神の石
第91話をお届けします。
新たな王が誕生した、その夜。
王宮の静かな一室で、ルクセリアが報告する相手とは――。
そして、教皇アルベリクが手にしていたものとは。
今回も楽しんでいただけましたら幸いです。
――その日の夜。
王宮の一室。
明かりは最低限しか灯されていなかった。
窓の外には、静まり返った王都が広がっている。
その部屋の中央で。
ルクセリアは、深く膝をついていた。
「……ご報告いたします」
目の前にいるのは。
一人の男だった。
白を基調とした聖職者の衣。
整えられた髪。
穏やかな表情。
その姿だけを見れば、どこにでもいる高位の聖職者に見える。
だが。
その男こそ。
星環教の頂点に立つ存在。
教皇アルベリク十三世だった。
「王都は、完全に掌握いたしました」
ルクセリアが報告する。
「旧王家は崩壊」
「王子についても、王位継承権を剥奪した上で拘束しております」
「そして、本日――」
一度、言葉を切る。
「私が、新たな王として即位いたしました」
アルベリクは、しばらく何も言わなかった。
ただ。
静かにルクセリアを見つめている。
「……そうですか」
穏やかな声だった。
「よくやりましたね」
「ありがとうございます。教皇様」
ルクセリアは頭を下げる。
王冠を手にしたばかりの男が。
一人の聖職者の前で、深く頭を垂れている。
そこには。
王としての威厳など、微塵もなかった。
「これで王国は、教皇様の望む形へ――」
「いいえ」
アルベリクが静かに遮った。
「まだです」
ルクセリアが顔を上げる。
「……まだ?」
「王になったことなど、過程に過ぎません」
アルベリクは窓の外へ視線を向けた。
「民は王を見ます」
「ですが、王を動かす者までは見ない」
ルクセリアは黙って聞いている。
「あなたには王になってもらいました」
「ですが――」
アルベリクが振り返る。
「この国が、誰の意思によって動くのか」
その目に。
初めて、奇妙な光が宿った。
「それは、別の話です」
ルクセリアは再び頭を下げた。
「……承知しております」
「私は、教皇様の御心のままに」
アルベリクは満足そうに微笑んだ。
「それでいいのです」
そして。
その手を、ゆっくりと持ち上げる。
手のひらには。
一つの石があった。
拳より少し大きいほどの石。
黒い。
だが、その内部には淡い光が流れている。
まるで。
闇の中に、光が閉じ込められているようだった。
「これが……」
ルクセリアの目が見開かれる。
アルベリクは静かに答えた。
「黒魔石と精霊石」
「異なる性質を持つ二つの石を組み合わせることで、ようやく完成しました」
「エルフの里から持ち帰った精霊石を使い、研究を続けた結果です」
「これは神から授けられたもの――いわば、神の石です」
ルクセリアは石を見つめる。
「これがあれば……」
「ええ」
アルベリクは頷いた。
「私は、老いません」
「寿命によって死ぬこともない」
「そして、傷ついたとしても――」
アルベリクは自らの手の甲に、爪を立てた。
皮膚が裂ける。
だが。
次の瞬間。
傷は、何事もなかったかのように消えていった。
ルクセリアが息を呑む。
「……不死」
「正確には、不老不死という言葉が近いでしょう」
アルベリクは自分の手を眺める。
「以前の私は、死を恐れていました」
「誰もがそうでしょう」
「どれほど権力を持っていても」
「どれほど知識を持っていても」
「人間である以上、最後には死ぬ」
そこで。
アルベリクは小さく笑った。
「……ですが」
その声には。
以前とは違う響きがあった。
「死ななくなってみると、考え方も変わるものですね」
「百年」
「千年」
「一万年」
「時間が、私を追い越していく」
「国が生まれ」
「国が滅び」
「人が生まれ」
「そして、死んでいく」
アルベリクは、淡い光を宿した神の石を見つめる。
「そのすべてを」
「私は見届けることができる」
ルクセリアは黙っていた。
「……教皇様」
「何です?」
「まるで……」
ルクセリアは言葉を選ぶ。
「神のようです」
その言葉を聞いた瞬間。
アルベリクの口元が、わずかに緩んだ。
「……神」
小さく呟く。
「そうですね」
その表情は穏やかだった。
だからこそ。
不気味だった。
「以前ならば、そんな言葉を口にする者を戒めていたでしょう」
「人は神ではない」
「そう教えてきましたから」
アルベリクは融合石を握る。
「ですが……」
目を閉じる。
「死なない身体を得た今」
「果たして、人間と神を分けるものは何なのでしょうね?」
ルクセリアは答えられない。
「傷ついても蘇る」
「老いることもない」
「何百年経とうとも、この姿のまま存在し続ける」
「それを見た人々は、いずれ何と呼ぶでしょう」
アルベリクは微笑んだ。
「奇跡」
「神の御業」
「あるいは――」
一瞬。
瞳の奥に、歪んだ光が浮かぶ。
「神、そのもの」
ルクセリアの背筋に、冷たいものが走った。
「……教皇様は」
「……神になると?」
「違います」
アルベリクは静かに首を振った。
「神になるのではありません」
「この身体を得たことで、人々が私を神と呼ぶ日が来る」
「そういうことなのでしょう」
その言葉には。
疑いがなかった。
信仰でもない。
願望ですらない。
それは。
すでに本人の中で、確信へと変わりつつあった。
「王国は、そのための最初の一歩です」
「あなたが王になる」
「私が神として、その王を導く」
「そして人々は、王の背後にある教会を見る」
アルベリクは窓の外を眺める。
「やがて」
「王国そのものが、私たちの手の中に入る」
ルクセリアは深く頭を下げた。
「……すべて、教皇様の御心のままに」
「ええ」
アルベリクは答える。
「そして、その先には――」
視線を遠くへ向ける。
「この大陸があります」
「王国一つで満足する必要など、ありません」
静かな声だった。
だが。
その言葉の奥には。
底の見えない欲望があった。
「すべての国が、同じ教えを信じる」
「すべての民が、同じ神を仰ぐ」
「そして、その神の意思を理解する者が――」
アルベリクは自分自身を指すように、胸へ手を当てた。
「世界を導くのです」
ルクセリアは深く頭を垂れた。
「……はい」
「私は、教皇様に従います」
アルベリクは微笑んだ。
「それでいい」
その夜。
王国には、新たな王が誕生した。
だが。
王冠を被った者が、真に国を支配するとは限らない。
王の前に。
さらに上位の意思が存在していた。
そしてその男は。
自らを神だと、信じ始めていた。
星環教の教皇。
アルベリク十三世。
彼の手にある神の石は。
その歪んだ確信を支える、唯一の証だった。
「……ついに」
誰もいない部屋で。
アルベリクは静かに呟いた。
「王国を手に入れた」
「そして――」
淡い光を宿した神の石を見つめる。
「いずれこの大陸も……」
その口元に。
穏やかな笑みが浮かんだ。
「……まだ、始まったばかりだ」
第91話を読んでいただき、ありがとうございました。
今回は、王都で起きた政変の裏側と、教皇アルベリクの思惑を描きました。
新たな王が誕生した一方で、その背後では別の意思が動いています。
そして、アルたちがこれまで追ってきた黒魔石と精霊石にも、新たな変化が生まれました。
ここから物語が、また少しずつ大きく動いていきます。
次回もよろしくお願いいたします。




