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転生研究者の異世界魔法論 ――魔法を科学したら最強になった件――  作者: 夜透


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75/117

祠 

第75話「祠」です。

魔物の群れから逃れたアルとエルシア。

傷ついたアルを抱え、エルシアが辿り着いた場所には、一つの古い祠がありました。

そして、その奥には――。

今回も楽しんでいただけましたら嬉しいです。


 山の中を、エルシアはひたすら走っていた。

 背中にはアルがいる。  

 その身体は、ほとんど力を失っていた。

「アル……」

 呼びかけても、返事はない。

 時折、かすかに身じろぎするだけだった。

 エルシアは何度も後ろを振り返る。

 だが、追ってくる魔物の姿は見えない。

 遠くから聞こえていた咆哮も、いつの間にか小さくなっていた。

 それでも、足を止めることはできなかった。

 アルの状態が、あまりにも悪い。

 背中に伝わる体温。

 かすかな呼吸。

 そして――。

 赤い血が美しい銀色の毛を、染めていく。

「……お願い」

 エルシアは足を速めた。

 どこへ向かえばいいのかも分からない。

 ただ、魔物から離れることだけを考えて走った。

 やがて、山の斜面を越えた先に、周囲を岩壁に囲まれた小さな谷が見えた。

 その奥に、何かがある。

 岩壁の一部が大きくえぐれ、その奥に、自然にできたように見える空洞があった。

 入口の周囲には古い石が積み重なり、長い年月の中で苔や蔦に覆われている。

「……あれは……?」

 エルシアは足を止めた。

 人の気配はない。

 身を隠すには十分そうだった。

「アルを休ませられる……」

 エルシアはそのまま空洞へ向かった。

 近づいてみると、そこは自然の岩陰を利用した小さな祠のような場所だった。

 内部は薄暗く、それでいてアルを休ませるのに十分な広さがあった。

「ここなら……」

 エルシアは慎重に中へ入った。

 奥へ進み、崩れていない場所を見つける。

 そして、背中に乗せていたアルをゆっくりと降ろした。

 アルの身体が、岩の床へ横たわる。

「……アル」

 返事はない。

 エルシアはアルの顔を覗き込んだ。

 顔色が悪い。

 呼吸も弱い。

 そして、まだ血が流れている。

「……どうしよう」

 声が震えた。

 エルシアはすぐに人型の姿へ戻った。

 銀色の毛並みが消え、いつもの凛々しい人狼の姿になる。

 そして、衣服を裂いて、アルの傷口へ押し当てる。

 できるだけ出血を抑えようと傷口を押さえるが、出血はなかなか止まらない。

「治癒魔法……」

 思わず呟く。

 けれど、自分には使えない。

 何度考えても、その事実は変わらなかった。

「私には……何もできない……」

 胸が締め付けられる。

 アルが苦しんでいる。

 目の前にいるのに。

 それなのに、自分には傷を治すことすらできない。

「……アル」

 エルシアは震える手で、アルの髪を撫でた。

「お願いだから……」

 返事はない。

「死なないで……」

 その言葉を口にした瞬間、怖くなった。

 考えたくもなかった。

 もし、このままアルの呼吸が止まったら。

 もし、二度と目を開けなかったら。

 もし――。

「……嫌」

 エルシアは小さく首を振った。

「そんなの……嫌だよ」

 目の奥が熱くなる。

 いつもなら、アルの隣にいるだけで楽しかった。

 魔法の話をして。

 一緒に歩いて。

 アルが何かを見つけて嬉しそうにしている姿を見て。

 そんな時間が、好きだった。

 もっと一緒にいたい。

 もっとアルのことを知りたい。

 もっと――。

「……ずっと、一緒にいたいの……」

 小さな声が祠の中へ消える。

 エルシアは目元を拭った。

「泣いてる場合じゃない」

 水が必要だ。

 傷口を洗うためにも、アルに飲ませるためにも。

 谷のどこかに水が流れている可能性はある。

 アルの腰に下がっている革袋を取り外し、

「……待ってて」

 エルシアは立ち上がった。

「すぐ戻ってくるから」

 返事はなかった。

 それでも、エルシアは祠を出た。


 谷の中をしばらく進むと、岩の間から水の音が聞こえてきた。

「……あった!」

 小さな流れだった。

 エルシアは水に手を浸した。

 冷たい。

 澄んだ水だった。

 革袋の口を閉じている紐を緩め水を汲んだ。

「これで……」

 エルシアは急いで祠へ戻った。

 入口をくぐったところで、ふと足が止まる。

「……?」

 何かがおかしい。

 さっきまでと、空気が違う。

 祠の奥。

 暗闇の向こうから、何かを感じる。

 エルシアの耳がぴくりと動いた。

「……誰か、いるの?」

 返事はない。

 巨大な何かが、そこにいるような気配を感じた気がした。

 警戒しながらもエルシアは水をこぼさないよう注意して、ゆっくりとアルのもとへ戻った。

「アル……」

 アルは目を閉じたままだった。

「水、持ってきたよ」

 革袋の口紐を緩め、アルの身体を支えながら、水を少しずつ口元へ運ぶ。

 ほんの少しだけ、水を飲ませる。

「ゆっくりでいいからね」

 アルの喉がかすかに動いた。

 それだけで、エルシアは少しだけ安堵した。

 だが――。

「……エル、シア……」

「なに?アル」

 アルの目が、わずかに開いた。

 焦点が合っていない。

「私はここにいるよ。大丈夫」

 アルは声の方へ僅かに顔を向けた。

「……怪我……ない?」

「……え?」

「……魔物……」

 弱々しい声だった。

「……追われて……たから……」

 アルは苦しそうに息をする。

「……怪我……して……ない?」

 エルシアは言葉を失った。

 自分のことよりも。

 こんな状態になってまで、自分を心配している。

「……私は大丈夫」

 エルシアは静かに答えた。

「どこも怪我してないよ」

 アルは安心したように、ほんの少しだけ口元を緩めた。

「……よかった」

 そして、再び目を閉じる。

「アル……?」

 返事はない。

 呼吸だけが、かすかに続いている。

 エルシアはアルのそばに身体を寄せた。

「……絶対に、死なせない」

 今度は、はっきりと言った。

「私が守るから」

 その瞬間だった。

 祠の奥から、低い声が響いた。

「――ここで、何をしている」

 空気が震えた。

 エルシアの身体が強張る。

 耳が立つ。

 全身に緊張が走る。

 背筋に冷たいものが走った。

 声の主が誰なのか分からない。

 ただ一つだけ分かる。

 普通の相手ではない。

 エルシアはアルを背後に庇うように身体を移した。

 そして、祠の奥を睨みつける。

 その瞳には、恐怖があった。

 それでも。

 一歩も退かなかった。

「……誰?」

 エルシアは低く問い返す。

 返事はすぐにはなかった。

 代わりに、さらに重い気配が祠の奥から押し寄せてくる。

「我の眠りを妨げるのは――何者か」

 エルシアは拳を握り締めた。

 アルは動けない。

 ならば、自分が守るしかない。

 たとえ目の前にいる存在が、どれほど強大なものだったとしても。

「……この人には、手を出させない」

 エルシアは身構えた。

 祠の奥。


 暗闇の中で、何かがゆっくりと動いた。


第75話「祠」を読んでいただき、ありがとうございました。

今回は、アルの負傷とエルシアの決意を中心に描きました。

そして、二人が辿り着いた祠の奥には、どうやら普通ではない存在が眠っているようです。

次回、第76話「龍王」では、その正体が明らかになります。

ここからアルたちの物語が、また新たな段階へ進んでいきます。

次回もよろしくお願いいたします。


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