銀狼
第74話「銀狼」です。
前回に続き、アルたちは魔物の群れからの逃走を続けます。
仲間たちと離れ、傷ついたアルを連れて逃げるエルシア。
二人の前に、ひとつの静かな場所が見えてきます。
今回は、エルシアにとっても大きな変化のある回です。
ぜひお楽しみください。
どれだけ走ったのか。
アルには、もう分からなかった。
木々の間を抜ける。
枝が身体を引っ掻く。
足元の斜面を何度も踏み外しそうになる。
それでも。
エルシアは走り続けていた。
「……アル、大丈夫?」
「……うん」
アルは答えた。
だが。
その声には、ほとんど力がなかった。
胸が痛い。
呼吸をするたびに、鋭い痛みが走る。
それでも。
意識だけは失わないようにしていた。
「……みんなは」
アルが呟く。
「……分からない……」
エルシアが答える。
その先の言葉が続かない。
アルも何も言わなかった。
今は。
仲間たちを探しに戻ることなどできない。
戻れば。
二人とも魔物に囲まれる。
「……ごめん」
アルが呟いた。
「何が?」
「みんなを……置いてきた」
エルシアは足を止めた。
「アル」
エルシアが振り返る。
「置いてきたんじゃないよ」
「みんなが、逃がしてくれたんだよ」
アルは黙った。
「だから」
エルシアがアルの手を握る。
「今は生きなきゃ!」
「……うん」
アルは小さく頷いた。
その時。
遠くから。
魔物の咆哮が響いた。
「……まだ追ってきてる」
エルシアが振り返る。
アルも耳を澄ます。
確かに。
遠くから音が聞こえる。
だが。
先ほどまでとは違う。
少しずつ。
遠ざかっている。
「……こっち」
エルシアが呟いた。
「え?」
「山へ行く」
エルシアは前を見る。
「危険かもしれないけど、魔物の群れが向かっている方向を逆進する!」
「その方が意表をつけるし隠れられるかもしれない」
エルシアはアルを見る。
「このまま追われ続けるよりはいい」
再び走り出す。
だが。
アルの足が止まった。
「……ごめん……動けそうもない……」
身体に力が入らない。
膝が崩れる。
「アル!」
エルシアが慌てて支える。
「もう……」
アルは息を切らしながら呟いた。
エルシアはアルを見る。
胸から流れる血。
浅い呼吸。
青ざめた顔。
「……分かった」
エルシアは静かに言った。
「私が運ぶ」
「え?」
「乗って」
「でも……」
「いいから」
エルシアはアルの前に背を向けてしゃがみ込んだ。
「早く」
アルは一瞬迷った。
だが。
もう自分の足で歩くことはできない。
「……うん……」
アルはエルシアの背中に身体を預けた。
エルシアは立ち上がる。
そして。
再び山へ向かって走り出した。
だが。
その身体が、少しずつ変化していった。
銀色の光がエルシアの身体を包む。
「……エルシア……?」
アルが呟く。
次の瞬間。
アルの身体を支えていた背中が大きくなる。
腕が。
脚が。
身体そのものが。
獣の形へ変わっていく。
銀白色の毛並み。
鋭い爪。
大きな四肢。
そして。
美しい銀色の狼。
「……!」
アルは驚いた。
目の前にいたのは。
これまで見たことのない姿だった。
普通の狼よりも、明らかに大きい。
銀色の美しい毛をなびかせながら、アルを背に乗せて駆けていく。
アルを背に乗せても、十分に山道を駆けられるほどの大きさ。
「……銀狼……」
アルが呟く。
銀狼となったエルシアが振り返る。
その瞳は。
人の姿の時と変わらない。
アルは少しだけ笑った。
「……ありがとう……」
エルシアは答えた。
「大丈夫。アルは私が守るから……」
そして。
山を駆け上がった。
速い。
人の姿とは比べものにならない。
木々の間を縫うように走る。
岩を飛び越える。
急な斜面を駆け上がる。
アルの身体が揺れる。
それでも。
不思議と痛みは少なかった。
背後から聞こえていた魔物の咆哮も。
いつの間にか聞こえなくなっていた。
どれほど走ったのか。
山はさらに深くなっていく。
木々が密集し。
道らしい道もなくなる。
やがて。
エルシアは細い岩場を抜けた。
その先に。
一つの谷があった。
周囲を高い岩壁に囲まれた、深い谷。
外からはほとんど見えない。
慎重に周囲を確かめた。
魔物の気配。
人の気配。
どちらもない。
鳥の声すら聞こえない。
それでもエルシアはしばらく周囲を警戒した。
やがて。
谷の奥へと進んでいく。
少し開けた場所に出たところで、足を止めた。
アルを背から降ろす。
アルはそのまま地面へ横になった。
「……静かだ……」
アルがか細い声で呟いた。
魔物の咆哮。
剣戟。
爆発音。
仲間たちの叫び声。
すべてが響いていた。
それが今は何もない。
風の音だけが。
木々の間を静かに通り抜けていく。
「……ここなら、追ってこないかな」
エルシアが呟いて周囲を見渡した。
だが。
その身体は、まだ警戒を解いていない。
谷の奥。
岩壁の向こう。
そこには、まだ何かがあるような気がした。
アルの呼吸が、少しずつ弱くなる。
「……エルシア」
「……ありがとう」
アルは小さく笑った。
そして。
その瞼がゆっくりと閉じていく。
意識が遠のいていく。
銀狼はアルの身体へ鼻先を近づけた。
「アル……?」
まだ、生きている。
だが。
このままでは危ない。
エルシアは顔を上げた。
谷の奥を見る。
そして。
もう一度、アルを見る。
ここではない。
もっと安全な場所へ。
エルシアはアルの服を咥えて再び背に乗せた。
そして。
谷の奥へ向かって歩き始めた。
第74話「銀狼」を読んでいただき、ありがとうございました。
今回は、73話から続く逃走の中で、アルとエルシアが二人きりになる回でした。
仲間たちの安否が分からない中、それでも生きることを選ぶアル。
そして、アルを守るためにエルシアが見せた新たな姿。
ここから物語は、これまでとは少し違った展開へ進んでいきます。
次回からも、ぜひ二人の行く先を見届けていただければ嬉しいです。
今後ともよろしくお願いいたします。




