龍王
第76話「龍王」です。
祠の奥で待っていた、圧倒的な存在。
アルを救うため、エルシアはその存在の前へ進みます。
そして、二人の前に姿を現したのは――。
今回も楽しんでいただけましたら嬉しいです。
祠の奥から漂う気配に、エルシアは身構えた。
全身の感覚を研ぎ澄ます。
目の前にいる存在が何者なのか。
それすら分からない。
ただ、その気配だけで分かる。
強い。
今まで出会ったどんな相手とも比べられないほどに。
エルシアはアルを庇うように立ち、奥を睨みつけた。
「……誰?」
もう一度、問いかける。
しばらくの沈黙。
やがて――。
「……そなた」
低く、重い声が響いた。
「フェンリルの血を引くものか?」
「……!」
エルシアの耳がぴくりと動く。
なぜ、その名を知っている。
警戒を強めながら、エルシアは答えた。
「……母を知っているの?」
「母……?」
奥から、わずかに声の調子が変わる。
「そうか」
そして――。
「フェンリルの子か」
その言葉と同時に、張り詰めていた空気がわずかに和らいだ。
エルシアは戸惑う。
先ほどまで祠全体を押し潰すようだった気配が、ほんの少しだけ穏やかになっている。
「……母と、知り合いなの?」
「古い付き合いだ」
短い答えだった。
それ以上を語るつもりはないらしい。
だが、エルシアにはそれだけで十分だった。
この存在は、少なくともフェンリルを敵として見てはいない。
それでも警戒は解けない。
アルはまだ動けない。
もし、この存在が敵だったら。
自分が守らなければならない。
そんなエルシアの考えを見透かしたように、奥から声が響いた。
「……そう身構えるな」
「我は、そなたらに敵意があるわけではない」
エルシアは答えない。
ただ、アルの前から動かなかった。
「それよりも――」
声の主が、アルへ意識を向ける。
「もう一つの気配があるな」
エルシアが振り返る。
そこには、弱々しく横たわるアルがいた。
「……アル?」
「今にも消えそうな弱々しい気配だ」
その言葉に、エルシアの胸が締め付けられる。
「魔物から逃げてきて……大怪我をしているの」
奥から、しばらく沈黙が返ってきた。
そして――。
「……妙だな」
「……?」
「その者の気配に、懐かしさを感じる」
エルシアは目を見開いた。
「……懐かしい?」
「ああ」
低い声には、僅かな戸惑いが混じっていた。
「遠い昔に似たような気配を……」
エルシアはアルを見る。
アルは目を閉じたまま、かすかな呼吸を繰り返している。
「この人を……助けられる?」
「……まずは事情を聞こう」
声が響く。
「そなたらが何故ここへ来たのか」
「何があったのか」
「その者が何故、今にも消えそうなほど弱っているのか」
そして――。
「我のいる場所へ来るがよい」
エルシアは黙り込んだ。
祠の奥。
そこには、先ほどから感じ続けている圧倒的な気配がある。
行けば危険かもしれない。
けれど、アルをこのままにしておくこともできない。
エルシアはアルの顔を見る。
「……分かった」
立ち上がり、アルを抱き上げる。
その身体は驚くほど軽く感じられた。
「ただし――」
エルシアは奥へ向かって言う。
「アルに何かしたら、許さないから」
しばらく沈黙した後。
「……ふっ」
低い声が、僅かに笑ったように聞こえた。
「なに、取って食おうという事ではない」
「安心して来るがよい」
その言葉にも、エルシアは警戒を解かなかった。
「……分かった」
アルを抱えたまま、祠の奥へ歩き出す。
暗闇の中を進む。
少しずつ。
祠の奥へ。
進むほどに、あの気配が強くなる。
エルシアの身体が本能的に強張った。
怖い。
今まで感じたことのないほどの恐怖。
それでも。
アルが助かる可能性が少しでもあるのなら。
エルシアは恐怖に抗い奥に進む。
守るべき人のために。
「……エルシア……」
「アル?」
腕の中から、かすかな声が聞こえた。
エルシアは足を止める。
アルの目が、ほんの少しだけ開いている。
「……どこ……?」
「大丈夫」
エルシアは優しく答える。
「今、祠の奥に向かってるの」
「……そっか……」
アルは再び目を閉じる。
そして、また意識が遠のいていく。
「アル……!」
エルシアは不安に駆られる。
「頑張って……」
自分に言い聞かせるように呟いた。
やがて。
暗闇の先に、淡い光が見えた。
「……光?」
エルシアは目を細める。
一歩。
また一歩。
光へ近づいていく。
そして――。
「……っ」
エルシアの足が止まった。
目の前に広がっていたのは、巨大な空間だった。
天井は遥か高く。
岩壁は淡い光に照らされている。
その中央に――。
何かがいる。
巨大な身体。
白銀に輝く鱗。
それは光を受けながらも、
過度に鋭さを主張することなく、
まるで磨き上げられた鎧のような重厚さを放っていた。
巨大な翼が、静かに折り畳まれている。
頭部から伸びる二本の角。
そして――。
こちらを見つめる、鋭くも静かな瞳。
その身体だけで、この空間のすべてを支配している。
エルシアは息を呑んだ。
「……ドラゴン……」
言葉が、自然と口から漏れる。
これほど巨大な生物を、エルシアは見たことがない。
ただ大きいだけではない。
そこに存在しているだけで、身体の奥底から恐怖が湧き上がってくる。
それなのに。
その姿には、どこか神聖さすら感じられた。
長い年月を生き。
幾つもの時代を見届けてきた者だけが持つ、圧倒的な威厳。
エルシアは思わず息を止めた。
そして、その巨大な瞳が――。
ゆっくりとアルへ向けられた。
「……やはり」
低い声が、巨大な空間へ響き渡る。
「懐かしい気配だ」
エルシアはアルを抱く腕に力を込めた。
目の前にいる存在が何者なのか。
まだ、エルシアには分からない。
だが――。
この出会いが、アルの運命を大きく変えることになる。
第76話「龍王」を読んでいただき、ありがとうございました。
今回は、ついに龍王が登場しました。
アルの負傷という危機的な状況の中で出会った、古き龍。
そして、龍王がアルに感じた「懐かしい気配」とは――。
ここからアルたちの物語が、また大きく動き始めます。
次回もよろしくお願いいたします。




