第27話 ぐるぐるほっぺの子犬ちゃん
「……それと、昨日の雪オオカミについて、気づいたことがあるの」
わたしは近くにあった羊皮紙を引き寄せ、羽ペンを執った。
口で説明するより、図解した方が早い。
わたしは記憶の中にある雪オオカミの姿を、忠実に、そう、あくまで写実的に描き出した。
「いい?奴らの弱点はここ。この牙が冷気を圧縮しているの。だから……」
サラサラとペンを走らせ、完成した「雪オオカミの生態図解」をテーブルに提示する。
「……ここを狙えば、ブレスを封じることができるわ」
わたしは自信満々に説明を終え、顔を上げた。
けれど、テーブルを囲む男たちの反応は、奇妙なほど静かだった。
「…………」
リアン様が、石になったように固まっている。
彼の視線はわたしの絵に釘付けになったまま、ピクリとも動かない。
後ろを振り返ると、ブレイズとアズールもまた、奇妙な沈黙に包まれている。
「……ぶっ」
最初に動いたのは、ブレイズだった。
「ギャハハハハハ!!なんだこりゃあ!!おいミリア、お前、魔物の解説をしてるんじゃなかったのかよ!?」
ブレイズが腹を抱えてテーブルを叩く。
「なんだこの……目がウルウルした子犬は!?しかもなんでほっぺたにグルグル模様があるんだよ!」
「笑わないでよ!これは魔力循環の器官を強調したのよ!凶悪さが伝わらないの!?」
ブレイズが腹を抱えてテーブルを叩く。
アズールは眉間にしわを寄せ、必死に論理的な解釈を試みていた。
「……なるほど。流石はミリアさん、高度な抽象化ですね。この頬の渦巻きは、体内で生成される冷気の螺旋構造を視覚的に表現した『メタファー』……そして、この過剰に潤んだ瞳は……ええと、生命の煌めきを強調?しているのですね……?」
「無理があるわよ、アズール」
わたしはガックリと肩を落とした。
やっぱり、わたしの絵は伝わらないのかしら。
リアン様が固まったまま動かないのを見て、わたしは申し訳なさでいっぱいになった。
「ごめんなさい。ちょっと気の抜けた絵になってしまって……」
わたしが恥ずかしさで言い訳をしようとすると、リアン様は静かにかぶりを振った。
そして、感動したような瞳でわたしを見つめる。
「いえ、謝らないでください。……これは、子供たちへの配慮なのですね?」
「え?」
「この詰所には、よく子供たちが出入りします。もし彼らがこの資料を目にした時、恐ろしい魔物の絵を見て怯えないように……あえて、このような可愛らしい絵柄で描かれたのでしょう?貴女のその細やかな優しさに、私は……感服いたしました」
リアン様は胸に手を当て、心からの敬意を示してくれた。
あまりにポジティブすぎる解釈。
「あ、えっと……そ、そうなの。分かってもらえて嬉しいわ」
本当は違うんだけど。
わたしは頬を染め、曖昧に微笑むしかなかった。
まあ、褒められたこと自体は、悪い気はしない。
「……チッ。その手があったか」
「……不覚です。天然の善意による解釈……論理武装していたボクたちが馬鹿みたいですね」
そのやり取りを見ていたブレイズとアズールが、苦虫を噛み潰したような顔で囁き合う。
「ミリアの画伯っぷりを『優しさ』に変換するなんて、あの優男、とんでもねえ強敵かもしれねえぞ」
「同感です。……あの純粋さは、ボクたちには劇薬ですね」
◇
猛吹雪が吹き荒れる『霜巨人の霊峰』への登山道は、想像を絶する過酷さだった。
視界は真っ白に染まり、一歩進むごとに雪が足首を掴むように絡みつく。
「ミリア殿、大丈夫ですか?足元が滑りやすくなっています」
わたしのすぐ側を歩くリアン様が、気遣わしげに声をかけてくれた。
彼は先頭を行く部下たちに指示を出しつつも、常にわたしの安全を気にかけてくれている。
その横顔には、疲労の色よりも、任務を遂行しようとする強い意志が宿っていた。
「ありがとう、リアン様。わたしは平気よ。それより、リアン様こそ。指揮を執りながらで大変でしょう?」
「いえ、慣れていますから。……それに、わたしはこれくらいで音を上げるわけにはいかないんです」
彼は白い息を吐きながら、少しだけはにかむように笑った。
「私は、ブレイズ様やアズール様のような、高貴な生まれではありませんから」
「え?」
「私は帝都の下町生まれの、しがない平民の出でして」
リアン様は懐かしむように目を細めた。
「本来なら、騎士団の分隊長になどなれるはずもありませんでした。ですが、当時の上官――もう引退された古参の騎士様なのですが……身分ではなく、剣の腕とやる気だけを見てくれる素晴らしい方で。その方に恩を返すためにも、ここで倒れるわけにはいかないんです」
実力主義を謳いつつも、貴族の影響力が色濃い帝国騎士団。
その中で、彼がどれほどの努力を重ねて今の地位を掴み取ったのか、わたしには想像することしかできない。
「それに……私には、歳の離れた妹がいるんです」
「妹さんが?」
「ええ。まだ小さくて、少し身体が弱いのですが……。今回の任務が終わったら、土産話を持って帰ると約束しているんです」
妹の話をする時の彼の表情は、騎士の顔から、優しい兄の顔へと変わっていた。
家で待っている誰かのために戦う。
そのシンプルで、けれど何よりも温かい動機。
「……素敵なご家族ね」
わたしは思わず呟いていた。
記憶を失ったわたしには、「待っている家族」の顔は思い浮かばない。
ブレイズとアズールという新しい「家族」はできたけれど、リアン様が語るような、穏やかで当たり前の家族の団欒というものを、わたしは知らない。
胸の奥が、チクリと痛んだ。
「……ハッ。運のいい奴だ」
わたしの前を歩いていたブレイズが、聞こえるか聞こえないかの声で、小さく毒づいた。
彼はただ黙々と雪を掻き分けている。
名門公爵家の嫡男として生まれながら、その恵まれた「家」と「地位」を自ら捨てて飛び出した彼。
リアン様の話は、全てを捨てた彼にとって、眩しく、そして少しだけ苦いものとして響いているのかもしれない。
「……フン」
わたしの隣では、アズールが小さく鼻を鳴らした。
彼はフードについた雪を指で払いながら、冷ややかな、それでいてどこか複雑な視線をリアン様に向けている。
「典型的な『良き兄』の物語ですね。家族愛を原動力に立身出世を果たす……。物語としては美しいですが、弱点にもなり得る」
アズールは分析的な口調だったけれど、その声には何時ものような棘はない。
「ですが……帰るべき場所があり、無条件に愛を注げる血縁がいるというのは……。……羨ましいことなのかもしれませんね」
後半は、風にかき消されそうなほど小さな声だった。
優秀な兄と比較され、歪んだ劣等感の中で育った彼にとって、リアン様が語る「貧しくとも温かい家族」は、公爵家の富を持っても手に入らなかったものなのかもしれない。
複雑な想いを抱える二人の背中と、真っ直ぐな瞳のリアン様。
吹き荒れる雪の中で、それぞれの「家族」への想いが交錯していた。




