第30話 霜巨人
雲海を見下ろす天空の祭壇。
どこまでも澄み渡る蒼穹の下、氷で彫刻された巨大な神殿が、威圧的にそびえ立っている。
わたしたちはついに『霜巨人の霊峰』の頂へと辿り着いたのだ。
そして、その神殿の入り口を塞ぐようにして、「守護者」が鎮座していた。
「……デカいな」
ブレイズが口元を吊り上げ、獰猛な笑みを浮かべる。
彼の視線の先にあるのは、神殿の柱ほどもある巨体を持った、氷のゴーレムだ。
全身が透き通るような魔力を帯びた氷で構成され、太陽の光を反射して眩い光を放っている。
その頭部には目も、鼻も、口もない。
ただ滑らかな氷の曲面があるだけの、のっぺらぼう。
感情も意思も読み取れない無機質な「顔」が、わたしたちを見下ろしていた。
ルォォオオオオオッ!!!
突如、顔のない巨体から、空気を震わせる咆哮が放たれた。
音の衝撃波だけで吹き飛ばされそうになる。
氷河が軋み、雪崩が起きる音を凝縮したような、自然の脅威そのものの轟き。
「総員、盾を構えろ!防御陣形だ!」
リアン様が指示を出し、騎士たちが慌てて盾を並べる。
彼らの顔色は蒼白だ。無理もない。
これほどの質量の暴力を前にして、足が震えない方がおかしい。
騎士たちが決死の覚悟で剣を抜こうとした、その時だった。
「――下がってな、優男」
ブレイズが、リアン様の肩を乱暴に掴んで制止した。
その背中には、大剣『大地割り』が担がれている。
「こっから先は、テメェらが足を踏み入れていい領域じゃねえ。怪我したくなかったら、特等席で震えて見てな」
「ブ、ブレイズ様……!しかし!」
「聞こえませんでしたか?邪魔だと言っているのです」
アズールが冷ややかな声で追い打ちをかける。
彼は杖『蒼天詠み』を構え、ゴーレムを見据えたまま、振り返りもしない。
「あの質量、あの魔力密度。今の消耗したあなたたちが挑めば、確実に全滅です。生存戦略として最も有効なものは、ボクたちの視界から消えることです」
突き放すような物言い。けれど、そこには「無駄死にするな」という、彼らなりの不器用な配慮が含まれている。
わたしはリアン様に向き直り、静かに、けれど有無を言わせぬ調子で告げた。
「そういうことよ、リアン様」
わたしは双剣『流星刃』と『星屑』を抜き放ち、二人の騎士の間に立った。
「ここから先は、わたしたちの問題。あなたたちは手を出さないで」
「ミリア殿……」
「安心して。わたしの騎士たちは、最強よ」
わたしが自信満々に微笑むと、リアン様は悔しげに唇を噛み、やがて深く頭を下げた。
「……ご武運を!」
騎士たちが後退したのを確認し、わたしは前を向いた。
三人の視線が、巨大な氷像へと集中する。
オオオオオオオッ!!
ゴーレムが再び咆哮した。
共鳴するように、天井から無数の巨大なつららが形成され、槍の雨となって降り注ぐ。
回避不能な広範囲攻撃。けれど、アズールは杖を掲げ、冷静に空を見上げた。
「『氷の蔦よ』!」
彼が魔力を解き放つと、地面から蛇のような氷の蔦が無数に伸び上がり、落下してくるつららを空中で次々と絡め取った。
ガギギギッ!と氷が砕ける音が響くが、わたしたちのもとに届く破片はない。
「兄さん!」
「おうよッ!」
ブレイズが地面を蹴り、爆発的な加速でゴーレムへと肉薄する。
対するゴーレムは、丸太のように太い右腕を振り上げた。
その先端が、瞬時に鋭利な氷の大剣へと変形する。
ギィィィィンッ!!
ブレイズの大剣と、ゴーレムの氷剣が正面から激突した。
火花と氷片が飛び散り、大気が悲鳴を上げる。
凄まじい衝撃波が広がるが、ブレイズは一歩も引かない。
「へっ、重てえな!」
ブレイズが剛力で氷の腕を押し返そうとした瞬間、ゴーレムの左腕が音もなく変形し、横薙ぎに迫った。
死角からの強烈な一撃。
「させません!氷よ!」
アズールの杖が閃く。
ブレイズの側面に、分厚い氷の障壁が瞬時に生成された。
ガギィィィンッ!
氷の刃が障壁に食い込み、その勢いが殺される。
「ナイスだ、アズール!」
ブレイズはニヤリと笑うと、全身の筋肉を膨張させた。
気合一閃。
彼は正面の右腕を強引に押し返し、ゴーレムの体勢を大きく崩させた。
無防備になった懐。
巨大な胴体ががら空きになる。
「さあ、道は開けましたよ、ミリアさん!」
二人が作った、一瞬の隙。
わたしはそのわずかな空間を縫うように、滑り込んだ。
「はぁッ!」
右手の『流星刃』が煌めく。
狙うは、右腕の関節部分。硬い氷の装甲が薄くなっている一点。
わたしは踊るように回転し、遠心力を乗せた刃を一閃させた。
パキンッ!
乾いた音が響き、ゴーレムの巨大な右腕が半ばから切断され、轟音と共に地面に落ちた。
「やったか!?」
リアン様の叫びが聞こえる。
けれど、わたしたちは誰一人として警戒を解いてはいなかった。
目の前の怪物は、生物ではない。ただの自動人形だ。
ズズズズ……。
切断された肩口から、周囲の雪や氷が吸い寄せられるように集まっていく。
そして数秒もしないうちに、元通りの腕が再生された。
傷一つない、完全な修復。
「……チッ。やっぱそうなるかよ」
「核を破壊しない限り、無限に再生するようですね。厄介な」
ブレイズとアズールが舌打ちをする。
わたしたちが攻めあぐねていると、再生したゴーレムが、今まで以上に大きく仰け反った。
その胸板の奥で、青白い光が脈動を始める。
ィィイイイイイイッ――!!!
咆哮。
いや、それは声というより、魔力の爆発だった。
地面が波打つように隆起する。
神殿の床を突き破り、無数の氷塊が這い出してくる。
ズ、ズ、ズ、ズ、ズ……。
現れたのは、大人より一回り小さいサイズの、無数の氷の兵士たちだった。
その数、数十体。
本体と同じのっぺらぼうの顔が、一斉にわたしたちの方を向く。
「……ハッ。ただのデカブツ退治じゃ終わらせねぇってか」
「増援を呼ぶとは、小賢しい真似を」
ブレイズが大剣を構え直し、アズールが杖に魔力を込める。
わたしも双剣を握り直し、不敵に微笑んだ。
「蹴散らすわよ!」




