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転生研究者の異世界魔法論 ――魔法を科学したら最強になった件――  作者: 夜透


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96/114

憎悪の芽

第96話「憎悪の芽」をお届けします。

大切なものを失ったアルは、これまでにない感情を抱え始めます。

悲しみ、悔しさ、そして少しずつ形を変えていく怒り。

研究者として未知を追い続けてきたアルにとって、それは今まで経験したことのない感情でした。

今回は、アルの内面に大きな変化が生まれていく回です。

ぜひ最後までお付き合いいただければ幸いです。


 父が死んだ。

 母も死んだ。

 マリアも死んだ。

 その事実を聞かされてから。

 アルは、ほとんど眠らなくなった。

     

 部屋に戻ったアルは、ベッドの端に座っていた。

 何をするでもない。

 ただ、俯いている。

 窓の外では、夕暮れが終わろうとしていた。

 普段なら、この時間には研究記録を整理している。

 今日の魔力の変化。

 新しく分かったこと。

 次に試すこと。

 いつものように考えればいい。

 そう思った。

 だが。

 紙を前にしても、何も書けなかった。

「……」

 ペンを握る。

 けれど、手が動かない。

 頭の中に浮かぶのは。

 父。

 母。

 マリア。

 そして。

 黒いローブ。

「……黒ローブ」

 アルが呟いた。

 魔人族領。

 エルフの里。

 精霊石。

 黒魔石。

 魔物を操っていた黒ローブ。

 そして。

 王都の襲撃。

「……全部、繋がってる」

 まだ証拠はない。

 それでも。

 偶然だとは思えなかった。

「……あいつらが」

 胸の奥が、僅かに痛む。

「父さんを……」

 そこまで言って、言葉が止まる。

 涙は出なかった。

 ただ。

 拳だけが強く握られた。

     

 次の日。

 朝になっても、アルは部屋から出なかった。

「アル様」

 扉の向こうから、リリアの声がする。

「朝食をお持ちしました」

「……いらない」

「少しだけでも」

「いらない」

 返事は、それだけだった。

 しばらくして。

「……分かりました」

 足音が遠ざかる。

 アルは天井を見つめた。

 眠れない。

 食べる気にもならない。

 何をしても。

 頭の中に両親の姿が浮かぶ。

 父が剣を振る姿。

 母が笑う姿。

 マリアが呆れたように自分を叱る声。

「……なんで」

 アルは目を閉じた。

「なんで、俺はここにいるんだ」

 自分だけが生きている。

 それが。

 妙に苦しかった。

     

 また次の日。

 机の上の、集めてきた資料を眺めている。

 黒魔石。

 精霊石。

 魔力。

 生命力。

 魔法陣。

 これまで調べてきたもの。

「……」

 アルは一枚の紙を手に取った。

 黒魔石の性質。

 生命力を奪い、その力を蓄える。

 魔人族領で見た光景が蘇る。

 倒れていた魔人族。

 奪われた生命。

 黒魔石へ変換されていく力。

「……あいつらは」

 アルの声が低くなる。

「命を……材料にした」

 そして。

 その黒魔石を使っていた。

 精霊石と組み合わせようとしていた。

 エルフの里を襲った。

 魔人族領を襲った。

 そして。

 王都を襲った。

「……全部、同じ連中だ」

 アルの中で。

 点が繋がっていく。

 今までなら。

 そこから冷静に仮説を立てていた。

 証拠を集める。

 検証する。

 原因を突き止める。

 けれど。

 今は違った。

「……許せない」

 初めて。

 その言葉が口から出た。

     

 悲報を聞いてから四日ほど経った。

 アルは黒魔石について、さらに調べ始めた。

 魔力の蓄積。

 生命力との関係。

 魔法陣による変換。

 精霊石との反応。

 紙の上に、いくつもの仮説を書き込んでいく。

 だが。

 途中で手が止まった。

「……これを」

 黒魔石の性質を逆に利用すれば。

 生命力を奪う力を。

 もっと大きくすれば。

 もっと効率よく。

 もっと広い範囲へ。

「……」

 アルは自分の書いた文字を見つめた。

 そこにあったのは。

 研究ではなかった。

 復讐のための発想だった。

「……教会」

 黒ローブ。

 その背後にいる存在。

 何らかの形で教会と繋がっている。

 ならば。

「教会を……」

 壊す。

 黒ローブだけではない。

 彼らを生み出した場所。

 彼らを支える思想。

 彼らを守る人間。

 全部。

「……全部、なくせばいい」

 アルの目から光が消えていく。

     

「アル」

 その日の夕方。

 部屋へ入ってきたのは、エルシアだった。

 アルは机に向かったまま、顔を上げない。

「……何?」

「ご飯」

「いらない」

「昨日も食べてないよ」

「……食べる気になれない」

 エルシアは何も言わなかった。

 ただ。

 アルの隣へ椅子を持ってきて座った。

「……何してるの?」

「いるだけ」

「……」

「アルが嫌なら、話さない」

 アルは黙っていた。

 しばらくして。

「……俺は」

 ぽつりと口を開く。

「父さんも、母さんも、マリアさんも守れなかった」

「……」

「俺は、何も知らなかった」

「……うん」

「もっと早く分かっていれば」

「……うん」

「黒ローブたちのことも」

「……うん」

「黒魔石のことも」

「……うん」

 アルの声が震える。

「全部、分かっていれば……」

「アル」

 エルシアが静かに呼んだ。

「それは、アルのせいじゃないよ」

「……違う」

「違わない」

「俺がもっと強ければ」

「それでも」

 エルシアはアルを見る。

「全部を防げたとは限らないよ」

「……」

「だから、自分を責めないで」

 アルは俯いた。

「……じゃあ、どうすればいい?」

 その声は。

 研究者としてのアルではなかった。

 ただ。

 大切なものを失った、一人の人間の声だった。

「……分からない」

 エルシアも答えを持っていない。

 だから。

「じゃあ、今は分からなくてもいいよ」

 そう言った。

「私はここにいるから」

「……」

「何も話さなくてもいい」

「怒っててもいい」

「泣いてもいい」

「何もできなくてもいい」

 エルシアは、そっとアルの手に自分の手を重ねた。

「一人にはしないから」

 アルの指が僅かに動いた。

     

 翌日。

 久しぶりに自室を出た。

 アルは食堂でほんの少しだけ食事を取った。

 そこには皆もいたが、目も合わせず言葉を交わすこともなかった。

 黒ローブへの憎しみは、日を追うごとに強くなっていた。

 それは、むしろ。

 日に日に強くなっていた。

「……絶対に、見つける」

 アルは呟く。

「黒ローブを」

 その言葉を。

 食堂にいたガレスが聞いていた。

「復讐するつもりか?」

「……そうだ」

 アルは答えた。

「奴らを止める」

「違うな」

 ガレスは静かに言った。

「お前の目には……殺意がある」

「……」

「殺すつもりだろ」

 アルは答えなかった。

 それが答えだった。

「気持ちは分かるがな」

 ガレスは、自分の失った腕へ一瞬だけ視線を落とす。

「俺だって、あいつらを許すつもりはない」

「だったら――」

「だが」

 ガレスが遮る。

「復讐だけを目的にしたら、お前は自分まで殺すぞ」

「……死ぬつもりはないよ」

 アルが呟いた。

「そういう生死の話じゃねえ」

「……」

アルは何も言わずに自室に戻った。

     

 次の日。

 イザベラもアルの部屋を訪れた。

「アル」

「……何?」

「私は、あなたが何を考えているか分かっているつもりよ」

「……」

「だから、一つだけ言わせて」

 イザベラはアルの目を見る。

「魔法を使うことと、怒りをぶつけることは違う」

「……」

「魔法は、あなたの感情だけで使うものじゃない」

 アルは黙っていた。

「あなたは今まで、魔法を理解しようとしてきた」

「観察して」

「考えて」

「確かめて」

「……うん」

「だったら、今の自分自身も観察してみなさい」

 アルは顔を上げた。

「……自分を?」

「そう」

「今のあなたが何を感じているのか」

「何を恐れているのか」

「何を失ったと思っているのか」

 イザベラは静かに言った。

「怒りだけを見ていたら、その奥にあるものを見失うわ」

 アルは何も答えなかった。

     ◇

 その夜。

 アルは一人で庭へ出た。

 空には星が出ている。

 風が吹く。

 木々が揺れる。

 以前なら。

 この景色を見ただけで、精霊の存在を感じただろう。

 けれど今は。

「……」

 何も考えたくなかった。

 すると。

 小さな風が。

 アルの頬を撫でた。

「……精霊?」

 かすかな気配。

 いつものように。

 そっと触れてくる。

 だが。

「……今は、やめて」

 アルは目を閉じた。

「俺は……」

 声が震える。

「今、優しくされたら……」

 そこで言葉が止まった。

 涙が。

 一滴だけ落ちた。

「……壊れそうだから」

 背後から。

 足音がした。

 振り返らなくても分かる。

「……エルシア?」

「うん」

 エルシアはアルの隣へ来た。

 何も聞かない。

 何も言わない。

 ただ。

 隣に立つ。

「……俺」

 アルは空を見上げた。

「父さんに、もう一度会いたい」

「うん」

「母さんにも」

「うん」

「マリアさんにも……」

 声が震える。

「でも、もう……会えない」

「……うん」

「だったら……」

 拳を握る。

「奪った奴らを、全部壊してしまえばいいって……思った」

 エルシアはアルの手を握った。

「……うん」

「怖くないの?」

「怖いよ」

「俺が……おかしくなっても?」

「ううん」

 エルシアは首を振った。

「アルは変わったんじゃない」

「……」

「苦しいだけだよ」

 アルの目から、また涙が落ちた。

「だから」

 エルシアは静かに続ける。

「苦しいままでいい」

「でも、一人で苦しまないで」

 アルは答えなかった。

 ただ。

 握られた手を。

 ほんの少しだけ握り返した。

     ◇

 七日ほど経った頃。

 アルはまだ自室に籠っていた。

 机の上には、これまでの記録が並んでいる。

 黒魔石。

 精霊石。

 魔人族。

 黒ローブ。

 教会。

 王都。

 そして。

 父と母とマリア。

 すべてが並んでいる。

 アルは一枚ずつ見つめた。

 復讐したい。

 黒ローブを許せない。

 教会も。

 奴らを支えるものも。

 全部壊したい。

 その感情は。

 まだ消えていない。

 けれど。

「……」

 エルシアの言葉を思い出す。

 ガレスの言葉。

 イザベラの言葉。

 リリアの優しさ。

 レオナルトの沈黙。

 セバスティアンの謝罪。

 フィオナの心配そうな顔。

 誰も。

 アルを見捨てなかった。

「……俺は」

 アルは胸に手を当てた。

「何をしたいんだろう」

 復讐なのか。

 それとも。

 守ることなのか。

 まだ。

 答えは出ない。

 ただ。

 少なくとも。

 黒い感情だけに身を任せることは。

 少しだけ怖くなっていた。

 その時。

 屋敷の外から、馬の音が響いた。

「……?」

 アルが顔を上げる。

 廊下が騒がしくなる。

 誰かが走ってくる。

 そして。

 扉の向こうから声が響いた。

「アル様!」

「王都から、使者が参りました!」

 アルは立ち上がった。

 胸の奥に残る憎悪を抱えたまま。

 新たな現実が。

 静かに。

 動き始めていた。


第96話を読んでいただき、ありがとうございました。

今回は、アルが大きな喪失を経験し、その中で少しずつ心を変化させていくお話でした。

これまで「知りたい」「理解したい」という気持ちを原動力にしてきたアルですが、今回ばかりは、知識だけでは整理できない感情に向き合うことになります。

アル自身がどうなっていくのか。

そして、彼のそばにいる仲間たちはどう向き合うのか。

次回も引き続き読んでいただけましたら嬉しいです。

今後ともよろしくお願いいたします。


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