84 夜の散歩
シェレアが眠るベッドの傍に椅子を寄せ、その椅子に座りながら、牛鬼はジルナに言われた事を考えていた。
「俺の力を、何に使う、か。」
牛鬼は唸った。
正直、そんな事を考えた事もなかった、というのが牛鬼としての考えだった。
魔界では、力は自分が生き残る為に使うのが常識であり、それ以外に力を使う事など考えてもみなかったのだ。
その時、ふと、牛鬼の視界に、シェレアの寝顔が入った。
シェレアの目元に涙の跡を見つけ、牛鬼は罪悪感に駆られた。
「また、泣かせたのか。俺は。」
思わず天井を仰ぎ見ながら、牛鬼はそう呟いた。
魔物から攻撃されて傷付けられるのとはまた違った痛みが、牛鬼の胸に走る。そんな、慣れない痛みに、牛鬼は眉間にしわを寄せた。
シェレアが、その目に涙を浮かべる度に、牛鬼はその痛みに苛まれる。もう、随分と慣れた暴力とは違ったその痛みは、牛鬼を困惑させた。
牛鬼は、深い溜息を吐いた。
サク、サク、と、雪の積もる道が、歩を進める度に音を立てる。
空を仰ぎ見れば、白い粉のような雪が絶える事なく降っていた。
ごちゃごちゃとした色の町が、白一色に染まるこの風景を、俺はなんとなく気に入っている。
今頃、牛鬼は自分の感情に悩んでいるのだろうか。
「まぁ、そのきっかけを作ったのは、俺なんだけどな。」
今まで、殺伐とした魔界にいたものだから、誰かに心配してもらうなんて経験が無いに違いない。
だけど、知って欲しいのだ。
自分の帰る場所がある幸せを、誰かに思いやってもらえる事の温かさを。
「さてと、俺も帰るかな……ん?」
そろそろ帰ろうか、と思って、元来た道を引き返そうと振り返る俺の視界に、見知った人影が目に入り、俺はもう少し夜の散歩を続ける事にした。
少し飛んで屋根の上に飛び上がると、そこには、魔界で奇跡的な再開を果たした、前世での親友同士の二人……ユーナと、呼幸の二人が、屋根の上に腰掛けていた。
屋根に積もる雪を踏みしめる音に、ユーナがゆったりと振り向いた。
「……ああ、コドクか。こんな夜更けに、いったいなんの用よ?」
「いや、別に用は無いよ。強いて言うなら、視界に入ったから、かな。」
そう言いながら、俺はニタリと唇の端を持ち上げた。
「でも、邪魔だったかな?どうやら、お熱いようで。」
ユーナの右腕を抱き込むように、呼幸が幸せそうな顔でべったりとユーナに引っ付いているのを見ながら、からかうように俺がそう言うと、ユーナは、困ったような表情で溜息を吐いた。
「別に、そんな関係じゃないわよ。……少なくとも、私はね。」
そう言うユーナに、呼幸はユーナの首元に顔を寄せながら、甘えるような声で言った。
「酷いですよ~?最初から、私達はラブラブな関係だったじゃないですか~♪」
「何時からよ……」
呆れたようにそう言うユーナに、呼幸はクスクスと笑う。
ユーナが、俺を見ながら、ぽそりと言った。
「あなたなら分かっているとは思うけど……」
「ああ、うん。分かっているよ。
まぁ、性癖なんてそれこそ人それぞれだろうし、そういう奴だっているだろうさ。」
それ以上は言わなくていい、と片手をあげながらそう言うと、ユーナは、はぁ、と息を吐いた。
まあ、あれだ。百合ってやつである。もしくは、同性愛者。
俺には、恋人どころか友人すらいなかったので、性的な目で迫ってくる同性の友人、というのが分からない。
分からないが、その関係を保ったまま友人でいる、というのは、普通の友人関係よりは敷居が高いのではないだろうか。
それでも、こうやって心を許しているのは……それだけ大切な友達なのか、または別の理由があるのか。
そんな事を思っていると、ふと、俺は、じっとこちらを見つめる呼幸の目に気が付いた。
「なんだ?」
「あなた、本当に、人間じゃないんですね~。」
にこりと微笑みながら、そう言う呼幸に、俺は首を傾げた。
「そりゃそうだろう。こんな、鱗だらけの人間なんぞいてたまるか。」
「いえ、そういう事じゃなくてですね~?
なんていうか、こう、あなたからは人間臭さ?っていうのが、全然感じられないんですよねぇ。
……まるで、底の見えない、静かな湖みたい。」
ぽわぽわとした雰囲気だったのが、最後の一言だけ、射抜くような鋭いものを感じさせた。
その言葉に、俺は思わず苦笑する。まぁ、人間じゃないしな。
むしろ、精霊なのに、人間味のあるユーナの方が、ある意味変わっているのだが……それがユーナだからな。それはそれでいい。
「で?こんな、冷たい屋根の上で、何をしていたんだ?」
俺がそう話を振ると、ユーナが慌てたように顔を赤くして叫んだ。
「べ、別にコドクには関係ないわよ!」
そう言って俺を睨むユーナ。どうやら、聞かれたくない事があったらしい。
と、そんなユーナを見た呼幸が、にっこりと笑った。
「結奈ちゃんがですね、私が死んだのは、自分のせいだって言うんですよ~。」
「なっ、呼幸っ!?」
バッ、と呼幸の方に振り向いて何かを言おうとするユーナの口を、呼幸は人差し指を突き付けて止めた。
「あれは、誰のせいでもないんです。事故ですよ?
それを、自分のせいだなんて言うのは、もはや傲慢です。」
そう言って目を細める呼幸。
……まぁ、前世の死因に関する話なんだろう。これは、俺が口を出していい話じゃなさそうだな。
そろそろ帰らないとシズクが拗ねそうだし、ここらへんで邪魔者は退散するとしようか。
「俺はもう帰るよ。ユーナがいるから大丈夫だと思うが、体が冷えるといけないから、あまり長居はするなよ。」
そう言いながら、俺は屋根から飛び降りた。
余談だが、帰ったら、シズクが拗ねていて、ご機嫌を取るのに朝までかかった。朝になって、星花に「昨晩はお楽しみでしたね」と笑われた。誤解を招くような言い方はやめろ。
……でもまぁ、なんだかんだあったけど、たまにはこういうのもいいな、と俺は思った。




