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Danger Mix ~その男、健康につき~  作者: 長門 伽舎
第1章 灰色の村編

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違和感と少年


 ダークウルフ騒動から数日。


 村の日常は元に戻っていた。


 畑を耕す者。


 家畜の世話をする者。


 鍛冶場で槌を振るうダントン。


 教会で祈りを捧げるフランツ。


 何も変わらない。


 少なくとも表面上は。


 だが。


 ヴァイスを見る目は少しだけ変わっていた。


「おう、ヴァイス」


 畑仕事帰りの男が声を掛ける。


「この前はお前がやったのか?」


「何のことでしょう?」


「ふん、まぁいいけどな!」


 男は笑った。


 だがそれ以上は言わない。


 ヴァイスも深く聞かなかった。


 誰も確証は持っていない。


 それで良かった。


 余計な注目は集めたくない。


 魔法が使えない。


 その事実だけで十分目立っている。


 その日の午後。


 ヴァイスは森へ向かっていた。


 木剣。


 水筒。


 昼食代わりのパン。


 いつもの装備である。


 森の中へ入り。


 人の少ない場所へ向かう。


 鍛錬のためだ。


 しばらく歩いたところで足を止めた。


「ここでいいか」


 木剣を抜く。


 構える。


 足を肩幅に開き、重心を落とす。


 鼻からゆっくり息を吸い込み、肺を満たす。


 湿った森の空気が胸の奥まで入り込む。


 そして吐く。


 余計な力を抜きながら、木剣を振り下ろした。


 ブンッ、と風を裂く音が静かな森に響く。


 ただ数をこなすのではない。


 肩の動き。


 肘の角度。


 手首の返し。


 足裏に伝わる地面の感触。


 一つ一つを確かめながら剣を振る。


 踏み込むたびに落ち葉がかすかに鳴り、靴底の下で土が沈む。


 最初はぎこちなかった動きも、今では以前より滑らかになっていた。


 それでも満足はできない。


 振るたびに小さなズレが見つかる。


「違うな」


 小さく呟き、もう一度構える。


 踏み込みを深くする。


 腰を回す。


 全身の筋肉を連動させるよう意識して振り抜く。


 ずしりとした負荷が足から腰、肩へと流れ、木剣の軌道がわずかに安定した。


 腕だけで振れば楽だ。


 だがそれでは強くなれない。


 呼吸が熱を帯びる。


 額から汗が流れ落ちる。


 握った柄が少し滑る。


 掌には木剣を握り続けた硬い感触が食い込み、じんじんとした痛みが残る。


 それでも動きを止めず、修正と確認を繰り返す。


 ブンッ。


 ブンッ。


 木剣が空気を切る音だけが一定のリズムを刻む。


 腕が重くなる。


 肩が張る。


 太腿もじわじわと悲鳴を上げ始める。


 踏み込みのたびに脚へ鉛を巻き付けられたような感覚があった。


 それでも以前より身体は動いていた。


 疲労の中でも姿勢を維持できる。


 踏み込みもぶれない。


 苦しいはずなのに、身体の芯が少しずつ強くなっているのが分かる。


 少しずつだが確実に前へ進んでいる感覚があった。


 森には風の音しかない。


 そのはずだった。


 だが。


 ふと。


 何かを感じた。


 視線。


 そんな気がした。


 ヴァイスは振り返る。


 誰もいない。


 木々だけが揺れている。


「気のせいか」


 再び剣を振る。


 しかし少ししてまた視線を感じる。


 森の奥。


 木の上。


 草むら。


 どこか分からない。


 だが確かに何かいる。


 ヴァイスは剣を止めて目を閉じる。


 呼吸を整える。


 荒くなっていた息をゆっくり落ち着かせる。


 鼓動が耳に響く。


 その音さえ意識の外へ追いやる。


 五感に意識を集中する。


 最近になって妙に鋭くなった感覚だった。


 鳥の羽音。


 虫の羽ばたき。


 風で揺れる葉。


 全てが聞こえる。


 その中に。


 微かな音が混ざっていた。


 もふっ。


「……ん?」


 何だ今の音は。


 聞いたことがない。


 獣でもない。


 鳥でもない。


 首を傾げる。


 その瞬間。


 遠くの木の上で何か白黒のものが動いた。


「あれ?」


 目を凝らす。


 しかし。


 既に姿は消えていた。


「鳥……?」


 違う気がした。


 だが分からない。


 結局。


 ヴァイスは気にしないことにした。


 今は剣の方が大事である。


 再び鍛錬を始めた。


 今度は先ほどよりも集中して。


 視線の正体が分からない以上、隙を見せる気にはなれなかった。


 木剣を握る手に力が入る。


 踏み込み。


 斬撃。


 引き戻し。


 連続して動く。


 疲労で鈍り始めた身体を無理やり動かすのではなく、最小限の力で最大限の速度を出す。


 そんな感覚を探る。


 肩の力を抜き、腰から動きを伝える。


 すると木剣の重さがわずかに軽くなったように感じた。


 しばらく打ち込んだ頃。


 ふと木剣が身体の延長になったような感覚があった。


 ほんの一瞬。


 だが確かに。


 振り抜いた瞬間、力が途切れることなく指先まで流れ、木剣が自然に空間を走った。


「今のは……」


 再現しようとする。


 しかし上手くいかない。


 それでも口元がわずかに緩んだ。


 手応えがあったからだ。


 昨日までよりほんの少しだけ前に進めた。


 そんな確かな実感が胸に残っていた。


 強くなる道は遠い。


 だが進めている。


 そう思えた。


 その頃。


 少し離れた木の上。


 一羽のペンギンが固まっていた。


「危ないところでした……」


 小さく呟く。


 ラドゥエリエルだった。


 丸々とした体を枝の上に預けている。


 本来なら不自然な光景だが、その姿は森の影に溶け込むように静かだった。


「さすがに気配を読まれてしまいましたか……」


 わずかに不安を滲ませる。


 以前にも似たようなことがあった気がする。


 だが、その記憶に手を伸ばそうとすると意識が霞む。


 ラドゥエリエルは静かにヴァイスを見つめた。


 木剣を振る少年。


 汗を流しながら。


 一振りごとにわずかに洗練されていく動き。


 無駄な力を削り。


 身体の使い方を覚え。


 前へ進み続けている。


「本当に変わりませんね」


 どこか懐かしむように呟いた。


 その声は誰にも届かない。


 ヴァイスは知らない。


 この不思議な存在が。


 誰よりも自分を見守ってきたことを。


 もちろん。


 ラドゥエリエル自身も全てを覚えているわけではなかった。


 それでも一つだけ確かなことがある。


 鍛錬を終えた夕方、ヴァイスは村へ戻る。


 帰り道にふと空を見上げた。


 夕焼けが綺麗だった。


「変な感じだな」


 誰に言うでもなく呟く。


 その姿を、遠く離れた空から、一羽のペンギンが静かに見守っていた。

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