第33話 求愛
「ええ、どうぞ。リアン様」
わたしがベンチの端を譲ると、リアン様は少し緊張した面持ちで腰を下ろした。
彼の持ってきたホットワインからは、オレンジとクローブの香りが立ち上っている。
「改めて、感謝を伝えさせてください。貴女方がいなければ、我々は全滅していたでしょう」
「ふふ。それはお互い様よ。あの時、あなたが盾になってくれなければ、わたしは今頃氷漬けだったわ」
わたしが微笑むと、彼は真剣な眼差しでかぶりを振った。
そして、焚き火の明かりに照らされた横顔で、静かに問いかけてきた。
「……ミリア殿。貴女たちは、一体何者なのですか?」
その声は低く、けれど鋭かった。
雪山での常識外れな戦闘能力。
そして、神殿の奥から戻ったわたしたちを包んでいた、あの神秘的な空気。
彼が、違和感を抱かないはずがない。
「ただの冒険者……というには、あまりに力が大きすぎる」
彼の問いに、わたしはカップの縁を指でなぞりながら、困ったように眉を下げた。
「……さあ、何者かしらね」
わたしは夜空を見上げた。
「ただの強欲なトレジャーハンターと、それに振り回されている二人の苦労人……そう思っておいてくれると嬉しいわ」
人差し指を唇に当ててウィンクしてみせると、リアン様は呆気にとられたように瞬きし、やがて観念したように苦笑した。
「……はは。敵いませんね」
彼はカップをベンチに置くと、不意に立ち上がり、わたしの正面に回った。
そして――その場に、片膝をついた。
騎士が主君に忠誠を誓う、最敬礼の姿勢。
「ミリア殿」
「えっ……リアン様?」
周囲の喧騒が、ふっと遠のいた気がした。
リアン様が、真っ直ぐにわたしを見上げている。その青灰色の瞳には、一点の曇りもない、燃えるような熱が宿っていた。
「初めて、雪原で貴女をお見かけした時から……ずっと、お慕いしておりました」
「……っ!」
ストレートすぎる言葉に、わたしは息を呑んだ。
今まで、ブレイズやアズールの独占欲ばかりに晒されていたせいで、感覚が麻痺していたのかもしれない。
彼の向けてくる視線が、単なる敬意や感謝ではなく、一人の男性としての好意であったことに、わたしは今この瞬間まで、鈍感にも気づいていなかったのだ。
「貴女の気高さ、強さ、そして誰にでも分け隔てなく接する慈悲深さ……。その全てに、心を奪われました」
リアン様は、震える手でわたしの手を取ろうとして、途中で止めた。
「私には、彼らのような、圧倒的な力はありません。……ですが、貴女を想う誠実さだけは、誰にも負けないつもりです」
彼は祈るように告げた。
「どうか、私を貴女の騎士に……いいえ、貴女だけのものにしてください。貴女を、私ただ一人の君主として、生涯お守りしたいのです」
あまりに眩しく、清らかな告白。
彼のような誠実な人と結ばれれば、きっと穏やかで、平穏な幸せが約束されるのだろう。
けれど――。
ゾクリ。
肌を刺すような、ピリピリとした殺気。
それは、わたしに向けられたものではない。
目の前で跪く、哀れな求愛者に向けられた、二方向からの「死の宣告」だ。
……はぁぁぁぁ。
わたしは内心で深い溜息をついた。
振り返らなくても分かる。
宴の中心にいるはずの「金獅子」と、騎士たちに講釈を垂れているはずの「賢者」が、こちらを凝視しているのが。
わたしは心の中で呆れつつも、同時に、その嫉妬さえも愛おしく感じてしまう自分に苦笑した。
この殺気こそが、彼らがわたしをどれだけ大切に想っているかの証明なのだから。
だからこそ、わたしはリアン様の想いには、誠実に答えなければならない。
わたしはリアン様の目を、真っ直ぐに見つめ返した。
「……ありがとう、リアン様。あなたのそのお気持ち、とても嬉しいわ。光栄に思う」
「では……!」
「でも、ごめんなさい」
わたしは静かに首を横に振った。
そして、困ったような、けれど何よりも幸せそうな苦笑を浮かべて、胸に手を当てた。
「わたしの心にはね……もう、どうしようもない二頭の獣がいるの」
「……獣、ですか」
「ええ。一頭は、太陽のように熱くて、乱暴で、わたしを焦がし尽くそうとするライオン。もう一頭は、月のように冷たくて、嫉妬深くて、わたしを離そうとしないオオカミ」
わたしは背後の気配を感じながら、言葉を紡ぐ。
「わたしの心はもう、彼らでいっばいで……他の誰かが入る隙間なんて、これっぽっちも残っていないのよ」
わたしの言葉に、リアン様は目を見開き、やがて力が抜けたように肩を落とした。
けれど、その表情に絶望の色はなかった。
むしろどこか晴れやかな諦めが浮かんでいた。
「……そうですか。完敗、ですね」
リアン様は立ち上がり、清々しい笑顔を向けた。
「貴女の瞳を見れば、分かっていました。……そこに映っているのが、私ではないことくらい」
彼はもう一度、深く一礼した。
「私の想いは胸にしまいます。……ですが、これだけは誓わせてください。たとえ主君としてではなくとも、私の剣は常にあなたのためにある、と」
「ええ。頼りにしているわ、リアン様」
リアン様は背を向け、騎士たちの輪の中へと戻っていった。
その背中は少し寂しげだったけれど、もう迷いはなさそうだった。
そして――。
彼が去った瞬間、背中に突き刺さっていた殺気が、霧散するように消え失せた。
「……まったく」
わたしはやれやれと首を振り、ゆっくりと振り返った。
そこには。
焚き火の向こう、酒樽に肘をついてニヤリと笑うブレイズと。
少し離れた場所で、満足げにフンと鼻を鳴らすアズールの姿があった。
二人の目は、「よく言った」「合格だ」と雄弁に語っている。
……本当に、どうしようもない男たちなんだから。
わたしは二人に向け、呆れと愛しさを込めて、肩をすくめてみせた。




