獣王の娘
フェンリルとの対話を終えたアル。
今回は、獣王フェンリルの娘・エルシアが登場します。
新たな出会いが、アルの魔法、そして研究者としての歩みにどのような変化をもたらすのか。
ここからしばらく、鍛錬編が始まります。
楽しんでいただければ幸いです。
しばらく静かな時間が流れた。
薪の燃える音だけが部屋へ響く。
やがてフェンリルが静かに口を開いた。
「アル」
「はい」
「其方」
「少し、この里で鍛錬をしていかぬか」
思いも寄らぬ言葉だった。
「鍛錬……ですか?」
「そうだ」
フェンリルはゆっくり立ち上がる。
「其方には類い稀なる才能がある」
「魔力も」
「知識も」
「探究心も」
一歩、窓辺へ歩み寄る。
「だが、その磨き方をまだ知らぬ」
アルは思わず苦笑した。
「耳が痛いです」
「ふふ」
フェンリルは珍しく小さく笑う。
「それを知るだけでも、大きく変わる」
「其方なら、もっと先へ進める。」
アルはその言葉を静かに受け止める。
獣王フェンリル。
長い時を生き、多くを見てきた存在。
そんな人物が、自分の可能性を信じてくれている。
その事実だけで胸が熱くなった。
「ありがとうございます」
「ぜひ、お願いしたいです」
フェンリルは満足そうに頷いた。
「よかろう」
そして、穏やかな笑みを浮かべる。
「ただし」
「其方一人ではない」
「え?」
「鍛錬を共にする者がおる」
アルは首を傾げる。
フェンリルは部屋の外にいる使いの者を呼んだ。
「誰か。エルシアを呼んできてくれまいか」
「はっ」
しばらくすると重厚な扉をノックする音が聞こえた。
コンコン
フェンリルはドアの方に目を向け
「入るがよい。」
扉の向こうから、小さく返事が聞こえる。
「はい、母上」
凛とした、それでいてどこか優しい女性の声だった。
アルは自然と扉へ視線を向ける。
静かに扉が開く。
そこへ姿を現した人物を見て、アルは思わず息を呑んだ――。
静かに扉が開く。
一人の女性が、ゆっくりと部屋へ足を踏み入れた。
腰まで届く白銀の髪が、窓から差し込む柔らかな陽光を受けて淡く輝いている。
頭にはフェンリルと同じ白銀の狼耳。
そして、その瞳もまた母と同じ紺碧だった。
年の頃は二十歳ほどに見える。
落ち着いた佇まいには気品があり、一歩一歩の所作に無駄がない。
思わず見惚れてしまうほどの美しさだった。
だが、それ以上にアルの目を引いたのは、その空気だった。
威圧感ではない。
穏やかで優しい。
それでいて芯の強さを感じさせる、不思議な存在感。
どこかフェンリルによく似た空気を纏っていた。
まるで静かな湖面のように澄み切った雰囲気をまとっていた。
女性はフェンリルの前まで歩み寄ると、静かに一礼する。
「お呼びでしょうか、母上」
その声もまた落ち着いていて、どこか心地よい響きを持っていた。
フェンリルは小さく頷く。
「うむ」
「こちらへ」
女性はゆっくりと視線をアルへ向けた。
その眼差しに探るような色はない。
ただ純粋な興味だけが宿っていた。
フェンリルが静かに口を開く。
「紹介しよう」
「我が娘」
「エルシアだ」
アルは慌てて立ち上がる。
「は、初めまして!」
「アルフレッド・フォン・ヴァルクレインです!」
思わず深く頭を下げる。
エルシアはその様子を見て、小さく微笑んだ。
「そんなに緊張しなくて大丈夫」
「エルシアよ」
「よろしくね」
その言葉は自然だった。
敬語ではなく、それでいて馴れ馴れしさもない。
年下へ優しく語り掛ける姉のような口調だった。
アルも少しだけ肩の力を抜く。
「よろしくお願いします」
頭を軽く下げて挨拶するとエルシアは徐に聞いた。
「あなた人族よね?なのに不思議な雰囲気があるわね」
「それに、その魔力と魔力量……あなた何者?」
フェンリルはクスっと笑って
「さすがは我が娘。よくぞ気づいた」
「エルシアよ」
「今から話すことは、他言無用だ」
その一言で部屋の空気が変わる。
エルシアの表情も自然と引き締まる。
「承知しました」
フェンリルは静かに頷いた。
「アルは異界より来た者だ」
エルシアは僅かに目を見開いた。
しかし驚きの声を上げることはない。
ただ静かにフェンリルの次の言葉を待つ。
「前世の記憶を持ち」
「創造主より特別な力を授かって、この世界へ転生した」
「《鑑定眼》を授かり、規格外の魔力量を持ち、五属性すべてを扱う異質な魔力の持ち主だ」
部屋は静まり返る。
話を聞き終えたエルシアは、ゆっくりとアルへ視線を向けた。
アルは少し居心地悪そうに苦笑する。
「……普通なら信じられませんよね」
自嘲気味にそう言うと、エルシアは少しだけ首を傾げた。
「どうして?」
「え?」
「母上が信じている」
「それだけで、私には十分よ」
「母上が認めた人を、私が疑う理由はないわ」
アルは思わず言葉を失う。
エルシアは穏やかな笑みを浮かべたまま続ける。
「母上は、誰かを軽々しく信用するお人ではないわよ」
「その母上が、私へ話してくださったこと」
「それだけ君を認めているってことよ」
そう言って優しく笑う。
「だから私も、君を信じる」
「それだけよ」
優しい笑顔をアルに向けて言った。
その笑顔には打算も疑いもなかった。
アルの胸に、じんわりと温かいものが広がる。
この世界へ来てから、自分の秘密を打ち明けた相手は二人目。
それなのに、不思議と恐怖はなかった。
むしろ、どこか安心している自分がいた。
「……ありがとうございます」
「この話は秘密なのよね?」
「大丈夫。母上が秘密にするなら私も誰にも言わないわ」
「安心して」
その笑顔にアルは母のような姉のような優しさを感じた。
二人のやり取りを静かに見守っていたフェンリルが、穏やかに口を開いた。
「其方たち二人には、これから共に魔法の鍛錬をしてもらう」
エルシアはスッとフェンリルの方に向き直し姿勢を正して返事をする。
「わかりました」
「この子と鍛錬に励みます」
何の疑いもなく返事をするエルシアに対してアルは
「え?エルシア様と?……ですか?
アルがそう言うと、エルシアは小さく首を振る。
「様はいらない」
「これから一緒に鍛錬するんだから」
その言葉にアルは目を丸くする。
「え?」
エルシアはくすりと笑った。
「これから一緒に鍛錬する仲間でしょ?」
「エルシアでいいわ」
フェンリルも静かに頷いた。
「エルシアは我にこそ及ばなくともそこらの魔術師に劣らぬ魔法の使い手だ」
「其方に足りぬものを、きっと教えてくれるだろう」
「エルシアも教えることで得るものもあろう」
「しばらくはアルの面倒を見ておやり」
「畏まりました。母上」
アルは改めてエルシアを見る。
優しく微笑むその姿に、どこか不思議な安心感を覚えていた。
――この人なら。
自分の知らない魔法の景色を見せてくれる。
そんな予感が、アルの胸に静かに芽生えていた。
第34話を読んでいただき、ありがとうございました。
今回は新キャラクター、エルシアとの出会いを描きました。
フェンリルとは異なる穏やかさを持ちながらも、母を深く尊敬し、自身も高みを目指し続ける人物として描いています。
ここからは、アルにとって初めて「教え導いてくれる存在」との本格的な魔法鍛錬が始まります。
研究者として積み重ねてきた知識と、フェンリルが語った「想像力」がどのように結び付いていくのか、ぜひ見届けていただければ嬉しいです。
少しでも面白いと感じていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。
次回もよろしくお願いいたします。




