後悔の泥濘
——外壁の戦い、あの日のことをまだ覚えている。
俺たちの誰もが混乱した。
戦うはずの相手が、戦わない。
敵と決めた者たちが、敵意を向けて来ない。
それなのに、目だけが、燃えていた。
彼らは武器を持っていた。
鋭い爪、頑丈な腕、風を切る脚。
だが、それを使わない。
俺たちが突き出した槍を、手の甲で受け、曲げた。
潰すでもなく、折るでもなく、力を逃がした。
次の瞬間、俺の隣の兵が地面に叩きつけられた。
だが、血は出なかった。
息をしていた。
さらに、奇妙なことが起こった。
俺の隣の兵が瓦礫を構えた瞬間、それを押し返したイシュの民の腕が、空を裂いた。
狙いでも、殺意でもない。
ただ道を拓こうとした一撃だった。
長物の破片が、兵の胸を打ち抜いた。
倒れる音が、あまりに軽かった。
イシュの民は一瞬、何が起きたのか分からないように立ち尽くした。
腕を見た。
瓦礫を見た。
そして、倒れた兵の方へ駆け寄った。
血を止めようとしたのか、服を裂き、傷口に手を押し当てる。
だが、その手は震えていた。
押さえる力が、弱すぎた。
彼の指の間から、温かい赤がこぼれ落ちた。
そのイシュの民は、やがて立てなくなった。
その場に座り込み、何度も両手を見つめた。
泥と血が混ざり、指の形が分からなくなる。
やがて、声が漏れた。
泣き声だった。
けれど、それは痛みの声ではなかった。
駆けて来た兵の槍が、そのイシュの民の胸を後ろから貫いた。
倒れゆくイシュの民は、自分が殺してしまった兵をなお潰さないよう手をついて、動かなくなった。
彼らは、力を誇らなかった。
戦いの最中でさえ、誰かの手を取って、顔を見た。
敵を見るのではなく、人を見るように。
何度も、何度も、顔を見ていた。
そして、そのたびに——戸惑っていた。
まるで、自分の手が人を傷つけるという事実に、
初めて気付いた子供のように。
俺たちはその戸惑いに打たれた。
勝てる気がしなかった。
斬るでもなく、蹴るでもなく、ただ見つめられる。
その目に耐えられなかった。
殺すという行為が、ここでは下劣に思えた。
俺たちが誇った水攻めが、いかに無様だったかを、その穏やかな動作ひとつひとつが突きつけていた。
前線が崩れた。
誰も指揮を取らなかった。
退くでもなく、進むでもなく、ただ下がった。
後ずさりしながら、俺たちは見た。
彼らに抱えられていった女。
彼女が本物の「聖女」と呼ばれる者だと気づいたのは、逃げ出した後のことだ。
戦いは終わった。
誰が勝ち、誰が負けたのかは関係なかった。
俺たちは、自分たちの中にまだ残っていた人間の部分が、音を聞いて泣いたのを感じた。
◆
その夜、俺たちは火を焚けなかった。
煙が上がるのが、怖かった。
——どうして、守るための力で殺してしまったのか。
誰かがそう呟いたように聞こえた。
だが、それはきっと俺たちの心の声だった。
泣くイシュの民を見て、俺たちは笑えなかった。
敵を見る目で見られなかった。
ただ、胸の奥がひどく軋んだ。
あれが人間よりも人らしい涙なのだと、そのとき初めて知った。




