73 振り払われた幸せ
今週は、2話連続投稿です。
ケトルムが去った後、コドクは後ろを向き、ずっと柱に隠れていた女性の名を呼んだ。
「ルナン、出ておいで。」
言われて出てきた女性は、何処か、カナンの面影のある女性。
それもそうだった。この女性こそ、カナンの実の母親……ルナンなのである。
コドクとシズクがルナンに会ったのは、星花が月夜の間を出ていった後であった。
まるで何かに導かれたかのように、ふらふらとコドクの元へとルナンがやってきたのだ。
ここへ来たルナンの目には光がなく、まるで当てもなく彷徨っているような、そんな様子であった。
ルナンは、その心に、抱えきれぬ程の闇を抱えていた。コドクとシズクには、その闇がありありと見えてしまった。
普段、コドクにしか関心を持たないシズクが、ルナンに優しい笑みを向けた。
「おいで。」
その声に、よたよたと寄ってきたルナンを、シズクが掻き抱いた。
「かわいそうに……こんなにボロボロになって……きっと、とても辛い事があったのですね…」
「だろうね。負った心の傷が重すぎて、声すらも失ってしまったのか。」
コドクはそう呟くと、立ち上がって翼を広げた。
途端、辺りが更に暗くなり、灯りすらも淡く陰っていく。
「どうせ、精霊の民が来るまで、時間がある。
お前がここに来たのも、何かの縁。
今は、眠れ。闇と夢に微睡み、魂をさらけ出して、心の闇を吐き出すといい。」
コドクの言葉を最後に、辺りが完全な闇に包まれる。
ルナンは、深い眠りへと落ちていった。
闇の世界にいたルナンは、今の姿よりも、若い……というよりは、幼い姿をしていた。
それを見たジルナが、思わずといった様子で呟いた。
「カナン……?」
それは、まさに今のカナンにとても似ていた。カナンから冷たい印象を抜けば、このルナンに限りなく近づくかもしれない。
そのルナンの傍に、うっすらと透けている青年の姿があった。
ジルナは、ルナンを心配そうに見つめるその青年に声をかけた。
「お前は誰だ?」
ジルナがそう問いかけるが、青年は淡く微笑むだけで、何も答えない。
だが、ジルナは、それだけで何かを感じ取ったらしく、「そうか」と頷いた。
「お前は、そいつの恋人か何か、か。
心配で、そいつから離れられないんだな。」
青年は、ただ頷いた。
その時、ルナンが、ジルナの姿を捉えた。
「……誰?」
「……俺は、ジルナ。と言っても聞こえないだろうから、コドクとでも呼んでくれ。
俺の隣にいるのが、」
そう言ってシズクを見るジルナに、シズクはにこりと笑った。
「シズクなのです。同じく聞こえないでしょうから、ヌレバって呼ぶのです。」
ルナンは二人を見ると、瞬きをして、首を傾げた。
「不思議。私、ずっと、眠って……」
「いや、実際に、お前の意識はここをずっと彷徨っていたんだろう。」
ジルナがそう言ったその時、ルナンの背景にあった闇に、何かが映りこんだ。
それは、ルナンと青年の睦まじい姿だった。
二人は花畑で笑い合っていて、ルナンが作った花飾りを、青年の頭にかけていた。
青年が、愛おしそうに、「ルナン」と呼んでいるのを聞いて、ジルナとシズクは、彼女の名がルナンというのを知った。
そして、場面は変わる。
一人の男性が、ルナンの腕を強引に掴んでいた。
『俺のものになれ、小娘。』
『嫌、離して!』
そう言って拒絶するルナンに、男性は、その冷たい顔に、凍えるような笑みを浮かべた。
『そうか。なら、力づくでも俺のものになって貰おう!』
場面が、また変わる。
そこには、兵士に二人がかりで拘束されているルナンと、その目の前で行われている青年と男性の決闘であった。
いや、決闘ではない。
それは、男性の一方的な蹂躙戦だった。
青年は、明らかに戦い慣れていないというのに、男性は、まったくの手加減もしている様子がない。
ただ、その冷たい表情で、淡々と青年を傷付けていく。まるで、単純な作業でもしているかのように。
ルナンが、必死に叫ぶのを、押さえていた兵士が、目を逸らしながら言った。
『諦めろ。あの皇帝は、力づくで奪う事しか知らないんだ。
まぁ、お前さんも、あいつに逆らわなければ、殺される事も傷付けられる事もない。』
兵士のその目は、まるで死んだ魚のような、諦めに満ちた目だった。
やがて、剣で斬り裂かれた青年が、地に伏せた。
ルナンが、青年の名を呼んで飛び出す。そこだけは、兵士も押さえる事ができなかったらしい。
ルナンが、青年の名を何度も呼んで揺すった。だが、青年は血だまりに沈み、冷たくなって、動かない。
その青年の顔に、剣が、容赦なく、ザンッ、と突き刺さった。
青年の顔が割れ、その飛び散った血肉が、ルナンの顔にまばらに付いた。
『こんな、弱い奴に、なんの価値がある。
何も守れない、ひ弱な奴に、なんの魅力がある。
ルナン、見ただろう?俺の方が強い。こんな奴より、俺の方が強いのだ。
さぁ、これでお前が俺の物となる弊害は無くなった。』
男性の、返り血まみれの手が、ルナンの顔を掴み、強引に男性の方へと向かせた。
ルナンの頬に、ぬるっとした、生暖かい血が付いた。
大量の返り血に塗れた、男性のその顔は、冷たいながらも、自信に満ち溢れていた。
『俺の物となれ、ルナン。
俺なら、お前を守ってやれる。こんなひ弱な奴と違って、どんな敵だろうと、お前を傷付けさせはしない。
俺は最強になる。だから、お前は安心して俺の物となるがいい。』
そして、映像はブラックアウトした。
次に映ったのは、光の無い目で、赤子を抱えるルナンの姿。
その映像は、どこか色褪せていて、暗く映った。
それを見たルナンが、ぽそりと呟いた。
「カナン……」
静かな部屋が、段々と騒がしくなっていく。
やがて、部屋の扉が蹴破られた。
『ルナン!ああ、なんて事だ……』
一人の、どこかルナンの面影をもつ中年の男性が、ルナンを抱きしめた。
部屋の外から、声がかかる。
『ケトルム様!お急ぎください、皇帝が来ます!』
中年の男性……ケトルムは、その声に、ルナンを引っ張り立たせた。
『行こう、ルナン。精霊の民に戻るのだ。』
その時、ケトルムの目に、赤子が映った。
ケトルムは、その顔を歪め、赤子を奪い、ベットに放り投げた。
それを見たジルナの目が、冷たく、鋭く光った。
赤子が、火が付いたように泣き出す。ルナンは、赤子に手を伸ばした。
そんなルナンの手を、ケトルムは払い落とした。
『やめなさい!そんな、あの化け物の血が混じった子を、我が民に持ち込んだらどんな災厄をもたらすか、分かったものではない!
さぁ、行こう、父と共に。これで、地獄のような日々も終わりだ。』
ケトルムは、ルナンを強引に連れていく。
ルナンは、もう一度、泣いている赤子に手を伸ばした。
だけど、その手は届かない。
赤子が、どんどん離れていく。
ルナンは、涙を流しながら、『カナン……』と呟き。
また、映像は、ブラックアウトした。




