龍血
第77話「龍血」をお届けします。
傷ついたアルを救うため、龍王が提示した一つの方法。
それは、龍王自身の血を使うことでした。
果たしてアルの身体には、どのような変化が起こるのか。
今回も楽しんでいただけましたら幸いです。
巨大な空間に、静かな時間が流れていた。
エルシアはアルを抱いたまま、龍王と向かい合っている。
目の前にいる存在は、あまりにも巨大だった。
その視線が、再びアルへ向けられる。
「……その者を助けたいのだな」
「……うん」
エルシアは小さく頷いた。
「このままじゃ……アルが死んじゃう……」
「そうだな」
龍王は静かに答えた。
「この傷では、長くはもたぬ」
その言葉に、エルシアの腕へ力が入る。
「……助けられる?」
龍王はすぐには答えなかった。
巨大な瞳が、アルの身体を見つめている。
「方法がないわけではない」
「……本当?」
「ああ」
エルシアの表情に、わずかな希望が浮かぶ。
「なら……お願い」
「待て」
龍王の声が低く響いた。
「ただ治すという話ではない」
エルシアは顔を上げる。
「どういうこと?」
「我の血を使う」
「……血?」
「そうだ」
龍王は自らの前脚をわずかに動かした。
「我ら龍族は、強い生命力がを持っている」
「その強い生命力を血という形で傷口へ与えれば、その者の生命を繋ぎ止めることは、おそらくできるだろう」
「なら……!」
エルシアが身を乗り出す。
「すぐにお願い!」
「まだ話は終わっておらぬ」
その一言で、エルシアは口を閉じた。
「我の血は、ただの薬ではない」
「そなたら人族や獣人族の身体に流れるものとは、性質が違う」
龍王の視線が、アルへ向けられる。
「その者の身体に入れば、傷を塞ぐだけでは済まぬだろう」
「……え?」
「身体そのものが、我の血への激しい反応を示すであろう」
エルシアの顔から、希望が消えていく。
「おそらく、我の血で体そのものが作り変えられるであろう」
「身体が……?」
「どんな風に?」
「人族ではなくなるだろうな」
「……人族じゃなくなる?」
「ああ」
龍王は静かに答えた。
「我の血が、この者を我ら龍族に連なる存在へと変えるであろう」
「ただ――」
「絶対ではない。身体が耐えられなければ無駄に終わるかもしれん」
一瞬、龍王の瞳が細められる。
エルシアはアルを見る。
目を閉じたまま、弱々しく呼吸をしている。
「無駄に終わるっていうことは……」
その続きをエルシアは息をのんで続ける。
「……死ぬ可能性もあるの?」
「ある」
即答だった。
エルシアの身体が強張る。
「……そんな……」
声が震えた。
「それでも、何もしなかったらアルは……」
「長くはもたぬだろうな」
龍王の言葉に、エルシアは唇を噛んだ。
治療を受けても死ぬかもしれない。
何もしなくても死ぬ。
選択肢は、ほとんど残されていなかった。
「……アル」
エルシアは腕の中のアルを見る。
「聞こえてる?」
返事はない。
「アル」
もう一度呼ぶ。
「龍王様の血を使えば……助かるかもしれない」
「でも……危険もあるって……」
アルの瞼が、ほんのわずかに動いた。
「……助かる……?」
かすかな声。
「アル!」
エルシアが顔を近づける。
「聞こえてる?」
「……うん」
ほとんど消えそうな声だった。
「龍王様の血を使えば……助かるかもしれない」
「でも……危険も……あるって……」
「うん」
「……死んじゃうかも……しれないって……」
エルシアは震える声でアルに説明した。
アルはしばらく黙っていた。
意識が遠のいていく。
身体が冷たい。
息をするたび、胸の奥が痛む。
頭がうまく働かない。
それでも。
その言葉だけは、はっきりと聞こえた。
――死ぬ。
死にたくない。
まだ。
何も分かっていない。
この世界のことも。
魔法のことも。
精霊のことも。
自分自身のことだって。
まだ、何も。
(……ここで……死ねない)
前世では、病気の身体に何度も限界を感じてきた。
研究したかった。
もっと知りたかった。
もっと見たかった。
もっと、世界を理解したかった。
その願いを抱えたまま死んだ。
だからこそ。
今度こそは。
(……まだ……死ねない)
アルは僅かに目を開いた。
「……いいよ」
「アル……?」
「……やって」
「でも……!」
「……ここで死ねないから」
その声には、これまでにないほど強い意志があった。
「……お願い」
龍王はアルを見つめた。
「本当に、それでよいのだな?」
「うん」
ほとんど間を置かない返事だった。
「……二つ返事だな」
龍王の声に、僅かな笑みが混じる。
エルシアはアルを抱きしめる。
「……絶対に、助かって」
「……うん」
アルの声は、もうほとんど聞こえなかった。
龍王が静かに前脚を持ち上げる。
鋭い爪の先が、自らの鱗へ触れた。
ほんの僅かに傷が開く。
そこから。
一滴。
赤くもあり、どこか淡い銀色の光を帯びた液体が落ちた。
それは空中をゆっくりと落下し――。
アルの胸の傷口へ触れた。
瞬間。
「――っ!」
アルの身体が大きく跳ねた。
「アル!」
エルシアが叫ぶ。
傷口から、光が走った。
血管を辿るように。
胸から肩へ。
肩から腕へ。
さらに全身へ。
「――ぐっ……!」
アルの身体が震える。
「な、に……これ……」
意識が急速に覚醒していく。
痛い。
今まで感じたことのない痛みだった。
傷が痛いのではない。
身体そのものが痛い。
骨が軋む。
筋肉が引きつる。
血液が沸騰しているような感覚が全身を駆け巡る。
「アル!」
「触るな!」
龍王の声が響く。
「今は身体の変化が始まっている!」
「変化……?」
アルは息を荒くする。
「身体が……焼ける……」
言葉が途切れる。
骨の奥で何かが軋んだ。
「――ああああっ!」
叫び声が洞窟へ響き渡る。
エルシアが涙を浮かべる。
「アル……!」
しかし、アルの身体の中ではさらに変化が進んでいた。
皮膚の下を走る熱。
血液の流れ。
細胞の一つ一つが、別の何かへ変わっていくような感覚。
心臓が大きく鼓動する。
一度。
二度。
三度。
そのたびに、身体の奥から新しい力が湧き上がってくる。
「……ぐっ……!」
アルは歯を食いしばった。
怖い。
何が起きているのか分からない。
今までなら、未知の現象ほど冷静に観察しようとした。
だが。
今だけは違った。
観察する余裕などない。
自分自身が。
未知の現象そのものになっている。
「――っ!」
背中が大きく反る。
「アル!」
エルシアの声が遠くなる。
身体の奥深くで、何かが切り替わった。
血が変わる。
骨が変わる。
筋肉が変わる。
そして――。
生命そのものが。
別の形へと変わろうとしていた。
「――ああああああっ!」
アルの絶叫が、祠の奥深くまで響き渡る。
龍王は静かにその姿を見つめていた。
「……始まったか」
その言葉を最後に。
アルの意識は、痛みの中へ沈んでいった。
第77話を読んでいただき、ありがとうございました。
今回は、アルにとって大きな転機となる「龍血」のお話でした。
龍王の血によって、アルの身体にはこれまでとは異なる変化が始まります。
ここからしばらくは、アル自身もその変化を研究することになります。
これまで積み重ねてきた「魔法を知る」という物語に加えて、今度は「自分自身の身体を知る」という新たな研究が始まります。
次回もよろしくお願いいたします。




