ファンタジーの世界では恐喝が最高潮に達する
いいえ!私は主人公とは似ていません。彼は私ではありませんし、もし私がファンタジーの世界にいたら、それは私の自己投影でもないでしょう。あなたたちは正気じゃない!
「俺に金を払えって言ってるんだ!」
ガフォンの怒鳴り声が、ホテルのロビーに響き渡った。
彼は憤怒に顔を歪め、俺たちを指差した。その目つきを見る限り、何らかの補償を受け取るまでは、絶対に俺たちを帰すつもりはないらしい。できることなら、俺たちの懐を空っぽにするまで搾り取りたいのだろう。
もっとも、残念なことに、俺たちの懐はすでに空っぽだった。
事態がこれ以上悪化する前に、ミコが一歩前へ出た。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。でも、私たちはお金を持っていないんです。お支払いすることはできません」
ガフォンは、まるで彼女から太陽が昇らなくなったとでも告げられたかのような顔で、彼女を見つめた。
その表情は、秒を追うごとに険しくなっていく。彼の忍耐が一本ずつ、ぷつぷつと切れていく様子が目に見えるようだった。
「おい、今のを聞いたか!?」
彼は勢いよく振り返り、俺たちのほうを指差しながら、衛兵たちに訴えかけた。
「こいつら、自分たちは一ウアも持っていないと言いやがったんだぞ! 無断で俺のホテルの部屋を使い、サービスまで受けておきながら、たった一枚の硬貨も払わずに帰ろうとしているんだぞ!?」
彼は顔を真っ赤にしながら、大きく息を吸い込んだ。
「捕らえろ! 牢獄にぶち込んで、処刑しろ!」
俺はため息をつき、一歩後ずさった。
さて、これは困ったことになった。
俺たちは完全に追い詰められていた。金がないと正直に説明したところで、この状況を切り抜けられるとは思えない。むしろ、余計に怪しまれるだけだろう。
衛兵の一人が俺たちに近づいてきた。苛立ちと、わずかな同情。その二つが入り混じったような表情を浮かべている。
「悪いな、アート。お前の度胸だけは認めている。まあ、少々無謀すぎる気もするが……それでも、法律は法律だ。二人とも拘束させてもらう」
何か方法があるはずだ。
考えろ、アート。考えるんだ。
俺は必死に記憶を探り、この場所について何か使える情報がなかったか思い返した。
この世界に登場する人物は、全員が原作の物語に登場したか、少なくとも名前だけは言及されている。そういう世界なのだ。
そして、俺たちがいるのは、まだ本編の物語が始まるずっと前の時代。
だからこそ、俺が知っている人物の大半は、名前と断片的な情報しか記憶に残っていなかった。
ガフォン。
待てよ。
ガフォン!
ようやく思い出した。
俺の顔に、ゆっくりと笑みが広がった。
もしかしたら、まだ終わりじゃないかもしれない。
「ガフォン!」
俺は彼の名前を呼び、できる限り親しげな笑顔を浮かべながら歩み寄った。
ミコが困惑した様子で俺を見つめている。
彼女の頭の中に、次々と疑問が浮かんでいるのが手に取るようにわかった――いったい何をするつもりなの、ヒガシさん?
心配するな、ミコ。
ここは俺に任せておけ。
「皆さん、そんなに騒ぐ必要はありませんよ」
俺は陽気な声で言った。
「ガフォンと私は、とても親しい友人なんです」
そう言いながら、俺は何気ない仕草で彼の肩に腕を回した。
ほんの一瞬、ロビー全体が静まり返った。
そして、次の瞬間。
ガフォンが爆発した。
「はあああ!? ふざけるな! こいつとは友人でも何でもない! こんな男、見たこともないぞ!」
まるで彼が面白い冗談でも言ったかのように、俺はくすくすと笑った。
「おいおい、ガフォン。親友にそんな悪ふざけをする必要はないだろう? 衛兵の皆さんの前で俺に恥をかかせるだけじゃなく、ほかのお客さんの迷惑にもなっているじゃないか。俺、結構傷ついているんだぞ?」
「何をデタラメなことを言っているんだ! こんな男の話を信じるな!」
ガフォンは俺の腕を乱暴に払いのけ、一歩後ろへ下がった。
周囲の客たちは、すっかり手を止め、目の前で繰り広げられる騒動に見入っていた。
まあ、無理もない。
ほんの数分前まで、俺は金も払わずにホテルへ泊まった不審者だった。それが今では、ロビーのど真ん中でホテルの主人と親友同士だと主張しているのだから。
俺だって傍観者の立場だったら、きっと楽しんでいただろう。
だが、今は観客を楽しませている場合ではない。
俺はガフォンに近づき、彼の耳元へ顔を寄せた。
笑顔は崩さない。
「ガフォン」
誰にも聞こえないよう、声を潜めて囁いた。
「俺の言うとおりにしろ。この芝居に付き合えば、お互い何事もなかったように、この場を切り抜けられる」
彼は歯を食いしばり、俺を睨みつけた。
俺はさらに顔を近づける。
「それとも、ルーファスに、お前がこのホテルを経営しながら脱税しているって話してやろうか?」
ガフォンの動きが止まった。
目が大きく見開かれ、顔から血の気が引いていく。唇は小刻みに震え始めた。
「な、な、なぜ……それを……!?」
ああ。
この顔だ。
自分の最も恐れているものが、笑顔を浮かべて玄関から入ってきたと気づいた男の顔。
ついさっきまで、俺を牢獄に放り込み、処刑しろと喚き散らしていた男が、今では俺の一言で自分の世界が崩壊してしまうとでも思っているかのように怯えている。
俺は背筋を伸ばし、再び彼の肩に手を置いた。
今度は、彼も俺の手を払いのけようとはしなかった。
俺は何事もなかったかのように衛兵たちへ向き直り、愛想のいい笑顔を向けた。
それから、もう一度ガフォンの耳元で囁く。
「俺は秘密工作員だ。なぜ俺が正体を誰にも知られることなく、お前のホテルに一晩泊まれたのか、わかるか? 俺は身分を隠して任務に就いている王国騎士だからだ」
俺は一度言葉を切り、彼に考える時間を与えた。
「脱税の疑いがあるという報告を受けて、調査をしていたんだ。まさか、こんなに評判のいいホテルが関わっているかもしれないとはな。俺自身、驚いているよ」
ガフォンは不安げに唾を飲み込んだ。
「そ、それを証明する証拠はあるのか……?」
俺は微笑んだ。
「自分の将来が俺の手の中にあるというのに、証拠を要求する余裕があるのか?」
もちろん、俺は王国騎士でもなければ、秘密工作員でもない。何の権限もなければ、証拠もない。そもそも、誰かを調査するつもりなど毛頭なかった。
だが、ガフォンはそんなことを知らない。
そして、それこそが、この作戦の素晴らしいところだった。
原作では、ガフォン家はホテルの経営を中心に莫大な財産を築き上げた、裕福な一族だった。
しかし、その繁栄が永遠に続くことはなかった。
やがて、彼らの曽祖父が脱税を行っていた事実が発覚し、一族は歴史に残るほどの没落を経験することになる。
本編が始まる頃には、ガフォン家は莫大な借金に苦しむことになっていた。
そして今、俺はその一族の未来の醜聞を知っている男と、こうして顔を突き合わせているわけだ。
いやはや、未来を知っているというのは素晴らしい。
「さあ」
俺は静かに囁いた。
「俺が友人だと衛兵たちに説明しろ。この騒ぎを丸く収めるんだ。……それとも、俺からルーファスに話してほしいか? お前の秘密を、洗いざらいな」
ガフォンはごくりと唾を飲み込んだ。
一瞬、彼は反論しようとしているように見えた。俺の脅しがハッタリだと見抜きながら、すべてを危険にさらすことなく切り抜ける方法を必死に探していたのかもしれない。
だが、すでに恐怖が彼を支配していた。
人間というのは、つくづく不思議な生き物だ。
自分が優位に立っていると思えば、どれほど誇り高く、頑固で、手に負えない態度を取ることもある。ところが、自分が失いたくないものを他人に握られた途端、その自信はあっけなく崩れ去る。
それがどんな種族であろうと、関係ない。
結局のところ、誰にだって失うことを恐れるものがあるのだ。
ガフォンは衛兵たちに目を向けた。
そして、突然、笑い声を上げた。
「ははは! まいった、まいった! お前には敵わないな、我が友よ!」
彼は俺の肩を、少々力を込めて叩いた。
「ルーファスさん、貴重なお時間を無駄にしてしまい、申し訳ありませんでした。すべて冗談だったんです! 友人とこうして再会するのも久しぶりだったもので、つい、ちょっとした悪ふざけをしてしまいましてね」
その笑顔は、見ているこちらが痛々しく感じるほど引きつっていた。
衛兵たちは、互いに苛立たしげな視線を交わした。
一方、ルーファスはどこか面白がっているようだった。
少なくとも、俺にはそう見えた。何しろ、彼の顔は焼き上がったジャガイモのようで、笑っているのかどうかさえ判断しづらいのだ。
「まったく、貴重な時間を無駄にさせてくれたな」
彼は不機嫌そうにぼやいた。
「お前の評判に免じて、今回は死刑を免除してやる。幸運だったと思え」
最後にもう一度ガフォンを睨みつけると、彼は背を向けた。
ほかの衛兵たちもその後に続き、ロビーの客たちも徐々に自分たちの用事へと戻っていった。
あれほど騒がしかった空間は、何事もなかったかのように静けさを取り戻した。
やがて、ロビーに残ったのは三人だけになった。
ガフォン。
ミコ。
そして、俺だ。
その中で、いまだに状況を理解できずにいるのはミコだけだった。
まあ、当然だろう。
彼女の視点からすれば、つい先ほどまで、俺たちは処刑されかけていた金なしの旅人だった。それが今では、俺がホテルの主人と二言三言交わしただけで、すべての問題が解決してしまったのだから。
彼女は俺とガフォンを交互に見つめた。
頭の中で、さまざまな疑問が渦巻いているに違いない。
そんな彼女をよそに、俺は見事な細工が施された赤い木製の椅子を引き寄せ、まるで自分の家であるかのように腰を下ろした。
「よくやったな、ガフォン」
彼のまぶたがぴくりと動いた。
「自分の置かれた状況を理解し、分別のある判断を下してくれて嬉しいよ。自分の非を認めることができるとは、なかなか成熟した大人じゃないか」
ガフォンは、歯が砕けるのではないかと思うほど強く歯を食いしばった。
俺はそんな彼の殺気立った視線に、得意げな笑みを返した。
ああ、このファンタジー世界!
魔法に、怪物に、奇妙な法律。そして、適切な情報さえ握っていれば、思いどおりに動かせる人間たち。
どうやら、俺はこの世界が気に入り始めているらしい。
「さて、ビールを持ってきてくれ」
ガフォンの表情が、さらに険しくなった。
「ビールを頼んでも構わないよな?」
俺は首を傾げ、無邪気な顔で付け加えた。
「てめえ……!」
ガフォンは叫びかけたものの、寸前で言葉を飲み込んだ。怒りを鎮めるように大きく息を吸い、俺に指を突きつける。
「自分の立場をわきまえろ! お前の命を救ってやったんだぞ! これで貸し借りはなしだ! それに、ここは俺のホテルだぞ!」
俺は椅子の背もたれに身を預けた。
「そうか? ついさっき、お前の評判を救ってやったのは誰だったかな」
「き、貴様……!」
ガフォンが再び怒鳴り散らそうとした、そのときだった。
ミコがようやく口を開いた。
「何がどうなっているのか、さっぱりわからないんだけど……」
彼女の視線が俺に向けられる。そこには、疑念と好奇心が入り混じっていた。
「アート……いえ、ヒガシさん。どうしてこんな問題を解決できたの? 最初から、この場所について何か知っているみたいだったし……。そもそも、ガフォンって何者なの? それに、どうして彼に何を言えばいいのか、わかっていたの?」
俺は片手を上げ、彼女を制するような仕草をした。
「まあまあ。質問は一つずつ頼むよ」
ミコは眉をひそめた。
「それと、まず最初に言っておきたいことがある、ミコ……」
俺は前かがみになり、両肘を膝の上に置いた。
「少し落ち着け」
「……落ち着いているけど?」
「そういう意味じゃない。まあ、いいか」
俺は彼女の疑問を軽く受け流し、話を続けた。
「とにかく、これからは俺のことをアートと呼んでくれ。ヒガシさんじゃない。今の俺の名前はアートだ」
ミコは呆然と俺を見つめた。
「でも……」
「俺たちはもう日本にいないんだ、ミコ。それどころか、ここは俺たちがいた世界ですらない」
俺はロビーを見渡した。
見慣れない建築様式。奇妙な調度品。そして、つい先ほどまで俺たちの騒動を眺めていた人々。
「元の世界で当たり前だと思っていた常識も、習慣も、何もかもが、ここでは通用しないかもしれない」
この章をお読みいただき、ありがとうございました!SodaKun Out ☆!




