第13話 爆弾
「……雪の山脈、灼熱の砂漠、そして星の祭壇か」
わたしの言葉を反芻するように、エドガー公爵が低く呟いた。
彼は組み上げた両手の上に顎を乗せ、わたしを見据える。
公爵は何かを噛み締めるように目を細めた後、ゆっくりと立ち上がって窓辺へと歩み寄った。
カーテンの隙間から、帝都の夜景が見える。
人工の灯りが煌めく街並み。500年続く繁栄の象徴。
「お前が見たビジョン、そしてお前を呼ぶ声。だが、お前を待っているのは神々だけではないかもしれん」
「どういう、ことでしょうか?」
「……かつて建国の女神ゾルデが『真昼の瞳』の力で世界を蹂躙した時、全ての『月の民』が大人しく滅びを受け入れたわけではない」
公爵はデスクの上の古い手記に視線を落とした。
「彼らは反旗を翻したのだ。圧倒的な神の力に対し、命を賭して抗い、そして敗れ去った。……帝国の記録では、その反乱分子は根絶やしにされたことになっている。だが、怨念というものはそう簡単に消えはしない」
公爵の声が、一段低くなる。
「もし、その残党が今も地下に潜み、帝国への復讐を誓っているとしたら?彼らが求めるものはただ一つ。ゾルデと同じ力を持つ『器』――すなわち、お前だ」
「復讐のための……『器』……」
その言葉を聞いた瞬間、わたしの脳裏に鋭い痛みが走った。
――チリン。
冷ややかな鈴の音が響く。
「ッ……!?」
唐突なフラッシュバック。
『――さあ、やりなさい。選ばれし子よ』
耳元で、優しげで、けれど絶対的な強制力を持った男の声が響く。
身体が動かない。
意識が冷たい泥の中に沈んでいくような感覚。
自分の手が勝手に上がり、破壊の光を解き放つ。
「……っ」
視界が歪む。
ヒュッ、と呼気が漏れる。
息ができない。
過去の記憶の蓋が、無理やりこじ開けられそうになる感覚。
自分が自分でなくなってしまうような、底知れない恐怖が、足元から這い上がってくる。
「――ミリア!」
「ミリアさん、しっかりしてください!」
崩れ落ちそうになったわたしの身体を、左右から強い力が支えた。
ブレイズとアズール。
二つの感触が、わたしを悪夢の淵から現実へと引き戻す。
「大丈夫だ。ここには俺たちがいる」
ブレイズの太い腕が、震えるわたしの肩を抱き寄せる。
その力強さと熱が、凍りついたわたしの心臓を再び動かしてくれる。
「あなたは『兵器』でも『道具』でもない。ミリアさん、ボクたちの愛しい人だ」
アズールがわたしの冷たくなった手を両手で包み込み、その瞳を真っ直ぐに見つめてくる。
そこにあるのは、かつての冷徹な賢者の目ではなく、一人の男としての真摯な光だ。
「……ブレイズ、アズール……」
二人の声が、わたしを現実へと繋ぎ止める楔となる。
鈴の音は遠ざかり、代わりに二人の鼓動と体温がわたしを満たしていく。
わたしは大きく息を吸い込み、乱れた呼吸を整えた。
「……ごめんなさい、取り乱してしまって」
わたしはもう一度、深く息を吸い込んだ。
肺を満たす冷たい空気が、早鐘を打っていた心臓を鎮めていく。
指先の震えは止まっていた。
もう、恐怖はない。
あるのは、この不可思議で過酷な運命と正面から向き合うという、腹の底で静かに燃えるような覚悟だけだ。
「……これが、わたしの進むべき道なのだと思います」
わたしは顔を上げ、エドガー公爵を、そしてわたしを支えてくれている二人の騎士を見据えて言った。
「この『瞳』を集める旅こそが、わたしの失われた記憶……わたしのルーツへと、必ず繋がっている。そして、この道は……」
わたしの視線が、自然と鋭さを増していくのが分かる。
脳裏に焼き付いた鈴の音。
「わたしを『器』と呼びんだ者たちと、必ずどこかで交わるはず」
わたしの言葉に、公爵は、長く深く息を吐き出した。
「……そうか」
彼は、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
その表情からは、帝国の影を統べる冷徹な支配者の仮面が消えていた。
そこにいたのは、ただの一人の父親として、息子たちと、その息子たちが選んだ女を労う、年相応の男の顔だった。
「今日は、もう休むと良い。食事と、部屋を用意させよう」
その言葉は、束の間の、けれど何よりも温かい休息の許に聞こえた。
◇
カチャ、カチャ……。
響くのは、銀の食器が触れ合う微かな音だけ。
上座にはエドガー公爵。
その右手にブレイズ、左手にアズール。そして下座の正面にわたしが座っている。
先ほどまでの「世界の命運」を語る緊張感とはまた違う、気まずい静寂。
ブレイズは無言で肉料理を口に運び、アズールは優雅な手付きだが無表情でスープを啜っている。
エドガー公爵は……グラスを傾けながら、ただ黙ってわたしたちを観察している。
「……ミリア嬢」
不意に、重厚な沈黙が破られた。
公爵がグラスを置き、ナプキンで口元を拭いながらわたしを見据える。
「は、はい!」
「我が家の、この出来の悪い二人の息子たちは、貴殿のお役に立てているかな?」
その問いかけに、ブレイズとアズールが同時に顔を上げた。
二人は同時に抗議の声を上げようとしたが、彼は片手を挙げてそれを制し、わたしだけを見つめ続けた。
「もし此奴らが足手まといだと言うなら、遠慮なく言ってほしい。代わりならいくらでも用意しよう。『獅子心騎士団』の精鋭部隊でも、『賢者の塔』の高位魔導師団でも、私の権限で貴殿の指揮下に加えようではないか」
ブレイズの喉が唸り声を上げ、アズールの瞳が悔しげに揺れる。
試されている。
彼らも、そしてわたしも。
わたしはナイフとフォークを置き、背筋を伸ばして公爵を見据えた。
「いいえ、公爵閣下。その必要はありません」
わたしは左右に座る二人の顔をちらりと見て、きっぱりと言い切った。
「確かに、ブレイズは口が悪くて乱暴ですし、アズールは理屈っぽくて面倒くさいところがあります」
「おい」
「ミリアさん?」
「けれど……彼らでなければ、わたしはここまで辿り着けませんでした。わたしの背中を守れるのはこの二人だけですし、わたしが背中を預けたいと思うのも、彼らだけです」
わたしは胸に手を当て、言葉に力を込めた。
「彼らの代わりなど、この世界のどこにも存在しません。二人は、わたしの最高のパートナーです」
わたしの言葉に、公爵は目を細め、やがて満足そうに深く頷いた。
「……そうか。最高のパートナー、か」
彼はワイングラスを揺らし、その赤い液体を見つめながら、独り言のように呟く。
そして、不意に悪戯っ子のような光を瞳に宿し、爆弾を投下した。
「ならば……貴殿は、その愚かな息子たちのうち、どちらかを選び、このクリフォード家に、嫁ぐ気はないかな?」




