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第16話 公爵閣下からの贈り物

公爵邸の客間は、ひとつの家がすっぽり入りそうなほど広かった。

最高級の絨毯、天蓋付きの巨大なベッド、そして部屋を暖かく照らすマントルピース。

その暖炉の前にあるソファに深々と身を沈め、わたしは大きく息を吐いた。


「……それにしても、公爵様も人が悪いわ」


わたしは自分の身なりを見下ろして、苦笑するしかなかった。

湯浴みを終えたわたしが着ているのは、侍女たちが「旦那様からの贈り物でございます」と恭しく差し出してきた寝間着だ。

……いいえ、これを寝間着と呼んでいいものかしら。


それは、最高級のシルクとレースで編まれた、白のベビードールだった。

布地は驚くほど薄く、暖炉の光に透けて、肌の色を艶かしく浮かび上がらせている。

胸元は深く切り込まれ、動くたびに裾が揺れて太ももがあらわになる。


清純な白でありながら、デザインはどこまでも扇情的。

あの厳格な公爵様が、こんな際どい衣装を選んだのかと思うと、その悪戯心に呆れると同時に、頬が熱くなるのを感じる。


「今夜はもう休むといい」……なんて言っておきながら、これじゃあまるで、息子たちを部屋に招き入れろと言っているようなものじゃない。


パチパチ、と薪が爆ぜる音を聞きながら、わたしは先ほどの食卓での会話を反芻していた。


『どちらかを選び、このクリフォード家に、嫁ぐ気はないか』


炎を見つめながら、夕食の時の公爵の言葉を思い返す。

答えなら、もうわたしの中で決まっている。

太陽の熱も、月の静寂も、どちらか一つなんて選べない。

二人がいて初めて、わたしは「ミリア」でいられるのだから。


けれど――それを公爵様に伝えることは、今はまだできない。


わたしは自分の膝に顔を埋めた。

不器用な父親と、素直になれない息子たち。

あの場所に、わたしという異物が本当に混ざってもいいのだろうか。


わたしの過去は空白だ。

あるのは「器」という、世界を滅ぼしかねない危険な運命と、血塗られた記憶の断片だけ。

もしわたしのせいで、二人の大切な場所が壊れてしまったら。

もしわたしの過去が、彼らを破滅へと導いてしまったら。


……怖い。


ブレイズとアズールは「守る」と言ってくれた。

その言葉を信じていないわけじゃない。

けれど、信じているからこそ、彼らを巻き込むことへの罪悪感が、棘のように胸を刺す。


「……わたしは、本当に……」


ゴソゴソ……。

ヒソヒソ……。


扉の外から、何やら怪しげな物音が聞こえてきた。

最初は風の音かと思ったけれど、すぐにそれが、押し殺した人の話し声だと分かった。


「……おい。退けよ、邪魔だ」


「あなたこそ。ボクはミリアさんの安眠をサポートするために来たのです。酔っ払いは巣にお帰りください」


「ああん?俺は寝酒を一杯付き合ってもらうだけだ。安眠サポートだぁ?どうせそのハーブティーに妙な薬でも盛ってんだろ、このムッツリ」


「失敬な。これはリラックス効果のある最高級のカモミールです。あなたこそ、そのボトルを片手に何をする気です?この発情期の獅子め」


声のボリュームが、次第に上がっていく。

扉一枚隔てた向こう側で、低レベルな罵り合いがヒートアップしているのが手に取るように分かった。

わたしの感傷的な気分を返してほしい。


「俺は護衛に来たんだ。夜襲があるかもしれねえだろ」


「この屋敷の警備は完璧です。物理的な護衛など不要。むしろ、ミリアさんの安眠を妨げるあなたのいびきの方が脅威ですよ」


「ああん?俺はいびきなんかかかねえよ!それにお前こそ、ドサクサに紛れてベッドに忍び込む気満々じゃねえか」


「心外ですね。ボクはただ、ミリアさんの精神状態が不安定なので、添い寝によるメンタルケアが必要だと判断しただけです」


「それを下心って言うんだよ!引っ込んでろ!スケベ賢者が!」


「あなたこそ、頭を冷やしてきなさい!脳みそまで下半身でできたケダモノが!」


「……はぁ」


わたしはこめかみを押さえ、深いため息をついた。

もう、この人たちは。

わたしはブランケットを肩に羽織ると、足音を忍ばせて扉へと近づき――勢いよくノブを回して開け放った。


「……いい加減にしなさい、二人とも」


「ッ!?」

「うおッ!?」


扉の向こうで固まっていたのは、あまりに対照的な二人の姿だった。


一人は、片手に高級そうなスコッチのボトルをぶら下げたブレイズ。

彼はシンプルな麻のチュニックに、膝丈のゆったりとした下履きという、ラフすぎる格好をしていた。

鍛え上げられた胸板や腕の筋肉が露わになっていて、いかにも「男」という野性的な色気を漂わせている。


そしてもう一人は、銀の盆に湯気の立つティーセットを載せたアズール。

彼は……なんというか、完全防備だった。


光沢のある厚手のシルクのナイトガウンは、首元から足首までをすっぽりと覆い、露出は指先と顔だけ。

さらに頭には、先端に房飾りがついたナイトキャップまで被っている。

まるで絵本に出てくる妖精さんのようだ。


「……もう。なによ、その格好は」


わたしは呆れるのを通り越して、おかしくてたまらなくなってしまった。

まずは右側の、筋肉をこれ見よがしにさらけ出している野獣に視線を向ける。


「ねえブレイズ。幾ら実家だからって、廊下をそんな恰好で歩き回るなんて。高級なお酒を持ってても、それじゃあ夜襲をかける山賊にしか見えないわよ?」


そして次は、左側の完全防備な賢者様だ。


「それにアズール……。その帽子、何の冗談なの?深窓の令嬢どころか、絵本から飛び出してきたマスコットみたいよ」


わたしは腰に手を当てて、二人に呆れた視線を送った。

普段なら、「山賊だと?ワイルドな男の魅力と言え!」「これはシルクの保湿効果を最大限に活かす機能美です!」なんて、即座に言い返してくるはずの二人だ。


けれど、今は石像のように固まったまま、ピクリとも動かない。

反論どころか、呼吸さえ忘れているようだ。

二人の熱っぽい視線は、わたしの顔ではなく、少し下――肩から羽織っていたブランケットの隙間に、吸い寄せられるように釘付けになっていた。


カチャカチャカチャ……。


静寂の中、アズールが持つ銀盆の上で、ティーカップが小刻みに震える音だけが響く。

ブレイズの手から、琥珀色のボトルの蓋が滑り落ちて、コロコロと転がった。


「…………な」


ブレイズの喉が、ゴクリと大きく鳴る。

その視線は、わたしの顔ではなく、胸元のレースと、そこから透ける白い肌、そして裾から大胆に覗く太ももに釘付けになっていた。


「…………ッ」


アズールに至っては、顔を真っ赤にして視線を逸らそうとしているけれど、本能がそれを許さないのか、視線がわたしの身体の上をせわしなく泳ぎ回っている。


ふふ、いい反応ね。

わたしは扉枠に少しもたれかかり、わざとらしく小首を傾げてみせた。


「あら?どうしたのかしら、二人とも。そんなに鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」


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