「血啜りの記憶」―禁じられた灯
―新暦五七五年・春初め 連合王国 王都ハインネル―
夜は深い。
廊下は静まり返っていた。
アルクスは、扉の前に立つ。
アーレの部屋。
一度だけ、躊躇する。
夜中。
女性の部屋。
普通なら、来る時間ではない。
だが今は。
(……関係ない)
拳を上げる。
ノック。
小さな音。
「……誰ですか」
「……アルクスだ」
「……今は、やめてください」
「ジュナに誤解されます」
もっともな言葉。
アルクスは動かない。
「……頼む」
短く言う。
「どうしても、だ」
長い沈黙。
やがて。
小さく息を吐く音。
鍵の音。
扉が開く。
「……少しだけです」
部屋に入る。
静かな空間。
余計なものはない。
「……用件は」
「……ギルダーツの禁呪だ」
アーレの動きが止まる。
「……知っています」
「ですが」
「おすすめはしません」
はっきりと。
アルクスは黙る。
アーレは続ける。
「効果は単純です」
「失った肉体を再生します」
「身体能力は極限まで引き上げられる」
「戦闘では……未来を読むように動ける」
「……ただし」
「代償が重い」
「記憶が削られます」
「精神も、食われ続ける」
「感情も、薄れる」
「命も、削られる」
一歩、近づく。
「最後は」
「自分の名前すら曖昧になります」
「何のために戦っているのか」
「それも、分からなくなる」
「……それだけではありません」
声がわずかに重くなる。
「今以上に」
「仲間を失った時の痛みは、増える」
「忘れられません」
「消えません」
「削られながら、残ります」
短く。
「……耐えられるとは思えません」
「……生き残ったのは」
「英雄ギルダーツ、ただ一人です」
静かに。
「他は全員」
「肉体も精神も耐えられず」
「発狂して、死にました」
沈黙の後。
アルクスが、わずかに動く。
「……どのくらい、もつ」
短い問い。
アーレは、すぐには答えない。
視線を落とす。
選ぶ。
言葉を。
そして。
「……二か月です」
静かに。
「それが、限界です」
「唯一の生存例が、そうだったのて」
「それ以上は」
「確認されていません」
「……やめた方がいいと、思います」
「戦場には出られます」
「ですが」
「凄い勢いで、命と精神と記憶を削られます」
はっきりと。
「最後は」
「すべてを失います」
視線を逸らす。
「……ジュナは」
小さく。
「数少ない、友人です」
「悲しむ姿は、見たくありません」
一瞬の間
「……きっと後悔しますよ」
静かに、付け加える。
アルクスは動かない。
浮かぶ。
仲間たちの顔。
信じていた目。
ジュナの笑顔。
そして。
あの声。
――お前たちは、減らされている
ヴァイパーキング、ザイードの言葉。
(……あの時も)
胸の奥に残る。
消えない。
(……なぜ)
問いが浮かぶ。
(……知りたい)
それが消えない。
「……それでも」
言葉が、少し遅れる。
「……知りたい」
アーレは、目を閉じる。
止められないと分かっている顔だった。
夜は静かだ。
だがその中で。
確実に、選択は決まった。




