調査依頼
いつもお読みいただきありがとうございます。
冒険者登録を終えたアルは、アズール・イージスの一員として初めて正式な依頼へ向かいます。
今回から物語は、いよいよ北東大森林で起きている異変の調査編へ入ります。
少しずつ世界の異変が見え始める回となっていますので、楽しんでいただければ嬉しいです。
まだ朝露の残るヴァルクレイン辺境伯領北門。
東の空が白み始めた頃、六頭の馬が静かに並んでいた。
鞍には数日分の食料や水袋、毛布、調理道具、保存食、予備の武器や魔石が手際よく括り付けられている。
今回の依頼は魔物討伐ではない。
北東大森林で発生している異常現象の調査。
どれほど森へ踏み込むことになるか分からない以上、準備に妥協は許されなかった。
馬具を最後に点検し終えたガレスが、全員を見渡す。
ドノヴァンは巨大な盾を背負い直し、レオンは弓弦の張りを静かに確かめる。
フィオナは薬袋を整理し、イザベラは魔道具と予備の魔石を確認していた。
アルも腰の剣を軽く抜いて刃こぼれがないことを確かめ、鞘へ戻す。
これが冒険者として初めての正式依頼だった。
胸の奥が自然と高鳴る。
「緊張してるか?」
隣に立ったガレスが笑いながら尋ねた。
「今までで一番深い場所へ行くからね……」
「ははっ、それくらいでちょうどいい。緊張しねぇ奴ほど危ねぇからな」
その言葉に自然と肩の力が抜けた。
「今日からアズールのメンバーだ。坊っちゃんじゃなくアルと呼ぶ。いいな?」
「うん」
そこへ、屋敷から見送りに来た家族の姿が見える。
父エルディオン、母セレナ、兄レオナルト、リリア、そしてセバスティアン。
「アル」
父が静かに声を掛けた。
「今までの依頼とはわけがちがう。決して前に出すぎるなよ」
「分からないことがあれば必ずガレスたちに相談しろ」
「はい、父上。必ず原因を突き止めて戻ります」
エルディオンは満足そうに頷いた。
セレナが焼き菓子の包みを差し出した。
「道中で食べなさい。甘いものは疲れが取れますからね」と優しく微笑む。
今回の依頼が危険であることは、セレナも十分理解していた。
レオナルトが「母上、アルももう十五歳ですよ」と空気を和ませようとすると
「私にとっては何歳になっても子供です」とセレナが返し、
一同に小さな笑いが広がった。
張り詰めていた空気が少し和らぐ。
最後にリリアが前へ出て
「ご武運を……」とだけ告げる。
少し寂しそうに、それでも嬉しそうな微笑みだった。
その姿を見届けると、ガレスが一歩前へ出る。
「よし。全員集まれ」
アズール・イージスの五人とアルが半円を作る。
ガレスの表情から笑みが消えた。
歴戦の冒険者の顔だった。
「今回は調査依頼だ」
「討伐でも採取でもない」
「原因を探る」
「現状を把握する」
「それが目的だ」
低く響く声が朝の静けさへ溶け込む。
「森で何が起きてるか誰にも分からねぇ」
「敵の数も強さも原因も、全部不明だ」
「だから極力、戦闘は避ける」
一本指を立てる。
「原因を突き止め、生きて持ち帰る。それが今回の仕事だ。いいな!」
アズールのみんなの目つきも普段のやさしさではなく冒険者のそれになっていた。
その空気感にアルは自然と背筋を伸ばしていた。
するとガレスは最後にアルを見て。
「アル」
「はい!」
「気負うな。今まで積み重ねたことを信じろ」
「分かりました!」
その返事を聞いてガレスは満足そうに笑った。
「よし、出発!」
六頭の馬がゆっくり歩き始める。北門が開き、一行は街道へ出た。
街道は春の陽射しを浴び、穏やかな空気に包まれていた。
左右には麦畑が広がり、時折農民たちが手を止めて一行へ頭を下げる。
さらに北へ進むにつれ、畑は牧草地へ変わり、やがて森が少しずつ近付いてきた。
少し前方ではレオンが馬を進めながら周囲を絶えず観察している。
森、丘、空、鳥の飛び方まで見ているようだった。
「レオン、そんなに遠くまで見えるの?」
「見るんじゃない、感じるんだ」
「風、匂い、音、すべてが情報になる」
アルは思わず感心する。
隣を歩くイザベラが微笑む。
「斥候は知識だけじゃなく経験もすごく大事なの」
「アルは今、知識を積み重ねているけどこれからは経験も大事にしないとね」
その言葉はアルにとって、とても印象深かった。
研究も同じで、机上だけでは真理へ辿り着けない。
実験し、観察し、考察する。
だから面白い。思わず笑みが浮かぶ。
「どうしたの?」
「いや、研究も同じだなと思って」
イザベラは小さく笑った。
「アルらしい発想ね」
太陽が西へ傾き始めた頃、一行は街道沿いにある小さな村へ到着した。
木造の家が十数軒、小さな広場、井戸、そして一軒だけの宿屋。
辺境伯領最北部に近い、小さな開拓村だった。
村へ入ったガレスを見つけ、一人の老人が慌てて駆け寄ってくる。
「ガレス殿!来てくださったか!」
「村長、まずは話を聞かせてくれ。」
「宿を用意しております。夕食を取りながら詳しくお話ししましょう」
アルは村の様子を見渡した。
表面上は穏やかだったが、村人たちの表情には、どこか拭えない不安の色が浮かんでいた。
(やっぱり……何かが起きている)
そう確信しながら、アルはアズールの後に続いて宿屋の扉をくぐった。
宿屋の食堂には、村長をはじめ、猟師や木こりなど数人の村人たちが集まっていた。
焼きたての黒パン、香草を利かせた鹿肉の煮込み、山菜のスープ。
素朴だが丁寧に作られた料理が並ぶ。
村長が語り始めた。
半月ほど前から、猟師たちの間で「森の様子がおかしい」という声が出始め、鹿や猪といった獲物が急に姿を消したという。
最初は季節のせいかと思われていたが、やがて北方でしか見なかったはずのオークが山を越えて南へ下りてきていることが分かった。
数は日に日に増えているという。
そして、木こりの男が沈黙を破るように口を開いた。
「俺は見たんだ。オークと……ゴブリンが一緒に歩いてた」
その場の空気が止まった。
「本当か?」
ガレスの声が低くなる。
「ああ、最初は見間違いかと思った」
「でも間違いねぇ。ゴブリンがオークの後を付いて歩いてた」
アルは思わずイザベラを見る。
イザベラも僅かに眉をひそめていた。
異種族の魔物が群れを作る。
それは魔物の生態では考えられないことだった。
「普通はあり得ません」
イザベラが静かに言う。
「知能も縄張りも違います。同じ群れになることはありません」
村長も重々しく頷いた。
「だからこそ皆、不気味に思っております」
「夜になると、オークの声に混じってゴブリンまで騒ぐ咆哮が聞こえるのです」
ガレスは腕を組んだまま、黙って話を聞いていた。
やはり今までの森とは明らかにちがう、見たことも、聞いたことのない異常を示していた。
食事を終える頃には、外はすっかり暗くなっていた。
アルは窓を開け、静かな村を見下ろす。
家々から漏れる灯り、遠くで聞こえる犬の鳴き声。
一見すると平和そのものだった。
だが、この村の人々は皆、不安を抱えながら毎日を過ごしている。
(異変は、もうここまで近づいているんだ)
その現実を改めて実感した。
翌朝、まだ陽が昇り切る前に一行は宿を後にした。
「ここからは徒歩でいく」
「村長、馬を頼む」
村人たちの見送りを受け、ガレスは「必ず戻る」とだけ言い残す。
昼頃、一行は森の入口へ到着する。
森に入るに際し隊列を組む。
「先頭はレオン。続いて俺とアル。中央はフィオナとイザベラ。最後尾はドノヴァンだ」
「じゃあ進むぞ」
レオンが静かに森へ踏み込んだ。
森へ入って数時間。
木々は空を覆い隠し、昼間だというのに薄暗い。
鳥の声も虫の羽音もほとんど聞こえない。
(静かすぎる。)
時折、レオンが立ち止まり地面へ視線を落とす。
「足跡……ゴブリンだな。まだ新しい」
少し歩いた先では、
「これは……オーク!同じ方向へ向かってる」
ガレスは表情を険しくした。
「話は本当だったな」
イザベラも地面を見つめながら小さく呟く。
「本当に異常だわ。過去に見たことも聞いたこともないわ」
アルも足跡を見比べる。
確かに二種類の魔物が、同じ方向へ進んでいた。
それだけでも十分異常だった。
夕暮れ、開けた場所で野営を始める。
ドノヴァンが薪を集め、フィオナが調理の準備を進め、レオンは周囲の安全確認に回る。
アルも薪運びを手伝った。
「アル、だいぶ板についてきたな」
「まだ教わることばかりだよ」
焚き火の煙が立ち上り、簡素な干し肉のスープと保存パンが身体へ染み渡る。
食後、見張りの一組目はイザベラとアルに決まった。
夜が更け、他の仲間たちは眠りにつく。
静かな森に風が木々を揺らす音だけが響く。
「緊張してる?」
イザベラが静かに尋ねた。
「少しだけ」
「この森で何が起きてるんだろう?」
イザベラはゆっくり頷いた。
「本当よね」
「でも、私も長く冒険者をしているけど……」
「こんな嫌な予感がする依頼は久しぶりだわ」
二人はしばらく無言で森を見つめた。
その時、遠くから低い咆哮が風に乗って聞こえた。
声はすぐに止み、再び静寂が森を包む。
イザベラの表情は険しい。
「明日からが本番よ。十分気をひきしめてね」
アルは静かに頷いた。
「うん」
夜空には雲間から二つの月が覗いていた。
その淡い光は、森の奥に潜む異変を静かに照らしているようだった。
三日目の朝。
夜露に濡れた草を踏みしめながら、一行は野営地を後にした。
焚き火の跡を丁寧に消し、周囲に痕跡を残さない。
それも冒険者としての基本だった。
「レオン、索敵は昨日以上に慎重にな」
「了解」
レオンは先頭に立ち、足音一つ立てずに木々の間を進んでいく。
時折しゃがみ込み、枝の折れ方、踏み固められた土、草の倒れ方から敵の痕跡を読み取っていく。
(これが一流の斥候か。敵を見つけるだけでなく、いつ、どこを、どれくらいの数で通ったのかまで読み取っている)
森の奥へ進むほど、違和感は強くなっていった。
「……静かすぎる」
「ああ、普通じゃねぇ」
イザベラも周囲へ視線を巡らせる。
「森そのものが息を潜めているみたい」
レオンが再びしゃがみ込み、地面を指差す。
「足跡……オーク。新しいな」
さらに調べを進める。
「……こっち、ゴブリン」
だが今回は違った。
「並んで歩いてるな」
全員が息を呑む。
オークの巨大な足跡のすぐ横へ、ゴブリンの小さな足跡が続いている。
争った形跡も逃げた様子もない。
まるで一つの群れとして行動しているようだった。
「あり得ねぇ……」
ガレスが低く唸る。
オークは縄張り意識が強く、ゴブリンを見れば真っ先に殺す。
逆にゴブリンもオークを見れば逃げ出す。
それが常識だった。
「この森で何が起きてるの?」
フィオナが静かに言う。
誰も答えられなかった。
昼を過ぎた頃、レオンが突然しゃがみ込み、右手を握って後方へ掲げた。
停止の合図。
全員が一斉に動きを止める。
レオンは目を閉じ、耳を澄ませた。
「……聞こえる。戦闘だ。北東、およそ四、五百メートル」
さらに集中する。
「人が複数と……」
「魔物、たぶんオークと……ゴブリン!数は……多数!」
アルにも金属のぶつかる音、咆哮、木々が倒れる音が微かに届いてきた。
間違いない、戦闘だった。
「近付くぞ。絶対に姿を見せるな。レオン!」
「了解」
枝一本踏まない。
鎧も鳴らさない。
息遣いすら殺して進む。
レオンの手信号だけを頼りに、一行は静かに戦場へと近付いていった。
やがて戦闘音がはっきり聞こえてきた。
怒号、魔法の炸裂音、オークの咆哮、ゴブリンの甲高い叫び。
レオンが最後の木陰で止まり、全員が身を伏せる。
木々の隙間から広場が見えた。
アルは息を呑んだ。
数体どころではない。
十を超えるオーク、さらに二十近いゴブリン。
異種の魔物が一つの群れとなって暴れ回っていた。
「馬鹿な……」
ガレスが思わず漏らす。
その中心には四人の冒険者がいた。
巨大な戦斧を振るうドワーフ、長弓を操るエルフ、獣耳を持つ俊敏な獣人、そして黒い角を持つ魔人族の少女。
種族混成のパーティーだった。
「囲まれてる……」
フィオナが小さく呟く。
全員が既に傷だらけだった。
それでも必死に戦っているが、数が違いすぎる。
オークが前へ出て、その隙をゴブリンが埋める。
まるで統率された軍隊のような動きだった。
(連携している……そんなはずはない)
魔物同士がここまで連携するなど聞いたことがない。
「どうなってやがる……」
ガレスが低く呟く。
「後方にも数体。退路を塞いでる」
レオンの報告に、完全に包囲されていることを悟る。
ドワーフの斧が一体を倒しても、背後からゴブリンが飛び掛かる。
悪循環だった。
「このままじゃ……。」
アルが思わず拳を握る。ガレスは無言のまま戦場を見つめていた。
救助するか。
それとも任務を優先するか。
調査依頼である以上、本来なら戦闘は避けるべきだ。
だが目の前では、確実に命が失われようとしていた。
沈黙が流れる。誰も軽々しく口を開けない。その数秒が、永遠にも感じられた。
そして――。
「もたないな……」
ガレスは静かに大剣へ手を掛けた。
ガレスが大剣へ手を掛ける。その動きだけで、アズール全員が静かに武器を構えた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は「初めての依頼」と「森の異変」を中心に描きました。
調査依頼として始まったはずの任務ですが、森の奥では常識では考えられない出来事が起き始めています。
そして次回、アルたちは窮地に陥った冒険者パーティーと遭遇します。
アズール・イージスがどのような判断を下すのか、ぜひ続きも読んでいただけると嬉しいです。
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今後とも『転生研究者の異世界魔法論』をよろしくお願いいたします。




