第21話 女王様の特等席
北へと進むにつれて、整備されていた石畳の街道は次第に姿を消し、ゴツゴツとした岩肌が露出する山道へと変わっていった。
ガタゴト、ガタンッ!!
「きゃっ……!」
車輪が大きな石に乗り上げるたびに、馬車が大きく跳ねる。
お尻が浮くほどの衝撃に、わたしがバランスを崩しかけた、その時だった。
「……おっと。危ねえぞ」
隣から伸びてきた太い腕が、わたしの腰をガッチリと抱き留めた。
ブレイズだ。
彼はわたしを引き寄せると、その分厚い胸板にわたしの背中を密着させた。
「ほら、こうしてりゃ揺れねえだろ。しっかり掴まってろ」
「ふふ、ありがとう。頼もしいわね、ブレイズ」
彼の身体は岩のように硬いけれど、その体温と安定感はどんな高級な椅子よりも心地よい。
守られている感覚に、わたしはほっと息をついた。
すかさず、向かいの席から冷ややかな声が飛んでくる。
「……非効率的ですね。兄さんのその無駄に硬い筋肉では、衝撃を吸収するどころか、逆にミリアさんの身体を痛めてしまいますよ」
アズールが呆れたように溜息をつき、几帳面に積み上げた木箱の中から、ふかふかのクッションを取り出した。
最高級の羽毛が詰まっているのだろう、見るからに柔らかそうだ。
「こちらのほうが遥かに安定的かつ機能的です。さあ、どうぞ。これを敷いてください」
「ああん?俺の筋肉がクッション以下だって言いてえのか?」
「ええ、事実ですから。あなたのそれは緩衝材ではなく装甲板です」
また始まった小競り合いに、わたしは苦笑しつつ、二人の好意を両方とも受け取ることにした。
わたしはブレイズの腕の中でお礼を言いながら、アズールが差し出したクッションを受け取り、自分のお尻の下に敷いた。
「ありがとう、アズール。これで完璧ね」
背中はブレイズの逞しい胸に支えられ、座面はアズールのクッションでふかふか。
これぞ、女王様の特等席だ。
わたしが満足げに微笑むと、ブレイズは「へっ、当たり前だ」と得意げに鼻を鳴らした。
一方で、アズールはクッションを使ってもらえて嬉しそうではあるものの、ブレイズと密着しているわたしを見て、どこか羨ましそうな、寂しそうな目をしている。
……可愛いんだから。
「……ねえ、アズール」
わたしは自分の膝の上――ちょうどクッションで高さが安定した太ももをポンポンと叩いた。
「こっちへいらっしゃい。ここならクッションのおかげで揺れが少ないわよ。……どうぞ?」
わたしの誘いの意味を理解した瞬間、アズールの顔がボンッという音がしそうなほど真っ赤になった。
その視線が、わたしの太ももに吸い寄せられる。
「ひ、ひひひ、膝枕……ですか!?そ、そのような……移動中の馬車の中で、破廉恥な……!」
「嫌?」
「い、いえっ!滅相もありません!ですが、そのような……はしたないというか、役得すぎるというか……!」
アズールは顔を真っ赤にして狼狽えているけれど、その身体は正直に、ふらふらとわたしの方へ吸い寄せられてくる。
「……チッ。仕方ねえな。特別に許してやるよ」
わたしの背後で、ブレイズが鷹揚に許可を出した。自分はわたしを抱きしめているという余裕があるからだろう。
「し、失礼します……」
アズールはゴホンと咳払いをして襟元を正し、おずおずと席を移動してきた。
そして、壊れ物に触れるように慎重に、わたしの膝の上に頭を乗せた。
彼のサラサラとした金髪が、わたしの太ももに散らばる。
「……っ」
頭を乗せた瞬間、アズールの身体から力が抜けた。
彼はわたしの太ももの感触を確かめるように、すり、と頬を寄せる。
「……落ち着きます。それに……ミリアさんの、いい匂いがします」
彼は陶酔したように目を細め、甘える猫のようにわたしの膝に顔を埋めた。
普段は冷徹な賢者様が、こんなに無防備な顔を見せるなんて。
その愛おしさに、胸が温かくなる。
わたしは背後のブレイズに体重を預けながら、膝の上のアズールの髪に指を通した。
「よしよし。準備お疲れ様。ゆっくりお休みなさい、アズール」
「……はい、ミリアさん」
背中からは陽だまりのような熱。
膝の上には夕闇のような安らぎ。
ガタゴトと揺れる馬車の中、わたしは二人の愛おしい重みを感じながら、窓の外を流れる景色を眺めた。
◇
「……止まれッ!!」
ブレイズの咆哮が響くのと同時だった。
御者が慌てて手綱を引き、馬車が急停車する。
グルルルゥ……。
低い唸り声。
雪煙の中から姿を現したのは、白い毛並みに覆われた、子牛ほどの大きさもある巨狼の群れだった。
「雪オオカミ」。
この極寒の地を支配する魔獣だ。群れからはぐれたのか、飢えた数匹が殺気を剥き出しにしてこちらを包囲している。
「はッ、昼飯前の運動にちょうどいいぜ」
「やれやれ。騒がしいことですね」
わたしたちは武器を手に、馬車から雪原へと飛び降りた。
瞬間、先頭のオオカミが大きく口を開ける。
「――ッ!散開して!!」
わたしの警告と同時に、オオカミの口から白い奔流が放たれた。
氷のブレスだ。
絶対零度の冷気が、わたしたちが先ほどまで立っていた地面を一瞬にして氷塊へと変える。
「へえ、いい度胸じゃねえか」
ブレイズが大剣『大地割り(ガイア・ブレイカー)』を構え、ニヤリと笑う。
対するオオカミたちの口元からは、凍てつく冷気が漏れ出している。
よく見ると、その口内には水晶のように透き通った鋭利な牙が生え揃っていた。
「氷の牙」。
あれが空気中の水分を魔力で冷却し、ブレスの触媒となっているのだ。
「つまり、あの自慢の牙さえへし折れば、ただの大きな犬ってわけね」
「その通りです。……ですが、あのブレス(猛吹雪)の中を正面から突っ込むのは非効率的ですね」
アズールが杖『蒼天詠み(スカイゲイザー)』を掲げ、冷静に戦況を分析する。
「ミリアさん、兄さん。ボクが合図したら突っ込んでください。……風穴を開けます」
「おう、任せたぜ!」
アズールの瞳に知的な光が宿る。
オオカミたちが再び息を吸い込み、二発目のブレスを放とうとした、その瞬間。
「――『風よ、逆巻け』!」
アズールの杖から、ブレスを真っ向から押し返すほどの烈風が解き放たれた。
風圧の壁が氷のブレスと衝突し、強引に拡散させる。
オオカミたちが、自らのブレスの逆流と風圧に煽られ、体勢を崩した。
その一瞬の隙。
「今よッ!!」
「オラァアアアッ!!」
わたしとブレイズが同時に雪を蹴った。
ブレイズは正面のオオカミに対し、大剣を振り下ろす。
「その自慢の牙ごと、砕け散りなッ!!」
豪快な剣閃が、オオカミの頭蓋を捉える。
バキンッ!!という甲高い破砕音と共に、氷の牙が粉々に砕け散り、巨狼の身体が両断されて雪原に沈んだ。
一方、わたしは側面から回り込み、風に怯んだ別の個体へと肉薄する。
ブレスを吐こうと口を開けた瞬間、その懐へと滑り込んだ。
「遅い!」
双剣『流星刃』と『星屑』が閃く。
銀閃が走り、オオカミの喉元にある急所を貫いた。
「ギャウッ……!」
短い悲鳴を上げて、オオカミは崩れ落ちた。
残った数匹が、圧倒的な力の差を悟って尻尾を巻いて逃げ出していく。
静寂が戻った雪原に、わたしたちは武器を納めた。




