第36話 報復
「……っくしゅ!」
村の食堂、暖炉の特等席。
わたしとブレイズは毛布にくるまり、震える手で温められたワインを啜っていた。
身体の芯まで冷え切っている。
それもそうだ。あの後、アズールの魔術で生成された無数の雪玉に追い回され、村中を逃げ惑った末に、二人とも雪だるまのように埋もれてしまったのだから。
そんなわたしたちの向かい側で、アズールは優雅に足を組み、涼しい顔で紅茶を啜っている。
雪合戦の勝者である彼は、髪もすでに乾き、その所作はあくまで貴族的で優雅そのものだ。
「ちょっとアズール。幾らなんでもやりすぎよ。あんなの、遊びの範疇を超えてるわ」
「まったくだ。大人気ねえにも程があるぞ」
「自業自得です。ボクを盾にして雪玉をぶつけた報いとしては、妥当なラインかと」
「ケッ。根に持つ野郎だぜ」
アズールはフンと鼻を鳴らし、勝ち誇ったように紅茶を啜る。
澄ました顔が、どうにも憎たらしい。
その余裕綽々な態度が、ブレイズの悪戯心に火をつけたようだった。
「……おい、親父」
ブレイズがカウンターの主人に手招きをする。
そして、何かを耳打ちして注文し、ニヤリと悪い笑みを浮かべた。
やがて運ばれてきたのは、たっぷりの蜂蜜を垂らしたホットミルクだった。
甘く優しい香り。
けれど、わたしは見た。
ブレイズがそのミルクに、小さな小瓶に入った透明な液体を、ドボドボと注ぎ込んでいるのを。
『霜巨人の吐息』。
この地方の特産品で、喉が焼けるほど度数の高い蒸留酒だ。
一滴で身体がカッと熱くなるという代物だが、ブレイズが入れた量は致死量に近い。
「ほらよ、アズール」
ブレイズは、その特製ミルクをアズールの目の前に滑らせた。
「なんだかんだ言っても、お前も寒かっただろ?こいつは特製のホットミルクだ。身体が温まるぜ」
「……」
アズールは怪訝そうに眉をひそめ、ミルクとブレイズを交互に見た。
「兄さんがボクに気遣い?……毒でも入っているのですか?」
「失礼な奴だな。これは兄としての愛だ、愛。……だろ?ミリア」
ブレイズがウインクしてくる。
わたしはブレイズの企みを瞬時に理解し、くすりと笑った。
普段、ローザの店でも炭酸水しか口にしないアズール。彼が酔った姿なんて、見たことがない。
あの賢者サマが酒で崩れる様……ちょっと、いやかなり見てみたいかも。
「ええ、そうよアズール。今日はわたしたちが悪かったわ。これは仲直りのしるし。……飲んでくれない?」
わたしがニッコリ微笑むと、アズールは「ミリアさんがそう言うなら……」と、渋々カップを手に取った。
そして、一口。
「っ!!??」
アズールの動きが止まった。
次の瞬間。
「ごふっ!!けほっ、ごほっ、ごほっ!!」
アズールが激しくむせ返り、涙目で咳き込んだ。
喉を焼くような強烈な酒精が、甘いミルクと共に食道を駆け抜けたのだ。
「に、兄さん……!これは……!」
アズールが恨めしげにブレイズを睨みつける。
けれど、ブレイズは「ああん?」とわざとらしく肩をすくめてみせた。
「どうした?蜂蜜が多すぎたか?ただのミルクだぞ」
「何を……ッ!これは明らかに……!」
抗議しようとしたアズールの呂律が、回らなくなってくる。
『霜巨人の吐息』の威力は絶大だった。
飲んで数秒もしないうちに、白い肌が、耳の先まで真っ赤に染まっていく。
「……うぅ……あたま、が……」
アズールがふらりと身体を揺らし、テーブルに手をついた。
その瞳はとろんと潤み、焦点が合っていない。
「……うぅ……あにうえ……」
「お?」
ブレイズがニヤリと笑った。
「なん、てこと、を……」
「おっと。ようやく昔の呼び方が、出てきたじゃねえか、アズール」
ブレイズは勝ち誇ったように笑い、わたしの肩を叩いた。
「見ろよミリア!一撃だぜ!こいつ、酒弱すぎだろ!」
「ふふ、本当ね。……大丈夫、アズール?」
わたしが心配して手を差し伸べようとした、その時だった。
ドンッ!
アズールが、両手でテーブルを叩いた。
そして、据わった目でブレイズを凝視する。
「……笑い事ではありませんよ、兄上」
「あ?」
「あなたは……あなたはいつもそうです!そうやって力任せに解決しようとする!非効率的かつ野蛮極まりない!」
「はあ?」
酔っ払ったアズールから飛び出したのは、まさかの説教。
「お、おい……?」
ブレイズがたじろぐ。
「戦闘スタイルもそうです!大剣を振り回すだけの単細胞な戦い方!あれでは周囲への被害が大きすぎます!もっと戦場の流れを読み、最小の労力で最大の戦果を上げるべきです!あなたの脳みそは大胸筋でできているのですか!?」
アズールはブレイズの胸板を人差し指でツンツンと突きながら、延々と語り続ける。
「何より!ミリアさんへの態度がなってない!」
「『俺の女』だの何だの、表現が前時代的すぎます!ミリアさんは所有物ではありませんよ!?」
「お、おい……こいつ、めんどくせぇぞ……!」
「それに!レディのエスコートというものを分かっていますか?いきなり腰を抱くのではなく、まずは手を取って承諾を得るのが手順でしょう!」
アズールの口から、次々と正論と嫌味と不満の奔流が溢れ出す。
普段は理性で抑え込んでいる小言の数々が、アルコールの力で決壊したダムのようにブレイズへ襲いかかる。
「あーもう、分かった!分かったから座れ!」
「座りません!まだ言いたいことの半分も言っていません!だいたいあなたは昔から……!」
タジタジになる帝国最強の騎士と、顔を真っ赤にして説教を垂れる酔っ払いの賢者。
ブレイズは「一泡吹かせる」つもりが、まさか自分が正座させられるような気分を味わうとは思ってもみなかっただろう。
わたしは、そんな二人の様子がおかしくて、愛おしくて、こらえきれずに吹き出した。
「ふふ、あはははは!」




