飛んだのが分かった。
彼の整った顔が苦悶に歪み、理性の色が瞳から消え失せる。
「……もう、限界だ」
「……ええ。これ以上の忍耐は、精神衛生上不可能と判断します」
ブレイズが団扇を放り投げ、アズールがコップをテーブルに置いた。
二人の瞳から、「看病」の色が消え失せ、飢えた獣の色が宿る。
「ミリア……お前が悪いんだぞ……」
「責任……取っていただきますからね……」




