第32話 暁の瞳
その言葉には、一点の曇りもなかった。
功名心でも、恐怖でもなく、ただ純粋な使命感。
なんて眩しい人たちなのだろう。
「ありがとう、リアン様。あなたのその真っ直ぐな誇りに、敬意を表するわ」
わたしは心からの感謝を込めて微笑んだ。
リアン様は一瞬だけ少年のようなあどけなさで頬を染めたけれど、すぐに騎士の顔に戻り、居住まいを正した。
「我々はここで待機し、残党の警戒と負傷者の手当てを行います。……どうか、奥へ」
「ええ。行ってくるわ」
わたしたちは傷ついた彼らを神殿の入り口に残し、その奥へと足を踏み入れた。
◇
神殿の内部は、外の猛吹雪が嘘のように静まり返っていた。
高い天井、立ち並ぶ氷の円柱。
歩くたびに、カツン、カツンと靴音が反響し、冷たく澄んだ空気が肺を満たしていく。
それは何百年も冷凍保存されていた、太古の空気の味だ。
巨大な氷の回廊を抜けると、最奥に厳かな祭壇が姿を現した。
天井はなく、頭上には突き抜けるような青空が広がっている。
その光を一身に浴びて、祭壇の中央に鎮座する台座の上で、青い宝石が静かに輝いていた。
「あれが……」
夜明けの空の色をそのまま結晶化させたような、透明で凛とした蒼色。
わたしは吸い寄せられるように歩み寄り、その輝きを見つめた。
黄昏の瞳の時とは違う。あちらが全てを包み込むような懐かしさだったなら、こちらは背筋が伸びるような、清冽な気配を放っている。
「大丈夫だ、ミリア」
「ボクたちがついています」
左右から、ブレイズとアズールの声がかかる。
二人の視線に見守られながら、わたしはゆっくりと手を伸ばした。
指先が、冷たく滑らかな宝石の表面に触れる。
わたしは目を閉じ、深呼吸をして、体内の魔力を指先へと集中させた。
ルーンを紐解くように、わたしの命の脈動を注ぎ込む。
ドクンッ!!
心臓が跳ねた。
視界が白く染まり、神殿の床が消え失せる。
◇
気がつくと、わたしは柔らかな草の上に立っていた。
鼻をくすぐるのは、瑞々しい朝露と、湿った土の香り。
肌を撫でるのは、冷たくも心地よい、目覚めの風。
見渡す限りの大平原が広がっている。
空は、夜の闇が薄れ、地平線から力強い光が差し込み始めた、美しい『暁』の色に染まっていた。
『――おお!ようやく来たか!待ちわびたぞ、我が愛しき〈器〉よ!』
声が、世界そのものから響いた。
風の音、鳥のさえずり、草木のざわめき――この空間のすべてが振動し、力強い意志となってわたしを包み込む。
『永き眠りは退屈であった!だが、お前のその温かい魔力が、我を揺り起こしてくれたのだな!』
生命力に満ち溢れた声。
それは、『黄昏』の老成した声とは違う。
まるで、少年のような生命力と、王のような威厳を併せ持った、厳かでありながらも快活な響き。
『我は〈暁〉を司る者!生命の息吹と、始まりの光だ!よくぞ我が呼び声に応え、ここまで辿り着いた!』
世界を、蒼い光が照らす。
わたしを慈しむように、わたしの周りを無邪気に飛び回るように。
『お前の魂は美しい。傷つきながらも前を向き、強欲に未来を掴もうとするその輝き……まさに我らが待ち望んだ〈真の器〉に相応しい!』
「あなたは……」
『さあ、行くがよい!次なる兄弟が、お前を待ち焦がれている』
ビジョンが脳裏に浮かぶ。
陽炎が揺らめく、灼熱の砂の海。
その熱砂の底で、じりじりと焦げ付くような苛立ちと共に待つ、金色の輝き。
『真昼の瞳』……。
『行け、愛しき我が主!世界に新たな夜明けをもたらすのだ!』
◇
「……ッ!」
ハッと目を開けると、そこは再び氷の神殿だった。
わたしの手の中で、『暁の瞳』が脈動している。
先ほどまでの冷たさは消え、今は人肌のような温もりと、柔らかくリズムを刻む鼓動を感じる。
まるで、生まれたばかりの小鳥を手のひらに乗せているようだ。
「ミリア!大丈夫か!?」
「ミリアさん、意識は……?」
左右から、心配そうな二人の顔が覗き込んでくる。
わたしは宝玉を胸に抱きしめ、二人に深く頷いた。
「ええ、平気よ。……受け入れて、もらえたみたい」
◇
麓にある村は、昨日までの陰鬱な空気が嘘のように、爆発的な歓喜に包まれていた。
異常気象が鎮まったことで、村を覆っていた分厚い雲は晴れ、久しぶりの星空が広がっている。
村の中央広場には巨大な焚き火がいくつも焚かれ、村人総出の大宴会が催されていた。
パチパチと爆ぜる火の粉。
焼ける肉の香ばしい匂いと、温められた葡萄酒の甘い香り。
そして、何よりも人々の笑い声が、夜空に響き渡っている。
その喧騒の中心には、やはりあの男がいた。
「ガハハハハ!いい飲みっぷりじゃねえか!だが俺に勝とうなんざ百年早いぜ!」
ブレイズだ。
彼は大きな木樽を片手で軽々と持ち上げ、村の自警団の男たちと豪快に酒を酌み交わしている。
その周りには、村の娘たちだけでなく、騎士団の若者たちまでが集まり、憧れの眼差しを向けていた。
誰とでもすぐに打ち解け、その場を熱狂の渦に巻き込んでしまう太陽のような求心力。
彼がいる場所は、いつだって明るくて、騒がしくて、温かい。
一方、喧騒から少し離れた広場の隅では、対照的な光景が広がっていた。
「……はぁ。ですから、あの局面では風圧による攪乱が最も有効だったのです」
即席のテーブルに羊皮紙を広げ、フードの下の美貌に不機嫌さを滲ませているのはアズールだ。
「めんどくさい」「非効率的だ」とブツブツ文句を言いながらも、アズールは羽ペンを走らせ、魔物の弱点や、雪山での戦術理論を図解して見せている。
その周りには数人の熱心な騎士たちが群がり、必死にメモを取っている。
口では毒を吐きつつも、知識を求める者には惜しみなく教えを与える、彼なりの不器用な誠実さ。
月のような静かな光で、彼らを導いているのだ。
わたしはそんな愛おしい二人の様子を、広場の端にあるベンチに座って眺めていた。
手には、ホットワイン。
シナモンと蜂蜜の香りが、冷えた身体に染み渡る。
太陽と月。
まったく違う輝きを持つ二人が、今はそれぞれの場所で、人々を照らしている。
その光景が、なんだかとても誇らしくて、胸がいっぱいになった。
「……ミリア殿」
不意に、穏やかな声がかけられた。
顔を上げると、そこには湯気の立つカップを持った、リアン様が立っていた。
彼は喧騒を抜け出してきたようで、少しほっとしたような表情をしている。
「隣、よろしいでしょうか?」




