第15話 熱暴走
「……ミリアさん。このような不毛な言い争いは、もうやめにしましょう」
アズールが咳払いをし、改めてわたしの両手を握り締めた。
「現実的な話をします。ボクは、クリフォード家の次期当主です。兄さんが出奔した今、この家を継ぐのはボクしかいない」
アズールの手が、わたしの指を優しく包み込む。
彼はわたしの瞳を真っ直ぐに見つめ、真摯な声色で切り出した。
「ボクを選んでいただければ、貴女を『公爵夫人』としてお迎えします。何不自由ない生活はもちろん、帝国のあらゆる文献へのアクセス権、そして遺跡調査のための無制限の予算をお約束しましょう。貴女の知的好奇心を満たすのに、これ以上の環境はありません」
「……!」
「公爵夫人」という甘い響き以上に、「無制限の予算」と「文献へのアクセス権」という言葉が、わたしの強欲な琴線に触れた。
なんて魅力的な提案なのだろう。
お金の心配をせずに、好きなだけ遺跡を掘り返し、古文書を読み漁る日々……。
それはまさに、トレジャーハンターにとっての楽園だ。
「そ、それは……魅力的かも……」
わたしがうっとりと想像に浸りかけると、焦ったブレイズがテーブルを叩いて立ち上がった。
「待て待て待て!卑怯だぞアズール!」
焦ったブレイズが割り込む。
「だったら俺だって考えがある!親父!」
ブレイズはエドガー様に向き直り、高らかに宣言した。
「俺が家に戻る!俺が家督を継げば文句ねえだろ!騎士団長にも復帰して、ミリアを公爵夫人にすりゃあいい!」
その宣言に、アズールが呆れ果てたようにため息をついた。
「はあ?どの口が言っているのですか?」
アズールが冷ややかな視線で兄を一刀両断する。
「家の名誉も、父上の期待も、全て捨てて、自由気ままに生きてきたあなたが、今更どの面を下げて、この家に戻ると?あなたが捨てた重責を、これまで誰が背負ってきたとお思いですか?」
「うっ……!そ、それは……!」
痛いところを突かれ、ブレイズが言葉に詰まる。
論理で攻められれば、ブレイズに勝ち目はない。
けれど、追い詰められた「金獅子」は、そこで予想外の戦法に出た。
「……だったら!」
彼はわたしのもう片方の手を握りしめ、熱い視線を送ってくる。
「ミリア。俺について来い。俺と一緒なら、退屈なんてさせねえ。地図にも載ってねえ未開の地、誰も見たことのない遺跡、スリル満点の冒険……。毎日が新しい発見の連続だ」
ブレイズの瞳が、少年のように輝く。
「地位も名誉も関係ねえ。ただの男と女として、世界中の謎を暴いて回ろうぜ。空の下で飯を食い、星を見上げて眠る。お前が望む『自由』は、この屋敷の中じゃなく、外の世界にあるんじゃねえのか?」
「……っ!」
その言葉に、わたしの目が輝いた。
未知の遺跡、誰も知らない景色、そしてスリルに満ちた冒険の日々。
それは、わたしが記憶を失ってからずっと追い求めてきたものであり、魂が震えるほどのロマンだ。
安定した研究生活も魅力的だけど、やっぱり現場の空気と土の匂いが恋しいのも事実。
「それも……すごく、いいかも……」
「くっ……!やりますね兄さん、ミリアさんの一番弱いところを……!」
わたしが頬を染めて頷きかけると、今度はアズールが焦り出した。
形勢逆転かと思われたその時、アズールが決死の形相で叫んだ。
「ならば!ボクも、家督など捨てます!貴女が行くところなら、どこへでも、ボクもついていきます!ボクの知恵があれば、兄さんのような脳筋だけの冒険より、遥かに安全で、効率的な旅ができるはずです!」
「え?」
「は?」
わたしとブレイズの声が重なった。
それ以上に、この場の空気を一瞬で凍りつかせたのは、上座からの低い声だった。
「……アズールよ」
エドガー様は、こめかみを指で押さえながら、深いため息をついた。
「お前まで家を捨てたら、このクリフォード家は、一体、誰が継ぐのだ?」
「え……あ、それは……」
アズールの顔がサーッと青ざめる。
恋に盲目になるあまり、賢者ともあろう者が、自分の家の存続という重大事を忘却の彼方に放り投げてしまったらしい。
「…………はぁ」
公爵は、この世の全ての憂いを背負ったような、深く、重たい溜息をついた。
そして、疲労困憊といった様子でわたしに向き直り、深々と頭を下げた。
「……すまなかった、ミリア嬢」
「えっ、いえ、あの……公爵閣下?」
「我が息子たちが……これほどまでに愚かだとは、思わなかった」
エドガー公爵は、二人の息子を軽蔑の眼差しで一瞥すると、力なく首を振り、わたしに向かって静かに頭を下げた。
「先程の、嫁ぐ気はないかという問いは、冗談だ。どうか、忘れてくれ」
「えっ」
「今のこやつらでは、貴殿の隣に立つには、あまりにも力不足だ。……話にならん」
バッサリと切り捨てられた二人。
ガックリと項垂れる最強の騎士と、最高の賢者。
そのあまりに情けない姿に、わたしはもう限界だった。
「ふっ……ふふっ……!」
笑いを堪えようと口元を押さえたけれど、肩の震えが止まらない。
こんなにも愛おしくて、愉快な家族が他にいるだろうか。
わたしは震える肩を押さえながら、この騒がしくも温かい夜が、いつまでも続けばいいのにと願わずにはいられなかった。




