ジャッロ領のご令嬢
キルシュお兄様とネイサンさんの来訪から、さらに一週間経ちました。
今日も今日とて瘴気の浄化へ向かうわけですが、進み具合はかなり順調です。
把握している瘴気の発生場所は残すところあと三か所。
もう少しギリギリまでかかると思っていたので、これは嬉しい誤算です。
今日はその内の一か所――領都近くにある北の農場で発生している瘴気を浄化に向かいます。
ここね、元々は瘴気被害のない場所だったのです。
けれど昨日、新たに瘴気が発生したとの報告がありまして。街に近い場所だったので、予定を変更してこちらの浄化をする事に決めたのです。
精霊の年の四の月は精霊の力が弱まり、瘴気が活性化する月です。なのでこういう事はわりと起こるのですよ。
そのため複数領地の浄化をしている兄妹達は、一つの領地の浄化を終わらせても定期的に様子を見に戻っているのです。
誰も顔には出しませんが、かなり大変なんですよね。
私はまだ一つの領地の浄化で精一杯ですが、いずれは浄化の力の使い方をもっと上達させて、兄弟達の負担を減らせるようにならなければ。
そんな事を考えながら準備を整えていると、ふと、窓の外の空が目に入りました。
「ん?」
北の空に薄っすらと、瘴気の靄が立ち昇っているのが見えました。
おや、と私は目を丸くします。
あの辺りは……これから浄化へ向かう場所です。
しかし、いくらそうであったとしても、あんな風に靄が空へ昇る事はあまりないんですよね。
瘴気が濃いからという雰囲気でもありませんね。そうなると天候の変化によるものでしょう。
窓に近付いて、じっと目を凝らして瘴気の様子を観察します。
……瘴気は渦を巻くように、ゆっくりと空へ昇っているみたい。
こういう風に瘴気の靄が動く時は、天候が荒れる場合がほとんどです。
夕方くらいには嵐がやって来るのではないかと思います。
ただ少し早くなる可能性もあるので、浄化の仕事中に来た時用に対策はしておきましょう。
そう思った私は、鞄から両手の上に乗せられるサイズの小箱を取り出します。
これね、四番目のお兄様が作ってくれた魔術具なんです。
雨と風を防いでくれる魔術障壁を発生させるというもの。
もらってから初めて使うかもしれないので、もちろん嵐が来るのは困りますが、ちょっとだけワクワクしてしまいました。
そんな事を考えながら仕事用鞄に魔術具を入れ直し、私は部屋を出ます。
向かう先は一階のエントランスホール。リーフさんとそこで待ち合わせをしているのです。
リーフさんはいつも、待ち合わせ時間より早く待機してくれているので、今日こそは私が先に……。
「リーフ、リーフ、リーフー! 私が来たのだわー!」
なんて思って急いでいたら、そちらの方向から元気な声が聞こえてきました。
かわいらしいお声の方です。リーフさんのお知り合いのようですね。
予定がある日にリーフさんが別の予定を入れるというのは考えにくいので、たぶん急な訪問なのかなと思いつつ階段を下りて行くと、
「パメラ……連絡をもらっていないが、一体何の用事だい?」
リーフさんのそんな声が聞こえてきました。
階段の途中で足を止めて様子を見ると、リーフさんと二人の女性が向かい合って立っています。
一人はふわふわの金色の髪にハシバミ色の瞳をした少女。
もう一人は動きやすいシュッとした装いの女性です。
少女の方は、直接お会いした事はありませんが、写真でお顔を見た覚えがあります。ジャッロ領の領主の子のパメラさん。歳は私より三つ下の十三歳です。
となると一緒にいる女性は彼女の護衛の方でしょうね。
「だって、この間、遊びに行きたいってお手紙を書いたでしょう? なのにそのお願いのお返事を全然くれないのだもの。だから来ちゃったの」
「機会があればと返しているだろう」
それはやんわりとしたお断りのお返事ですね。
なるほど、なるほど。けれども遊びにですか。精霊の年の四の月に遊びに来るのは難しい……というか、たぶん領主のご両親も許可しないと思うのですが。
「それに四の月は瘴気の対処で忙しいと、君も良く分かっているだろう? ご両親は何と言ったんだ」
そう思っていたらリーフさんが聞いていました。
「……ダメって」
「ダメと言われたのに来たのか……」
リーフさんがこめかみを押さえてため息混じりに言いました。
それから彼は、パメラさんの隣に立つ護衛の女性にも目を遣りましたが、彼女は申し訳なさそうな顔で頭を下げています。
これはどうも、止めても聞かなかったっぽい感じですね。
ただ、精霊の年でなくてもリーフさんが、パメラさんの遊びに来たいというお願いを受け入れる事は、たぶん無いのだろうなと思います。
パメラさんのジャッロ領も、ヴェルデ領へ嫌がらせをしている領地の一つなので、そんな状況で「はい、どうぞ」と許可するのは難しいでしょう。
ですがパメラさん個人の雰囲気だと、リーフさんに対して悪い感情を抱いているようには見えませんね。
「だって、交流して仲良くならないと、婚約が出来ないのよ?」
そう思っていたらそんな発言が飛び出しました。
婚約……!
なるほど、そういうお話でしたか。それならばパメラさんのこの態度も頷けます。
「君と婚約するつもりはないと、何度も伝えているが?」
しかしリーフさんはそうでもないようです。
彼にしては珍しくうんざりとした声でそう返していました。
するとパメラさんはきょとんとした顔になります。
「どうして? 私、リーフの事が大好きよ? リーフも私の事が好きでしょう? 相思相愛だわ!」
「あくまで友人としてだよ、パメラ。そういう意味の好きじゃない」
「まあ! 照れているのね!」
「いや、違……」
「それにリーフはヴェルデ領の事を大事に思っているでしょう? お父様もお母様もお兄様も、リーフと婚約すれば、ジャッロ領とヴェルデ領とはもーっと助け合って上手くやれるって言っていたわ。だからリーフも私と婚約したいはずだって!」
「…………」
リーフさんが頭を抱えてしまいました。
なるほど、何となく事情は理解出来ました。
パメラさんがリーフさんに対して、普通に好意を抱いているのは間違いないでしょう。
しかし、彼女のご家族には別の思惑がある。
リーフさんとパメラさんを婚約させて、ヴェルデ領を自分達の思う通りにしよう……なんて思っているのではないでしょうか。
「うわぁ……」
思わず声が出てしまいした。
め、面倒な状況になっていますね、リーフさん……。
シンプルに悪意をぶつけて来たセッピア領よりも、ジャッロ領の方が厄介度は上かもしれません。
セッピア領からは圧力と嫌がらせ。
ジャッロ領からは政略結婚と嫌がらせ。
……よく耐えていますよ、彼は。
「リーフさん、お待たせしました」
さすがに見かねて声をかけました。
するとリーフさんは、はっとこちらへ顔を向けて安堵の表情を浮かべます。お疲れ様です、という意味を込めて笑い返しました。
「ミモザ様……」
「ミモザ様?」
リーフさんの呟きを聞いて、パメラさんが目をぱちぱちと瞬きました。
目が合うと、彼女はにこっと笑顔を浮かべて、
「初めまして、ミモザ様! ジャッロ領のパメラと申しますっ」
と、スカートの裾を摘まんで挨拶をしてくれました。ちゃんと習った綺麗なカーテシーですね。
ネイサンさんと会った時と比べると、嫌な感じもしないので、ちょっとだけ好印象です。
「初めまして、パメラさん。ミモザです。急なご訪問のようですが、今日はどうなさったのですか?」
「リーフに会いに来たんですの! ネイサンが遊びに来ていたって聞いたから!」
挨拶の流れで訪問理由を一応質問してみると、パメラさんからは元気なお答えが返ってきました。
ネイサンさんがやって来た事については特に隠してはいませんが、耳が早いですね。
「遊びに来られるなら、瘴気の浄化はもう終わったって事でしょう? だから来ちゃった!」
「あいつは遊びに来たわけじゃないよ。それに瘴気の浄化はひと月をかけて行うものだ。今も続いているよ」
「あら! だってダリア様はずっと前に浄化を終えて、次の領地へ向かったわよ?」
するとパメラさんは不思議そうに首を傾げました。
うーん、さすがダリアお姉様、お早いですね!
キルシュお兄様に次いで浄化の力が強いのがダリアお姉様なんですよ。
「そうですねぇ。ですがそれはいったん終わった、というものですよ」
「いったんですか?」
「はい。このひと月の間は、瘴気が活性化していますからね。浄化が終わっても、また発生する可能性があるのです。ですからダリアお姉様も、様子を見るためにまた戻って来ますよ」
「そう……なんですの。知りませんでしたわ……」
パメラさんは目を丸くして驚いていました。
この辺りの事を領主ご夫妻や教育を担当する方は、まだ彼女に説明をしていないみたいですね。
確認する意味を込めて護衛の方を見たら、彼女は弱り切った顔で「申し訳ありません……」と何度も頭を下げていました。
これはちょっとパメラさんがかわいそうですね……。
教えるべき事を教えていない、止めるべき時に止められない。
彼女を取り巻く環境がこの状態ですと、いずれ大きな問題を起こして、パメラさん自身が酷く傷ついてしまうかもしれません。
ヴェルデ領への嫌がらせについての対処もそうですが、ここに関しても領主に伝えた方が良さそうです。
そんな事を考えていると、
「そう……そうね。ミモザ様もまだいらっしゃるものね。なら、やっぱり来て正解だったわね、ジェナ!」
パメラさんが少し興奮した様子で護衛の女性にそう言いました。
ジェナさんというお名前なのですね、覚えました。
「あ、あの、パメラ様……落ち着きましょう……!」
「落ち着いていられないわ! だってお役に立てるもの!」
お役に立てる?
意図が分からない言葉に私とリーフさんが顔を見合わせていると、
「瘴気の浄化をお手伝いしますわっ! 私の作った魔術具で!」
パメラさんは両手でぐっと拳を作ってそう言ったのでした。




