第十二話『歌舞伎町かなしきまでに晴れし日を』
冷たいアスファルトの上。散乱する風俗のチラシに囲まれながら、俺は抜け殻のように白目を剥いていた。
みちのくへ向かうための旅費は、これで正真正銘のゼロになった。
子規と放哉は疲労でため息をつき、蕪村は俺を汚物を見るような目で見下ろし、芭蕉の爺さんはあまりのショックでまだガタガタと震えている。
パーティの空気が、歌舞伎町のどん底で最悪に澱みきっていた、その時だった。
「……フッ、嘆かわしい」
突如、俺たちの頭上から、恐ろしくよく通る、美しくも冷酷なバリトンボイスが響いた。
「24時間、ネオンという名の人工の太陽に灼かれ、電子の海で欲望を貪る現代の亡霊ども。これがお前たちの『生』の終着点か」
「……は?」
「誰やねん」
子規と放哉が顔を上げる。俺も薄く目を開けた。
そこには、異様な男がいた。
上半身裸。彫刻のように鍛え上げられた分厚い大胸筋。額に汗を滲ませたその短髪の男は、俺の顔のすぐ横で、なぜか『完璧なフォームで、ゆっくりと深いスクワット』をしながら俺たちを見下ろしていた。
「な、なんだお前! いきなり現れて、なんで歌舞伎町のど真ん中でスクワットしてんだ!」
子規が後ずさる。
「肉体の退廃は、精神の腐敗を招く。私はただ、この虚無に満ちた街の空気に抗うため、鋼の意志で大腿四頭筋を苛め抜いているだけだ」
「ヤバい奴おる!!!」
放哉が叫ぶ。
男はスクワットを終えると、スッと立ち上がり、俺の周りに散らばっている『セクキャバ』や『おっぱぶ』、『パチンコ』の極彩色のチラシを、哀れむような目で見つめた。
「見ろ。機械に運命を委ね、安価な肉欲に魂を売り渡す。第二次大戦移行──経済という名の豚の餌箱に頭を突っ込み、己が餓死していることすら気づかぬ豚どもの、これが残飯だ」
「うぐっ……」
俺の心臓に、謎のマッチョの言葉が鋭利な刃物のようにグサリと突き刺さる。
「ちょっと、なんなのよこの人……! でも、腹筋バキバキで無駄にイケボなんだけど……!」
蕪村が戸惑いながらも、その肉体美に少し頬を染めている。
だが、俺と、子規、放哉の『言葉のプロ』三人は、直感的に気づいていた。
(……この男、ただの筋肉バカじゃない。発する言葉の引力、修辞の美しさ……素人じゃねえ……!)
「私は今、この腐敗した東京で、真に『魂の美しさ』を持つ若者を探している。だが、どこを見渡しても……」
男は俺のボコボコにされた顔を冷たく見下ろした。
「……貴様のような、空虚な抜け殻ばかりだ」
男はそう言い残すと、美しい姿勢のまま、新宿駅の方向へランニングしながら去っていった。
「……なんやったんや、今のヤバいマッチョは」
放哉がポツリと呟く。
「ヒィィ……令和の東京には、朝から半裸で謎の説教をしてくる鬼がおるのじゃな……。もう嫌じゃ……早くみちのくに逃げたいでござるぅ……」
芭蕉の爺さんが、泣きながら俺の服の裾を引っ張った。




